■13.もやそう、どうぶつの森!
生き残るためならば、殺すことを躊躇ってはならない。
この生態系普遍の理は1993年5月29日、石川県七尾市の炎上を以て日本国民の誰もが改めて学び直したことであったし、環境省職員の多くは第二次世界大戦の反省を余さず学習していた。戦争に敗北することは悪である。弱いということは悪である。そして弱いままでいることは、殺されるのを待っている状況にすぎない。
日本国環境省とは、自然環境を守るのみにあらず。
日本国民が生き残る環境を守ることも、重要な責務なのである。
故に、環境省環境保全隊は躊躇することはなかった。
「ドロップ――」
F-15SEX-Jは害獣の妨害を特に受けることなく、スカー=ハディット辺境吸血伯領上空に達した。翼下にはクラスター爆弾18発。現代戦においてはステルス性を重視してウェポンベイに数発の航空爆弾を格納するF-15SEX-Jだが、今回は害獣駆除ということでF-15Eのコンフォーマル・タンクを装備し、その下にも航空爆弾を引っ提げていた。この異世界における駆除にステルス性は不要、というわけである。
そしてF-15SEX-Jは辺境吸血伯領一の騎エルフ厩舎、騎エルフ養成施設目掛け、裁きの鉄槌を切り離した。漆黒の弾体、その外皮が虚空で剥がれる。撒き散らされるのは1発あたり202個格納された1.5kgの小弾である。地下室等の防護された目標や、装甲目標を撃破するには不足かもしれないが、広大な牧場や無数に立ち並ぶ厩舎を焼き尽くすには十分すぎる。
(……)
イーグルドライバーに後悔があるとするならば、厩舎に収容されている“異形”たちを救えないことであった。騎エルフを、エルフ・キマイラを、そして無数の試作エルフらを焼き払うしかない。
だが、環境省環境保全隊は非情で、完璧だった。
航空攻撃は相手を打倒する助けにはなっても、相手を完全に打ちのめすことは出来ないということは、戦史が証明している。そのため最後には地上部隊を投入しなければならなくなるだろう。が、最初から連中が手ぐすね引いて待っている敵地で、地上戦(の真似事)に付き合ってやる必要はない。
まずは徹底して、辺境吸血伯領内の厩舎や養成施設、兵舎といった拠点を焼く。ただ相手方もこうした重要拠点は守りたいから、航空魔術士を空中哨戒に就かせるかもしれず、そうなると戦闘ヘリや無人機では被撃破の可能性があった。そのため、この拠点攻撃任務はもっぱらF-15SEXに割り振られている。加えて同機はこれらの目標があらかた片付き次第、他領との交通を遮断するために街道や港湾施設を爆撃することになっていた。
そして移動中の敵部隊の捜索と攻撃は、無人環境監視機ファイティング・アイビスが担当する。加工利用派貴族側も航空攻撃を警戒して可能な限り小部隊、かつ夜間行動を心がけているようだったが、無駄な努力である。夜間でもアイビスの眼から逃れられることはない。数km先からヘルファイアで吹き飛ばされる。何が起きたかもわからない内に絶命していく。
「連中はエルフ・キマイラで後方破壊をやったつもりかもしれないが、後方破壊とはこのレベルのことをいう。よくわかっただろうな」
環境省環境保全隊航空総隊第5航空団の関係者はそう豪語した。
さて。
この猛烈な北爆の開始に伴い、辺境吸血伯と加工利用派貴族らの軍勢は『バルバコア自然公園』への侵攻を諦めざるをえなかった。というよりも、侵攻どころではない。激しい航空攻撃で、諸隊は全滅の危機に陥っていた。
「駄目だ、勝負にならんっ」
特に領外から援軍に駆けつけた諸侯の動揺は大きかった。
1昼夜の間に4名の騎士号持ちと、文武に秀でたエンドラクト男爵が戦死。その他、多くの優秀な士卒が死傷し、自慢の騎エルフらもまた爆殺の憂き目に遭ったことで、これが明らかに割に合わない戦争だということを誰もが理解した。
手も足も出ないまま、殺されていく。
騎エルフ隊を指揮する騎士のひとりは「これは戦争ではなく、虐殺だ」と周囲に漏らし、実際にその2時間後には焼死した。F-15SEXが投下した焼夷爆弾が、彼らの潜む森林ごと焼き尽くしたのである。数百リットルのジェット燃料を主成分とするそれは、青々とした木々を燃やすのには十分過ぎる代物だった。
前述の通り、環境省は目先のことに囚われることはない。
仮に100の生命を守れるのであれば、平気で99の生命を殺せる。動物たちの森を焼くことも厭わないのであった。
「どうすればいいの」
他方、まさか自身の側が窮地に陥るとは考えてもみなかったスカー=ハディット辺境吸血伯は、自身の庭をぐるぐると歩き回っていた。月下である。唐突に庭を横断したかと思うと、深紅のドレスが汚れるのも気にせず、森に分け入っていく。
「どうしよう……」
彼女にはいま、相談する相手がいなかった。いつもなら姉に話しかけることで思考が整理され、事態を打開する突破口を見出すのであるが、この最悪の事態を姉に語りかけるのは気がひけた。
沈黙と夜闇が充満する森の中。
木々の合間には、“実験動物”が吊り下がっている。死骸だ。自然死した後のものもあれば、喉を掻っ捌かれ、あるいは手首を切られて失血死しているものもある。この森林は不要になった死骸を吊るしておく前衛的な死体置き場であり、彼女が静かに思考を巡らせることができる場であった。
だがしかし、良策は思い浮かばない。
当然だ。あまりにもテクノロジーが隔絶し過ぎている。
「……一時停戦を求めるほかないでしょうね」
至極当然の結論を、スカー辺境吸血伯は下した。
こちらに交戦の意思はないとして交渉を持ちかける。エルフ・キマイラをけしかけた件に関しては白を切るか、「エンドラクト男爵が独断でやったこと、こちらこそ迷惑している」といまは亡きエンドラクト男爵に罪を擦りつけるか。少なくとも時間が稼げればいい。抵抗はあるが、皇帝直轄軍の出動を求めるほかないか――。
「え」
そこまで思考が至ったところで、彼女は遠雷を聞いた。
「え」
迫る爆音、ざわめく森。
そして枝葉の合間に漆黒の影を見た。
瞬間、彼女は死を覚悟した。
“終わり”が来る、と。
おそらく1秒、2秒後には自身の意識は永遠の闇に塗り潰されるだろうと確信し、目を瞑った。
轟音――。
「え」
だが、死んでいない。死ななかった。
だから彼女は踵を返して走り始めた。
何度も転びそうになりながら、木々の合間を駆け抜ける。
そして彼女は見た、見てしまった。
「え」
館が燃えている。
ハディット家の歴史が燃えている。
実験動物と貴重な実験のデータが燃えている。
「え」
そして、姉が、燃えている。
これが、罰である。
弱者を虐げ続けたことに対する罰。
弱者を虐げ続けたことで自らが強者だと勘違いした罰。
そして、自身もまた弱者であるにかかわらず、環境省に挑戦したことに対する罰だ。




