頭を掠めたのはあの日の約束だった
どかりと腰を下ろしていた番長は果たして俺を待ち伏せでもしていたのだろうか。
「どうした? 休みに来たのだろう? 俺に気にせず使っていいんだぜ?」
番長がベッドに手招きすように自身の横をポンポンと叩く。
「あ、あ~、保健室の先生いないし勝手に使っちゃまずいんじゃないかな」
明らかに俺の声は上ずっていたがそんな様子さえも番長は楽しんでいるようだった。
「ほう? それはさっきお前さんたちが話していた内容と違うようだが?」
そうだった。番長は最初からここにいたのだ。先ほどの東条との会話は筒抜けだったことになる。幸い部屋に入ってから番長の話題は出していなかったはずだ。陰口でも叩いていたら今頃どうなっていたのだろう。
「実はそんなに体調悪いわけでもないんだ。授業だるくなっちゃってさ。ははっ」
どうにかこの距離感を保つため、どうでもいい話で間をもたす。東条なき今、俺に残された道は保健室の先生が返ってくるまで粘ること、それしかないのだから。
「……」
番長は何も言わず、ただただベッドをポンポンと叩き続ける。交渉の余地がまるで見当たらない。
「そういえば何で保健室の先生いないんだろうね」
「……」
「う、浦島君はどうしてここに?」
「……」
状況は何も変わらない。番長はまるで録画ビデオをリピートしているかの如く、一定のリズムで叩き続けるだけ。下手なホラーより遥かにホラーだった。そろそろ爆発しそうな気配を感じ取った俺は観念するしかなかった。
「失礼します」
おずおずと番長の横に腰かける。50㎝程距離を置くことだけがどうにか俺に出来る精一杯の反抗だった。
「不知火、といったか。貴様なぜ昨日逃げた?」
「に、逃げるわけないじゃないか。移動教室だったから急いでてさ」
「貴様のクラスの次の授業は古文だった。古文で移動だなんて聞いたことねぇがな俺は」
Oh……バレてましたか。いやまぁ調べれば一瞬でバレることですけども。
何も反論できず沈黙がその場を支配し、時計が秒針を刻む音だけがこの空間を流れた。
「まぁいい。それよりいつまで座ってる気だ? さっさと横になれよ」
さらなる追求は免れても地獄へ続くステップは止まることを許されなかった。
「……うん」
有無を言わさぬ迫力は拒みようがなく、仕方なく掛け布団をめくり、横になった。番長に背を向ける形で横向きとなる。番長にケツを向ける恐ろしさより表情が見えることの恐怖が上回ったのだ。
「じゃあ俺はもう行くぜ。あんま無理すんじゃねぇぞ」
……えっ? これって……。
掛け布団にかかっていた圧が緩和され、番長が立ち上がったことがわかった。
「何か勘違いしてるようだが、俺は貴様のモノに糸くずが絡まってたのを教えてやろうとしてただけだ。あばよ」
そう捨て台詞を残し、番長は保健室を出て行ったのだった。
「助かった……のか」
緊張がほどけた瞬間、ぷはぁっと大きく息が漏れた。ほとんど呼吸も出来ていなかった気がする。
それにしても最後何か言っていたような。
モノに糸が絡まっていただけ? そういや昨日は……。
あまりの恐怖に記憶の最奥にまで封印した昨日の出来事を反芻する。
興味深そうに俺のモノを見つめていたのは単に糸を絡ませているのを面白がっていただけだとか?
痛いのは嫌だろう、と言っていたのは脅しではなく糸がモノに引っかかったりしたら痛いだろう、ってことだったのか?
執拗に俺を止めようとしていたのもあのままでは恥をかいてしまうから何とか気づかせたかっただけだとか?
…………ん? もしかして番長って人との関わり方が不器用なだけでいい人なのでは?
現に今も自分が使っていたベッドを譲ってくれたしなんか心配もしてくれてたような……。
ん? んん? これは合点がいかないわけでもないぞ。
…………。
「というわけなんだけどどう思う?」
保健室からの帰り道、迎えに来てくれた東条に俺の考察を説明する。
東条は呆れたように息を吐くとキッと眼光を鋭くさせ、声を荒げた。
「甘いっ! 甘すぎるよ君は!! そんなワケがあるもんかこのアンポンタン!!」
そのあまりの強い否定に俺も自信がなくなってくる。
「でも実際保健室でも何もされなかったんだぜ」
「あのねアキラ君。君は重要な点を忘れているよ」
東条は一息おいてから、なぜ浦島君はチャックもあげないまま君に向き直ったんだい? と続けた。確かにそんなこともあった気がする。
「それは……あれじゃね。ユーモラスに糸くずの存在を伝えようとした、とか??」
「どんなユーモアだよそれは!! クスりともしないよ僕は!! だいたい面白かったのか君は!? 浦島にあんなモノ見せつけられて? ええっ?」
呼び捨てかい。よくわからないが変なスイッチを押してしまったようだ。ものすごい剣幕で東条に迫られる。あんな野獣のイチモツなんか最初から願い下げだっての。
「怯えしかなかったよ。東条さんも見てただろ」
「でしょ? アキラ君は浦島君に狙われ続けることが怖いんだよ。だからそうじゃない可能性を無理やり手繰り寄せてる。希望的観測ってやつだね。あの時だって本当に糸のことを伝えたかっただけなら、その旨を伝えれば終わってたわけでしょ? 僕には一連が脅しにしか見えなかったし、モノを見せつける必然性も見当がつかない。どう考えても不器用さの一言で片づけられないよ」
そんな可愛い顔してモノとかあんまり口にしないで欲しいのだが。
「そう言われてみれば確かに」
「兎に角、だ! アキラ君はもっと危機意識を持つように。これからも絶っ対、に一人にはならず常に僕といるんだ!」
「常にって流石にそれは……」
なんか最初の約束より過激になってるような。
「いちいち口答えしない!」
「は、はい!」
あれ? なんか手懐けられてね? 思わず条件反射で首肯してしまう。
もう、ほんとにしょうがないんだから~、とかブツブツ言いながら勝手に話をまとめられてしまった。
展開が急過ぎて思考が追い付かない。ボーっとしつつ教室へ向かう道中、ショートカットのために中庭に差し掛かった時だった。
「おや?」
正面から歩いてきていた女性がこちらの存在に気付き、足を止めた。その隣には別の女子生徒を侍らせている。
「お久しぶりです。会長」
俺は直立不動の姿勢でペコリと頭を下げた。見知った顔だった。
――生徒会長の青葉未来。
一年前のあの日から、俺が密かに憧れを抱き続けている存在でもある。もちろんそんな畏れ多い感情はおくびにも態度には出さない。
漆黒のようなロングの髪は真っすぐと腰まで伸びており、何があってもブレることのない会長の性格によく似合っている。ナイフのように鋭い切れ長の目は一切の隙を感じさせず、170cm近い高身長もあってか、いつも見下されるような視線から自然と服従を迫られるかのようだった。かなりの色白でもあり、神聖なものとしてすら俺には視えてしまう。まぁ有体に言えば超が付くほどのド級の美人である。
「不知火君じゃないか。そう構えないでくれよ。そんなに余所余所しくされたら傷つくじゃないか」
会長は肩をすくめつつ、なぁ? と隣の女子生徒に同意を求めている。ふふっと上品に相槌を打っているその生徒も顔見知りだったりする。
「いえそんなつもりでは……では会長。失礼致します。白石先輩も」
長話する気はなかった。あの時の想いはもう、良き思い出として消化されつつある。蒸し返したいものではない。軽く会釈しつつかつての感情を振り切るように会長たちの脇を通り抜けた。
怪訝そうな顔で申し訳程度に会釈した東条が俺の後に続く。久々の邂逅は一瞬で終わった。
「ねぇ」
「……」
「ねぇってば!」
「悪い悪い。なに?」
「何だよボーッとしちゃってさ。アキラ君って生徒会長さんと面識なんかあったの?」
「ま~ちょっと前に少しだけ、ね」
「な~んか感じ悪いね。僕に隠し事?」
「別にそんなんじゃないよ」
というかなんだこの彼女面は? いや彼氏面か。
「アキラ君。今まで見たことない表情してた」
「そりゃ会長と会えば誰だって緊張もするもんさ」
「僕が言いたいのはそういうんじゃなくて……。ああもういいや」
東条は頭をクシャクシャとかきむしりながらゴニョゴニョ言っていたが、やがてこの話はもうお終いとでも言うかの如く話題を切り替えた。
「来週の林間学校。アキラ君は誰とフォークダンスを踊るつもりなのかな?」
そうだった。そうなのだ。我々二年生は来週林間学校なるイベントがあるのだ。意地の悪そうな笑みを浮かべた東条がムヒヒと下品そうな声を上げている。
波乱の予感を膨らませつつ、俺はやっとのことで着いた教室の扉を開けたのだった。