勇者とメイドさん その58
勇者とは。
「……だからね、勇者とは何者なのか? メイドさんの疑問に答えるべく、こうして遠くまで足を運んだ訳でね」
「さすがに距離がありすぎでは。街が見えませんが」
「帰りは転移すればいいしね?」
「まあそうですけど」
ぼんやり口から漏れ出たその疑問をご主人様が聞いていたようで、気がつけば家から遥か遠くの見知らぬ地に降り立っていました。所々を闇が覆っていますが、一体ここで何を……。
「さて、勇者とは何者か。それは一口には説明できない、なんならその勇者自身も、全貌を把握しきれてないという始末だからね。それだけおかしな存在ということ」
「自らの力を把握出来ていないのですか」
「それだけ膨大なんだよね、これ。存在自体が超常現象、奇跡みたいなものよ」
ご主人様が手を握った途端、辺りに風が吹き荒れました。今はご主人様から途方もない力を感じます。普段は抑え込んでいるのでしょうか。
「こうしてこの場では力を誇示してないと、他のが簡単に襲ってくるからね。まあ返り討ちに出来るけどさ」
「他の、ですか?」
「そ。なぜわざわざこんな辺鄙な地まで足を運んだのか。理由は向こうにはね、俺を傷つけられる生命体は存在しないから。実際に見た方が早いと思って」
「傷つけられるというと……」
力を収めた直後、ご主人様の背後に巨大な甲虫が現れました。そうしてご主人様の左腕を刈り取っていきました。血が吹き出しているにも関わらず、ご主人様は淡々と説明を続けます。
「ただまあ勇者が規格外とはいえね、最初のうちは弱いよ。人間の強さだから簡単に死ぬよ? 狙うなら最初期しかないね」
「それより腕が」
「ああ、気にしなくていいよ」
ご主人様の振り返りざまの右腕の一振りを受け、甲虫は体液を撒き散らしながら絶命しました。ほんと勇者って何なのでしょうね。
「こうして育ってしまえばね、強靭な生命力と、どこからともなく湧き出てくる力で、腕が飛ばされようと死ぬことはないよ? なんなら」
「!」
またもや会話中にご主人様の首を高速の何かが掠めていき、首がゴトリと音を立てて落ちました。首と胴は完全に分離していますが、ご主人様の身体はなおも動き、笑顔で落ちた首を抱き抱えました。
「こうして首がとれても生きてられるあたり、もう人間じゃないのは確実だろうね」
「……」
「だいたいのことはこなせるし、そうそう死ぬこともない。これくらいでないと、とても魔王は倒せなかったんだろうね」
「……」
「さて、本人ですら勇者について知ってるのはこのくらいだけど、メイドさんはどうする? 今までこんな首がなくとも生きている、そんな化け物と知らずに暮らしてきた訳だけど。こうして抱えられた首が喋ってるのを見てどう感じた? 見たところ顔は真っ青だから、わざわざ聞くまでもないみたいだけどね」
「……」
「人狼ゲームの時、『まあ同じ人じゃないってだけで、友好的な相手を殺すのはねー。その神経を疑うね』こう返事が出来る発言もあったし、メイドさんは何であろうと平気かと思ってたけど、やっぱり人間。こんなもの見てしまえば、その反応もまあ当然よね。実は初めて受け入れられたと思ってたんだけどね。嬉しかった。けどこれじゃあね、お別れした方がよさそうかな」
ご主人様が暗闇へと歩みを進める中、私の体は指一本動きませんでした。
「……まって」
「待たない。こんな化け物と過ごしてれば、ふとした拍子にメイドさんの精神とかね、壊れちゃうかもしれないから」
「いかないで」
「やだ。本気で心配してるからこそだから。けど大丈夫、今までの化け物と過ごした悪夢は消して、その前の生活に戻してあげるからね」
「待って!!」
伸ばした腕は自室の空を切りました。
「……夢」
……どうやら悪夢を見ていたようです。そして現実味もありました。前にああは言ったものの、あんな場面に直面してしまえば、夢であったように体は言うことを聞かず、ご主人様を拒んでしまうでしょう。ただの夢です。真実でない可能性もありますが、これは安易に触れてはいけない確信と、同時に時間を見つけて人以外の人に紛れた生物、未知の生命体に慣れておく必要がありそうですね。
愛でどうのこうのよりも人間の理性の問題でしょう。よほどその愛が深くない限りは。
夢オチ。




