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いつものように部活帰りの尚子を待って、並んで家路を歩く。
だが、尚子の表情はどこか暗いように見える。
「昼のこと、まだ気にしてるのか?」
勇斗の問いかけに尚子は小さく頷いた。
「実は……私、最近ちょっと不思議な気がしていたの」
「不思議?」
「私って……こんなに足、早かったっけ?」
「どうしてそんなことを? 小学校の頃から足は早かったんだろ?」
「まあ、早いほうではあったけど……そうじゃなくて……前は私より早い人がいたような気がするの。私、その人に勝ちたくていつもその人の背中を見ていたような気がするの」
「それは誰?」
「それが思い出せないのよ」
「君は誰よりも早いよ」
「そう思ってくれるのは嬉しいけど、私よりタイムの良い人はもっといるわ」
「誰?」
「それは……」
答えようとして尚子は言葉に詰まった。
「どうしたの?」
「わからない……名前が出てこない」
「だったらーー」
「違うの。私なんかが一番なんてことはないのよ」
尚子は強く言い返した。そこには何かに怯えているような感情が入り混じっているように勇斗には見えた。
「君はいつでも一番だったよ」
すると尚子は少し不思議そうな顔をしてーー
「ねえ、私、勇斗君とはいつ知り合ったんだっけ?」
「え? 何を言ってるんだよ?」
勇斗は驚いて聞き返した。
「教えて」
尚子は真面目な顔で言った。
「小学校の頃からの幼馴染じゃないか」
「そう……よね。わかってるつもりなんだけど……何か腑に落ちないのよ」
「何が?」
「勇斗君って男の子よね?」
「え?」
「昔、いつもこうして私と学校に通っていたのって女の子だったような気がするのよ」
「何、バカなことを」
「うん、バカなことだよね。どうしてそんなふうに思うのか私にもわからないの。でも、子供の頃のことを思い出そうとするとどうしてもそんな気がしちゃうの」
「昔のことなんか気にする必要ないじゃないか」
「そんなの嫌よ」
と尚子はすぐに言い返す。
「どうして?」
「私にとっては思い出も大切な宝物だもの」
「宝物? 思い出が?」
勇斗は聞き返した。
「そうよ。当たり前でしょ」
「思い出のなかには嫌なものだってあるじゃないか」
「まあね」
「それよりも今この時のほうが大切なはずだよ」
「それはそうだけど……でも、そういう嫌な記憶があるからこそ、後になって良い思い出になるものだってあるわ。そういうものを忘れるってことは、良い記憶も忘れてしまうのと同じなのよ。それって、自分を忘れてしまうようなものだわ。勇斗君だってそうじゃないの?」
「……自分を忘れる」
正直言って、勇斗には尚子の気持ちがわかるとは言えなかった。
「それなのに……今の私にはそれがない……ような気がする」
尚子は戸惑いながら言った。
「昔のことを全て記憶していられるわけでもないし、ただの気のせいじゃないか?」
「わからないのよ。ただ……違和感があるの」
尚子はそう言って左手で額をおさえた。彼女が苦しんでいることは勇斗にもよくわかる。なんとか助けてあげたい。その思いが勇斗の口を動かした。
「……やっぱり」
そのつぶやきに、尚子はぱっと顔を上げる。
「え? 何か勇斗君も感じるの?」
勇斗は少し考えてから思い切ってそれを口にした。
「僕もこの世界は何かがおかしいと思っているんだ」
「この世界? どういうこと?」
尚子はさらに困惑したような表情になった。
「いや……どこがどうというわけじゃないんだけど……何かおかしいことになっている気がするんだ」
勇斗の曖昧な言葉にも、尚子は真剣な目をして小さくウンウンと頷いた。
「そうね……でも、どうしちゃったんだろう? どうしてこんなことに?」
「それは……たぶん……」
「何? 何かわかるの?」
尚子はさらに目を大きくして勇斗を見つめた。
「やっぱり彼女が現れたからだよ」
勇斗は思い切って考えていたことを口にした。
「彼女?」
「七尾梢だよ」
「どうして? モコちゃんが何をしたっていうの?」
「モコちゃん?」
「え? あ……私、どうして彼女のことをそんなふうに?」
尚子は自分が言った言葉に戸惑っているようだった。その姿を見て、勇斗は確信した。
「やっぱり彼女だよ。彼女がこの世界をおかしくしているんだ」
「どうして彼女が?」
「それはわからない。でも、僕が調べてみる」
勇斗は尚子と別れると、急いで今来た道を戻っていった。