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夕日がグラウンドを赤く照らす。
部活を終えた多くの生徒たちが帰っていく。
勇斗は校門の横で、部活を終えた尚子を待っていた。これも高校に入学してから変わらない毎日だ。
そこへ着替えを終えた尚子が駆け寄ってきた。
走る時以外、彼女は長い髪をおろしている。小学生の頃は男の子と見違えるほどに短く髪を切っていた。だが、本格的に陸上をはじめた中学の頃から髪を伸ばすようになった。普段は女性らしく過ごしたいというのが髪を伸ばすようになった理由らしい。
「待っててくれてありがと。勇斗君は優しいねぇ」
いつものことなのに、わざと冗談めいた言い方をする。「でも、ただ待ってるだけなんて退屈じゃないの?」
「ぜんぜん」と勇斗はすぐに答える。
「勇斗君も一緒に走ればいいのに。楽しいわよ」
「僕はいいよ。ナオの走るのを見てるほうが楽しい」
「変なの。そんなことの何が楽しいのよ」
「変じゃないさ。ナオの走る姿はすごく綺麗だから、見ているだけで気分が良くなる」
それを聞いて尚子は大きく口を開けて笑う。
「やだなぁ。そんな真顔で言わないでよ。私なんて、いつも走ってばっかだから肌は真っ黒だし、筋肉質だし、全然女の子らしくないし。そんなこと言うの勇斗君だけだよ」
「僕の言葉に間違いはないよ」
自信を持って勇斗は言う。
「ありがと……でもね」
そう言った直後、尚子は少し表情を暗くした。
「何?」
「何かおかしいのよ」
「何が? 調子は良さそうじゃないか」
「うん、タイムは悪くないの」
「じゃあ、何が変なんだよ?」
「わからない」
尚子は首を捻った。
「わからない?」
「――っていうか、言葉にするのが難しいのよ。なんか……イメージしているように走れないっていうか……どんなに思いっきり走ってみても走ってる実感がないっていうのかな……」
「気のせいじゃないか?」
「自分の足が地面を蹴ってる感じがないの」
「僕の目にはいつもと変わらないように見えたよ」
それでも尚子は納得いかないかのように首をひねる。
「そお……かなぁ?」
「少し疲れているんじゃないか?」
「疲れてなんていないわ。まだまだ走れるわよ。むしろ走れすぎて怖いくらいよ」
尚子は少しムキになって言い返した。
「でも、たまには休まないと。一流のアスリートはそういう管理だってちゃんとやっているはずだよ」
「……そうね。休むことも大事よね」
尚子は素直に頷いた。「大会まではもっとタイムを伸ばさないと。絶対負けたくないから」
「ナオなら大丈夫だよ」
「そんな簡単にはいかないわよ」
尚子はそう言って、ふいに言葉を切って視線を校舎のほうへと向けた。その視線の先に校舎から出てくる一人の女生徒の姿が見えた。
その生徒を見つめる尚子の表情が変わった気がした。
「あれは?」
「七尾さんね」
「七尾?」
その名前に勇斗はすぐには反応出来なかった。ただ、妙な不安が胸の奥で急に湧いてきた。
「何よ、クラスメイトの顔も忘れちゃったの?」
「クラスメイト?」
そう言われても、勇斗にはまるで覚えがなかった。
「しょうがないわね。ずっと登校してなかったものね。入学してすぐに事故に遭って入院していたらしいわよ。今日から登校しているじゃないの」
「そう……だっけ?」
「半年も休んでいたのよ。ずいぶん大きな事故だったのね。でも、見る限り後遺症はないみたいね」
「本当に今日、来てたの?」
「そうよ。大人しいものね、彼女。でも、不思議な感じがする人だわ」
「不思議? どこが?」
「どこかって聞かれると困るんだけど、なんとなく懐かしいような気がしてくるの。忘れていたものを思い出せるような……私、あの子と友達になりたいな」
「え?」
「無くした何かを取り戻せるような気がするの。あ……私、なんか変なこと言ってるわよね」
そう言って尚子は笑った。だが、その笑顔がむしろ勇斗を不安にさせる。
「彼女にはあまり近づかないほうがいいんじゃないかな」
思わずその不安な気持ちが言葉になった。
「どうして?」
「……なんとなく」
「どうしたの? 何か変よ」
不思議そうな顔で尚子は勇斗の顔を見つめた。
だが、それに勇斗は答えることが出来なかった。
なぜこんなふうに不安になるのか、それは勇斗自身にもわからなかった。