第06話 女神の手
「──夏樹君にはいつか話す時が来ると思ってたわ」
そう言って、亜里沙さんは俺を店内へと招き入れた。カウンター席の一番左……いつも俺が座る、最奥の席が空いている。俺は、亜里沙さんに促されるままその席に着くと、肩に掛けていたバッグを床に降ろした。
静まり返った店内で、皆の視線が俺に注がれる。彼等は俺から離れる様に隣の席を一つ空け、オカキン、萌くん、希ちゃん、リーさんの順に座っていた。少しずつ体をずらし、俺の様子を伺っている彼等は、俺と亜里沙さんが何を話すのかが気になっている様だった。
視線に晒されていた俺が少し居たたまれない様な気持ちになっていると、亜里沙さんが声をかけて来た。
「何か飲む? 珈琲でいいかしら?」
相変わらず癒し効果抜群の、優しい笑顔で問いかけて来る亜里沙さん。しかし、いつもとは何処か雰囲気が違う。俺は、直ぐにその違和感の原因に気が付いた。
当たり前の様に接していたが、今日の亜里沙さんは私服だ。よく見れば、秋菜もメイド服を着ていない。やはり、今は営業中と言う訳では無い様だ。今更ながらに気付いた俺は、どうやら思わぬ展開に混乱し過ぎて余裕が無くなっていたらしい。
少しだけ落ち着いて来た俺は、目の前のカウンター越しに立つ亜里沙さんに視線を向けた。
首元が肩の辺りまで開いた薄いピンクのカットソーに、ブルージーンズ。いつもの様に髪を後ろで束ねているだけの亜里沙さんは、何故か普段よりも大人びて見えた。
そして、俺の目を釘付けにしたのは、白い長袖のロンTにデニムのショートパンツをはいた秋菜だった。袖口から丸めた指だけを、猫の手の様に覗かせている。そんな、ようやく会う事が出来た秋菜。俺には、彼女がこないだよりも随分と幼く見えた。
秋菜はカウンターの中でも入口側、丁度、俺とは反対側に当たる店の端で、困った様にソワソワしている。やっぱり可愛い……。俺は素直にそう思った。
「ちょっと、夏樹君? 聞いてるのかしら?」
暫く秋菜に見惚れていた俺は、亜里沙さんの声にハッとして現実に引き戻された。思わず正面に目をやると、亜里沙さんがニヤニヤしながら俺を見ている。俺は余りの気まずさに、つい不愛想な態度で答えてしまった。
「え? あ、ああ……」
誤魔化す様に咳払いを一つして、カウンターの中の亜里沙さんと改めて向き合う。相変わらず、俺の考えている事なんか見透かした様な目で、優しく微笑んでいる亜里沙さん。
しかし、それでも今日の亜里沙さんは何かが違う。服装だけではなくて、何かこう……雰囲気というか、もっと別の何か。何だろう。どうしても、そんな違和感の様な物が拭い切れない。そんな、俺のモヤモヤした気持ち等はお構い無しに、亜里沙さんは重ねて俺に問いかけて来た。
「銘柄もいつものでいいわよね、夏樹君?」
そう言って、俺の返答を待たずに珈琲を淹れ始める亜里沙さん。そして、俺は気が付いた。
──名前だ!
確かに今、亜里沙さんは俺の事を『夏樹君』と呼んだ。しかし、亜里沙さんは普段、俺の事をそう呼んだ事は一度も無い。俺に声を掛ける時は、必ず『ご主人様』だ。
気付いてしまえばどうと言う事は無い。冷静になって良く見れば、今日の『妖精の隠れ家』は違和感だらけだ。勿論、亜里沙さん達の服装が違うだけでは無い。
俺の事を『夏樹君』と呼ぶ、いつもよりフランクな口調の亜里沙さん。
俺が来てから一言も喋らないオカキン達。
そして、何か張り詰めた様な緊張感が漂う店の雰囲気。
はっきりと目に見える違いという訳では無いが、明らかにいつもの雰囲気じゃない。しかも、どうやらその原因は、俺がここに来た事にある様だ。それぐらいは、聞かなくても俺にだって雰囲気で分かる。
亜里沙さんの口調が違うのは、おそらく、今がプライベートだからと言う理由だろう。どう見ても営業中の店じゃない。いつもは喧しいオカキンも、ジッと黙って俺の行動を伺っている。俯いたままの萌くんは、どこか気まずそうだ。リーさんや希ちゃんに至っては、俺とは目を合わせようとすらしない。そんな中、秋菜だけがさっきからオロオロと何かを言いたげな素振りを見せている。
──明らかにおかしい。
すると、亜里沙さんが先程より一段低いトーンで話し始めた。その顔は、いつの間にか真剣な表情に変わっている。
「夏樹君、聞いてもいいかしら?」
口元からはあの優しい笑みが消え、何かを見定めようとする様な目で問いかけて来る亜里沙さん。俺は思わず身構えた。
「……何ですか?」
警戒心を口調に込める。すると、亜里沙さんはそんな俺を見て、少し雰囲気を和らげた。
「そんなに構えないで? 大した事じゃないの……言いたく無かったら話さなくてもいいわ」
そう言って優しく目を細め、いつもの亜里沙さんが顔を覗かせる。そして、彼女はまるで小さな子供に尋ねる様に、優しく、そしてゆっくりと口を開いた。
「夏樹君……どうしてスマホを持たないの?」
──え?
俺は一瞬、自分が何を言われているのか理解する事が出来なかった。
余りにも予想外過ぎる問い掛けに、思わずキョトンとしてしまう。今のこの状況が、俺がスマホを持たない事と何の関係があるのだろう……正直、意味が分からない。しかし、そんな俺の考え等、見越していた様に亜里沙さんは続けた。
「夏樹君……いきなり何を言われてるのか分からないかも知れないけど……これは、凄く大事な事なの」
いつになく真剣な眼差しで、俺に語りかけて来る亜里沙さん。その目には、何故か全てを見透かされている様な気がした。どこか俺を哀れむ様な、悲しそうな目。おおよそ全て予想は付いているとでも言いたげなその目で、亜里沙さんは俺を諭した。
「話したく無い気持ちは分かるわ……だけど、どうか私達を信じて話してみてくれないかな? きっと力になれると思うわ……」
そう、強い意志が込められた目で、俺の目を見つめて来る亜里沙さん。やはり、俺の事を何か知っているみたいだ……。ふと気付けば、店にいる全員の視線が俺に注がれている。どうやら、私達と言うのはここにいるオカキン達、皆んなの事を指しているらしい。当然、秋菜も含めて。
「…………」
何でこんな事を聞くんだろう。単純に、俺には理由が分からなかった。力になれるってどう言う事だ? 何が目的でこんな事を聞くんだ?
だが、亜里沙さんは自分達を信じてくれと言う。しかも、これは凄く大事な事なんだと。もしかしたら、何か事情があるのかも知れない。だけど……
俺は悩んだ。
どんな事情かは知らないが、どうしても俺は何か裏があるのではと考えてしまう。それに、この質問の内容……。俺にとっては、余り思い出したくない、一番触れられたく無い過去の話だ。出来る事ならば話したくは無い。しかし、亜里沙さんの目は、何故か全てを分かった上で俺に話させようとしている気もする。まるで、何か俺を試している様に。
「お、俺は……」
上手く言葉が出て来ない。まだ、迷っているからだろう。
確かに、自分を理解して欲しいと願う気持ちは俺にもある。受け入れて欲しい、認めて欲しいという……そんな渇望。それは、きっと孤独に対する寂しさから来る感情だと思う。それなら、ここで亜里沙さん達に全てを話してしまえば、もしかしたら紛らわせる事が出来るのかも知れない。だけど……。
顔を上げ、もう一度店内を見渡す。狭い店内は静まり返り、皆がジッと俺が口を開くのを待っている。
信じていいのか……?
だが、どうしても踏ん切りが付けられない。すると、そんな俺の背中を、他ならぬ秋菜が押してくれた。
「話して……くれませんか?」
俺にとっては、まるで慈悲深い女神の様な優しい声。何故か、自分達の仲間になれ、そう言われている様にも聞こえた。少し思い詰めた様な彼女の表情は、何か事情がある事を安易に物語っている。
少しだけ信じてみてもいいかな……。
少なくとも、秋菜だけには俺の事をもっと知って貰いたい。そんな気持ちも強かった俺は、それだけでも十分、話してみる理由になる気がした。
「そんなに面白い話じゃないですよ……?」
──俺は、女神に差し伸べられた手を握り返してみる事にした。
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