#1〜#14
#1
故郷の村が、竜に焼き払われた。
生き残ったのは、私一人だけだった。
それで仕方なく、私は村を出た。
「東に10日ほど歩いたところに、小さな村があったはず」
まずはそこへ向かおうと、私は歩き始めた。
#2
──その道中の、森の中でのこと。
食べられそうなキノコを探すため、私は木の根元に積み重なっていた落ち葉をかき分けた。
するとその落ち葉の下に、奇妙な生き物がいた。
黒くて細長くて小さい、ミミズのような生き物だった。
周囲を森に囲まれた村で育った私だけど、そんな生き物はそれまで見たことがなかった。
だから私はつい好奇心のままに、そのミミズもどきに顔を近づけてしまった。
もっと近くで、細部まで見てみようと、そう思ったのだ。
結果的に言うと、それはあまり良い行動とは言えなかった。
私がそれに顔を近づけた次の瞬間、気がつけばその生物は、私の頭の中に入り込んでいた。
そして私は意識を失った。
どれくらい時間が経ったのか、正確にはわからない。
意識を失う前は夕方で、日が沈みかけていた。
でも目を覚ますと辺りは明るくなっていた。
数時間だけなのか、それとも1日、2日と眠っていたのか。
額に触れてみた。
特に異常はなかった。
しかし確かに、存在を感じた。
得体の知れない、何かの存在だ。
なぜだか私は、到底そんなこと信じられるはずがないのに、直感的に理解してしまった。
──落ち葉の下で見つけたあの気味の悪い生き物が、私の脳に寄生したのだと。
#3
頭の中で声がした。
無数の声だ。
何百、何千、下手をすれば何万何億にも及ぶ、無数の声。
それは人の言葉じゃなかった。
だけど私には、その声がなんて言っているのか理解することができた。
すべての声が、喜びに満ちいていた。
歓喜に震えている、そんな声だった。
そしてその声は、内側からだけじゃなく、外側からも響いてきていた。
森が騒がしかった。
それは虫の鳴き声だった。
いたるところで、虫たちが鳴いていた。
それにともない、木々が大きく揺れていた。
いったい何が起こっているのか、私にはまるでわからなかった。
なのにどういうわけか、妙に落ち着いている自分がいた。
その言葉は、自然と口から漏れた。
「静かに」
呟くような、囁くような、決して大きくない声。
しかしぴたりと、森が静寂に包まれた。
先ほどまでのざわめきが、嘘だったかのように。
頭の中の声も、もう聞こえなくなっていた。
──ふと私は、目的を思い出した。
そうだ、村に向かってたんだった。
再び私は歩き始めた。
#4
そうして3日が経った。
その間不思議と、魔物とは一度も遭遇しなかった。
しかしながら、村への行路自体が順調だとはあまり言えなかった。
「うぅ……、お腹減った」
一応、家の中に備蓄していた食料を、ありったけリュックに詰めて持ち運んでいた。
もともと私は小食な方だし、10日程度なら余裕で持つだろうという見込みだった。
しかしそれを私が、まだ村まで半分も来ていないというのに、全て食べきってしまった。
初めは、慣れない野宿生活で心身ともに疲れいつもよりたくさんお腹が空いてしまった、ただそれだけのことだと思った。
でもそれにしたって、ここまでの空腹感は流石におかしいと、この時になってようやく気づいた。
だけど既に時は遅く、今度は空腹によって、私は意識を失ってしまった。
何かの動き回わる音で、私は目を覚ました。
それととともに、尋常ではない空腹感に再び襲われた。
体に力が入らず、起き上がることも、目を開けることすらできなかった。
しかし、気配を感じた。
見えなくてもそれが何の気配なのかはわかった。
虫だ。
夥しい数の、虫。
私を取り囲むようにして、何十匹かは私の体にまとわりついて、蠢いていた。
本当なら発狂してしまってもおかしくない状況だ。
なのに私は、あろうことか、安心感をも覚えた。
そして不意に私の鼻は、とある匂いを捉えた。
すると私の体は、無意識に、勝手に動いた。
どこにそんな力が残っていたのか、起き上がった。
辺りを見回す。
数千はくだらない数の虫。
それから、猪や鹿、兎、トカゲに鳥、熊、大きめの犬、大きめの蛇──などの死骸が目に入った。
匂いはそれらの死骸から漂ってきていた。
その後のことは、なんというか、まぁ、あんまり話したくない。
だけど話さないわけにもいかないと思うので、簡潔に話す。
ものすごくお腹が減っていた私は虫たちが運んできてくれたいくつもの死骸を一心不乱なおかつ無我夢中で食べた。生で。それはもう我を失って欲望の赴くままにたいらげた。骨まで。後に残ったのはわずかばかりの肉片と、身体中を血やら何やらで汚した私だけだった。
#5
おそらく私があの時、「静かに」と言ったからなのだと思う。
その言葉を、虫たちは忠実に聞いてくれていた。
だからずっと、森の中が不自然ほどに静かだった。
魔物とも、そう言えば動物とも、さらには虫までも、1匹たりとて出会わなかった。
おそらく虫たちが、先んじて排除してくれていたのだろう。
私の心を煩わせないように、自らも姿を見せずに。
しかし私が空腹で倒れてしまって、そうも言ってられなくなった。
私に死なれては困るらしい。
いや、違う。
死なれては困るのは、私の頭の中にいる『虫』にか。
──というのは、あくまで私の予想でしかないけど、まぁ、割と的を射ているような気がした。
あの時、自分たちが運んできた動物の死骸を私が食べ終えたのを見て、彼らはまた姿を消そうと離れていった。
そんな彼らに私は、
「ありがとう」
お礼と、
「あの、もう大丈夫だから。そばにいてくれていいよ」
そう言った。
するとその時から、虫たちは私のそばにいるようになった。
その数は、時間が経つほどにどんどんと増えていった。
故郷の村を出て7日が経った頃で、たぶん、億を裕に超えたと思う。
その大群に敵う生き物などいなかった。
#6
ある日私が食料を獲ってきてきてと頼むと、虫たちは変わったものを持ってきてくれた。
たぶんそれは、ゴブリンと呼ばれる生き物だった。
計4体。
気はとても進まなかったが、命を無駄にしてはいけないと思って食べた。
意外と美味しかった。
他には、トロールという、木より大きな生き物まで。
「家の近くの森に、こんなのが住んでたなんて……」
ゴブリンを食べた後だったから抵抗感は割ともうなくなっていた。
これまた存外、美味しかった。
特に脳みそが。
#7
私一人では生きていけないから、近くの村に行って助けてもらおうと思っていた。
だけどその必要はなくなった。
他に頼れる仲間ができたから。
だから私は、村へ向かうのはやめることにした。
その代わりに、やりたいことを自由にやることにした。
手始めに私は、
「赤い竜を探してきて」
頼れる虫たちに、そう言った。
#8
小さな虫たちがマッチの火だとしたら、それはまるで、太陽だった。
とてつもなく大きな何かだ。
気配を感じた。
いや、ずっと感じていた。
あの虫が私の脳に寄生した時から、ずっと。
億を超える虫たちの大群が竜を探してくれている。
見つかるのは時間の問題だろうけど、見つかるまで多少の時間はかかるとも言える。
その時間を使って、行ってみることにする。
太陽のような存在感を放つ、何かのもとに。
#9
大きな蜂の背に乗って、2日間移動し続けた。
辿り着いた場所には谷があった。
その谷の底の方から気配は感じられた。
「あのー! 誰かいますかー?」
深い深い谷底に向かって、私はそんな風に声をかけた。
すると、一匹の黒い百足が谷の底より這い出てきた。
しかしながらもちろん、それはただの、普通の百足では決してなかった。
「………………すごい」
この世界にあるどの山よりも大きく、この世界にあるどの川よりも長い。
地の底から這い出てきたのは、そういう百足だった。
そのあまりの巨大さに少し恐怖を覚えた私だったけど、幸いなことに、彼はとても友好的だった。
そしてとても、知能が高かった。
小さな虫たちとは違う。
頭の中に届く彼の声にははっきりとした意思があって、会話をすることすら可能なほどだった。
私は彼に聞いてみた。
「よければ私と、旅をしてくれませんか?」
意外なことに、彼は二つ返事で了承してくれた。
──世界で一番大きな百足、レイモンドさんが仲間に加わった。
ちなみに名前は私がつけた。
#10
そういえば言ってなかったけど、どうして虫たちに赤い竜を探させたのかというと、私の故郷の村を焼いたのが赤い竜だったからだ。
私の住んでいた小屋は村から少し離れたところに建っていた。
おかげで死なずに済んだ。
でも、遥か彼方に飛んでいく、赤い竜の姿を見た。
──復讐って言葉はなんだかしっくりこないけど、あの赤い竜が今ものうのうと生きているのは、まぁ、あまりいい気分とは言えない。
#11
虫たちから、赤い竜を見つけたという報せが届いた。
早速私は、レイモンドさんの背中に乗ってその場所に向かった。
なんと驚くことに、レイモンドさんは空を飛ぶことができた。
どういう原理なのか、もちろん私にはわからない。
翼や羽があるわけでもないのに、ふわふわと、宙を漂うようにして彼は飛行していた。
しかもその速度はなかなかのもので、あっという間に竜のもとへと辿り着くことができた。
竜は優雅に、空を飛んでいた。
「間違いない、あの竜だ。たぶん」
なんとなく予想はしていたけど、勝負は一瞬でついた。
いや、勝負にもなっていなかった。
レイモンドさんが竜の頭を丸かじりにして、はいそれで終わり。
竜がレイモンドさんの顔に火を吹きかけたりする場面もあったけど、レイモンドさんの硬い体には火傷一つつかなかった。
そのあと、森に落ちた竜の死体を食べた。
鋼のような鱗を噛み砕くのは一苦労で、食べ終えた頃には日が暮れてしまっていたけど、それだけの価値はあった。
これまで食べたきたものの中で、一番美味しかった。
特に心臓が。
でも爪だけは食べずに取っておいた。
竜の死体はどこをとっても高値で取引できるって聞いたことがある。
他の部分は全部食べちゃったけど、爪は多分あんまり美味しくないだろうし、お金に変えようと思った。
そのうちまた服とかも買いに行きたい。
今持っている分のほとんどは、もう汚れが酷いから。
生き物の血とか内臓とかで……。
#12
竜探しに行ってもらっていた虫たちの大半には、またそのまま探索活動を続けてもらっていて、何か珍しいものがあれば報せるように言ってあった。
今朝方、早速1つ目の報せが届いた。
しかしこの虫たちから届く報せは、報せと言ってもそれはただの信号のようなもので、具体的な情報はほとんど伝わってこない。
わかることと言えば、その報せを発している虫がどこらへんにいるのかということだけ。
だから実際に現地へ行ってみないことにはどんなものが待っているのか知ることはできない。
そして一番最初に届いたその報せは、ここからかなり遠い場所から発信されているようだった。
レイモンドさんの背中に乗って行っても、五日くらいはかかるだろうという位置だ。
どうやら虫たちは、知らず知らずのうちに随分と遠くの方まで探索の域を広げているらしかった。
#13
発信元へ向かう途中に通った砂漠で、一匹の大きな蠍を見つけた。
通りがかった私に気がついたのか、砂の中から勢いよく飛び出してきたのだ。
とはいえその蠍に敵対心などは欠片もないようで、むしろどういうわけか、会ったばかりの私に早くも気を許している様子だった。
頭を撫でてあげると、蠍は嬉しそうに体を震わせた。
ならばと私は、その蠍も仲間に加えることにした。
彼には「チャーリー」という名前をつけてあげた。
#14
レイモンドさんは上空に待機してもらって、チャーリーと数千匹の虫たちを連れて、私は森の中に降り立った。
木々をかきわけ、報せを届けてきている虫の元へ行くと、そこには洞窟があった。
それほど大きな洞窟じゃなかった。
なので、レイモンドさんは至極当然もちろんのこと、チャーリーも入ることはできなさそうだった。
「ここで待っててね」
そう言い残して、私は小さな虫たちとともに洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の中はずっと一本道だったので、一番奥には迷わず辿り着くことができた。
果たしてそこで待っていたのは、『下半身は蜘蛛だけど上半身は人間、しかも性別は女性』、だった。
天井に張りついて、その生き物はじっとこちらを見つめていた。
無表情で。
「ど、どうも」
勇気を出して話しかけてみたけど、特にこれといって反応は見られなかった。
変わらずただ、私を見続けていた。
無表情で。
と思っていたら、不意に彼女が地面に降り、その蜘蛛の足を動かして私に近づいてきた。
その人の手を伸ばし、私の頬に触れてきた。
私の瞳を、じっと覗き込んできた。
「…………」
何をされるのかわからず、不安で、少し怖かった。
敵意などは感じられなかったけど、チャーリーの時と違って、はっきりとした好意も彼女からは感じることができなかった。
たっぷり30秒ほど、彼女はそうしていた。
すると不意に、彼女の興味は私から他に移った。
「あ」
近くにいた虫の一匹を、手から出した糸で捕まえ、彼女は食べた。
「ちょっと!」
すぐにやめるよう言ったけど、彼女は聞かなかった。
続けてざまに2匹目、3匹目と口の中に運んでいった。
堪らず私は虫たちを全員、洞窟の外へと避難させた。
あろうことか彼女はそれを追いかけて、自らも洞窟の外へと出ていった。
「こ、こらっ、待ちなさいっ」
遠くなっていく彼女の背中に思わずそんな風に声をかけたけど、もちろん彼女が聞き分けよく止まってくれるはずもなく。
しかし、洞窟の外へ出た私の目に飛び込んできたのは、チャーリーと彼女が向かい合って対峙している光景だった。
一触即発の空気──と最初はそう思ったけど、敵意を剥き出しにしているのはチャーリーの方だけで、彼女はただそんなチャーリーを見つめているだけだった。
とにかくすぐに間に割って入った。
「チャーリー! ダメだよ、落ち着いて。ほらあなたも、少し下がって」
ところが彼女は、もうすでにチャーリーへの興味を失っていた。
今度はレイモンドさんだった。
木々の隙間から見える、上空にいるレイモンドさんのことを、私やチャーリーの時とは違って食い入るように見ていた。
まぁ、無理もないことだとは思った。
レイモンドさんほどの巨大な生き物はそうそうお目にかかれるものじゃない。
案の定、次の瞬間彼女はすごい勢いでのしのしと木を登っていった。
「…………」
本当に、気まぐれというか、自由気ままというか……。
「ごめん。もう少しだけここで待っててね」
チャーリーにそう言って、私は大きめの蜂君の背中に乗って、彼女の後を追いかけた。
レイモンドさんの長くて大きな体で遊んでいる彼女の姿がそこにはあった。
自前の糸をレイモンドさんに張りつけ、体を振り子のように大きく揺らす。
心なしかどこか楽しそうな表情で(無表情だったけど)彼女はそれを繰り返していた。
レイモンドさんも特に嫌がっている様子はなかったので、わざわざ止めたりはしなかったけど、かといって一向にやめる気配もなくて、私は少し困った。
「一緒についてきてくれるか、聞きたいんだけどな」
しかし彼女は縦横無尽に動き回ることに夢中で、とても話を聞いてくれそうな状態じゃなかった。
──とりあえず、終わるまで待つか。そのうちいつかは飽きるでしょ。
と思った直後のことだった。
木々をなぎ倒しながら、雄叫びをあげながら、突如として巨大な虎が私たちの前に姿を現した。
「チャーリー! 気をつけて!」
真っ先に襲われたのは、その虎の一番近くにいたチャーリーだった。
虎はチャーリーよりも、ふた回りほど大きな体を持っていた。
正直に言ってしまうと、私は、不味いと思った。
──チャーリーがやられちゃう、急いで助けなきゃ。
あんなに大きな虎、あの子じゃ勝てない。
そう思った。
しかしながらその予想は、まったくの的外れだった。
襲いかかってくる虎の首元に、チャーリーは目にも止まらぬ速さで尻尾の毒針を打ち込んだ。
すると途端に虎は意識を失い、地面に倒れ伏し、口から白い泡を吹き、死んだ。
ひとしきりチャーリーの頭を撫でてあげた後、レイモンドさんの体で遊ぶことに飽き、すっかり落ち着きを取り戻した彼女に聞いた。
「私たちと一緒に、来てくれる? 別に何か目的がある旅っていうわけじゃないし、あなたにとっては退屈に感じるかもしれないけど……、それでも一緒に来てくれるのなら、私は嬉しい」
「…………」
口に出しての返事はなかった。
人の体を持っていても、彼女は言葉を話せないようだった。
だけど確かに、私の頭の中には声が聞こえた。
「じゃあ、あなたの名前は、ヴァイオレットね。あなたのその髪の色と同じだよ。──なかなか素敵な名前でしょ?」
こうしてヴァイオレットが仲間に加わった。