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色々と突っ込みどころはあるが、クレハは深くは考えないようにした。ただ「そうですか」と抑揚なく言った。
❁ ❁ ❁
しばらくは二人とも、何も話さずに歩いていた。クレハは、いきなり顔は知っているとはいえ、他人に家まで送ってもらうなんて、大丈夫なのかと考えていた。
(それに…さっきから気になることが…)
クレハとルイスの身長差は27センチ。足の長さはどう見たってルイスの方が長いし、もちろんそれに従い、クレハより彼の方が歩幅が広い。あわせてくれているようだが、彼はクレハの斜め右にいる。
それ自体は、何もおかしいことではない。
おかしいといえば………例えばあの前方に見える曲がり角。クレハの家の方向は、その右手にある曲がり角を進む。
曲がり角にさしかかる前、クレハは曲がろうという動作を、わざとしないようにした。それにもかかわらず、ルイスはクレハに一言も聞かず、なんの躊躇もなく角を曲がった。
(…………気のせいよね)
そう自分に言い聞かせたが、やっぱり少し気になったのであえて冗談っぽく聞いてみる。
「あの、ラザフォード様」
「はい?」
「私の家、もしかして知っていらっしゃったりとか…いや、それは流石にないですよね」
最後の方、少し嫌味っぽくなってしまったが、決して彼がストーカーのようにクレハの家を知っているとは思っていない。断じて思っていない。
ルイスは無表情だった。
(感情が全く読み取れない…これでは聞いて良かったのか、悪かったのかもわからないわ)
「…………………」
「?」
「……………月が…綺麗ですね」
「えっ?いや、あの…今日は曇っていますが」
どういうことだろうか。全く意味がわからない。
「あの日、確か二ヶ月ほど前だったんです。その時も今日みたいに『ハトリ』でケーキを食べようとしたのですが、仕事でいつもよりかなり遅い時間になってしまい…あたりはもうすでに暗く、私が店の前に行くとあなたはちょうど、店から出てきました」
「まっまさかその後を……」
「いえ、たまたま月が綺麗だったので、せっかくです。月の話でもしようと、あなたに声をかける機会をうかがっていました」
それは、つけてるとは言わないのだろうか。ルイスはひと息ついて、再び口を開いた。
「気がつけば、あなたの家の前でした」
心地の良い秋風が吹いた。
暖かい空気と少しの冷たい空気が、二人を包む。
「…それ、十分ストーカー行為じゃないですか」
「普段は男所帯なもので。頭の中では、何度もあなたに話しかけたことはあるのですが、やはりこういう時に経験がものをいいますね」
(この人、危険だ)
声をかけたいからといって、普通家までついてくるだろうか。その時暗かったのなら、そこで声をかけると不審者扱いされるだろう。というか、押しの強さに負けて騎士だということを信じていたが、普通、部隊長ともあろう人が、わざわざリノザの洋菓子店にくること自体怪しい。
第二部隊の駐屯所は隣町だし、その隣町にも確か洋菓子店はあったはずだ。
(そうよ、こんな怪しい人が部隊長だなんて)
衝動的に今すぐ逃げないといけない気がした。あたりを見回しても誰もいない。もし、今ここで襲われでもしたら、何の抵抗もクレハにはできないだろう。
「送ってくださり、ありがとうございました。もうここで結構です」
クレハは勢いよく走り出した。幸いもう家は見えている。ここは自宅に逃げ込むのが吉だろう。
ガチャッ バンッ
鍵を開け、中にすぐ入る。そして流れるように再び鍵を閉めた。どうやらルイスは追ってこなかったようだ。
そこからのクレハの行動は早かった。まずは家中の窓とカーテン(といっても三つしかないが)を閉め、寝室で服を着替え、ドレッサーの前に座った。
確認するようにあたりを見回した。もちろん、誰もいない。
「…引越ししようかな」
ドレッサーの鏡に右手を伸ばす。先ほどまで自分が写っていた鏡面が、ぐにゃりと曲がる。右腕がほとんど鏡の中に入ると、ドレッサーの机に右膝をつけた状態で、顔を突っ込む。そのままクレハの全身は鏡の中へと入っていった。
❁ ❁ ❁
「おい、引越ししたいのか?」
「おかえりとかないのですか。…はい。実は今日、少し厄介なことが起こってしまって」
「厄介なこと?」
「ええ」
いくつもの天井に吊るされたランプが照らすそこは、先ほどのシンプルな普通の民家とは打って変わって雑然とした空間だった。
左には沢山の調理器具が並んだ台所がある。本当に料理に必要なものなのか、どうやって使えばいいのかもわからないものさえある。右は、奥に続く廊下があり、中央の奥にはアンティークな暖炉がある。
壁のあちこちには、緑、緋色、青や綺麗な草花の模様だったり、多種多様な柄の壁紙が、乱雑に貼られている。さらにその上から、見たこともない植物が押し花にされて飾られていたり、よくわからない沢山の種類のハサミ、金槌、その他色々…
まるで趣味が異なる人達が自分の色に部屋を染め上げ、さらにその上からまた違う人が自分の色に染めようとしたような空間だ。
「今日は見てなかったんですか?」
「ああ。ちょっと用事があって地下に行っていたんだが、知り合いにいい酒をもらってな」
中央には机がある。かなり使い古されているようで、角度がまっすぐではない。
その机に二本の前足をおき、後ろ足は椅子に乗っける格好で、陶器製の犬用食器を必死で舐めている犬がいた。異質な空間の中でもひときわ目立っているその犬は、先ほどからクレハと会話をしながらも、その容器から目を離さない。隣には『美酒』と書かれた酒瓶が置いてある。
「それで、厄介なことってなんだ」
「………告白されました」
クレハが答えると、犬は途端に酒を飲むのをやめ、こちらを向いた。