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クレハの姓を変えました。
(お付き合い?)
突然のことで言葉が出ない。その代わりに心の中は大騒ぎしている。
(えっ?結婚?)
妙な空気が店の中を漂う。
しばらくの沈黙の中、口火を切ったのはライラだった。
「申し訳ありません、お客様。まもなく閉店いたしますので、彼女がよろしければそのあとお話になられてはいかがでしょうか?」
全く動かないクレハと、花束をクレハに向け、同じくこちらも全く動かない青年を見てライラは言った。いつもの明るい声ではなく、冷静な声だった。
「すみません。閉店間際なら他の客もいないと思い…」
こんな時でも彼は無表情だ。そういえば、さっき告白する時も無表情だったような気がする。
クレハも少しは相手の表情を見るくらい落ち着いた。
「おっ…お客様、少し外でお待ちくださいませんか?」
「わかりました。外で待っていますね」
❁ ❁ ❁
「…お待たせしました」
秋の暖かさの中に暖色の寒さが混ざり合う。
店の片付けをいつもより少し早く終え、花束を抱えた青年の方に向かった。
「……あの、先ほどの話なのですが」
少し声が震えた。
ゆっくり言葉を重ねるクレハを、青年はじっと見つめている。
「その、いきなりけっ……けけ結婚を前提にお付き合いと言われましても…それに今現在、男性とお付き合いをしようという気は無く…」
「…友人から」
「えっ?」
クレハは、拙い言葉で相手が不快にならないように断ったつもりだ。
「確かにいきなりすぎました。申し訳ありません」
バサっと花束が揺れる音がした。
青年は深々と頭を下げている。
「お願いがあるのですが………あなたにとって私は大勢の中の一人の客にすぎません。きっと今まで気に留めていなかったでしょう」
(いや、他のお客様よりも目立っていらしたので結構気に留めていましたよ)
勢いよく頭が上がりまたバサっと音がした。今度はより強い音だった。
「私を知っていただいてから、告白の返事をいただいてもよろしいでしょうか。つまり、まずは友人として」
彼は無表情でそう言う。
恋人だろうが友人だろうが、今のクレハはどちらもつくりたくなかった。最低限必要な人間関係しか築かないつもりでいたからだ。
クレハは必死に断る理由を探す。
「………お客様ですし」
「もしかして、『ハトリ』のご夫婦が客とはプライベートでの関係を禁止なさっているのですか?」
「いえ…」
いやむしろライラには店を出る前「優良物件じゃない」と言われてしまったし、その隣でロイは同意するように無言で頷いていた。
クレハも含めて店員は皆この青年を貴族だと思っている。
(もういいわ、ハトリ夫妻ごめんなさい。今日から一人、お客様が減ります)
「はっきり言いますが、いきなりお付き合いとかしかも結婚を前提にとか…怪しい方にしか見えません。ですので今後、友人というのはお断りいたしま…」
「そうですよね。いきなり今まで客としてしか見たことがなかった男が閉店間際に押しかけてきて結婚を前提にお付き合いしてくださいなどと…ですがご安心ください。私こう見えて身元はしっかりとしていますので怪しい者ではありません。将来も安泰です。あなたに苦労は絶対にさせません」
(いや友人ですよね…?)
「まずは友人の第一歩として自己紹介を。歩きながらでどうでしょう?送りますよ」
「いつも同じ時間帯を一人で帰るのでわざわざ送っていただかなくても…!」
「大丈夫ですよ」
そう言って彼はクレハの返事を待たず、すたすたと歩き出した。
「ルイス・ラザフォードと申します。年齢は二十五歳、ラザフォード伯爵家の三男です。騎士団に所属していまして第二部隊の部隊長をしています」
「騎士様…」
断っているのにもかかわらず勝手に友人への第一歩が踏み出されてしまった。
貴族というのはあっていたらしい。だが、騎士というのは予想外だった。あまり剣を握っているようには見えない。どちらかというとペンを握っているイメージだ。
(確かに身長はあるし…部隊長ってやっぱり伯爵様の息子だからかな)
「一つ言っておきますが、親のコネというわけではありません。全くそういう力が働いていないとは言い切れませんが、騎士学校では常に学年トップでした」
「…すみません」
「やっぱり思いましたか。大丈夫ですよ、こんなことであなたを嫌いになったりはしません」とルイスはいつもより少し優しい口調で言った。どうやらいつも少し彼が怖いと思っていたことが態度に出てしまったようだ。
「ちなみに騎士だからといって死ぬつもりはありません。この国は今は戦争もなく平和ですが、たとえ戦争になったとしても這いつくばってでも生き延びます。私は自分の妻を未亡人にはしませんから」
「そうですか」
ちょくちょく彼はそういうアピールを入れながらも自己紹介を終えた。
相手だけ自己紹介をして自分がしないというのも変なので、クレハも自分のことを話す。
「クレハ・アスクレーです。年は十九歳になります。『ハトリ』でアルバイトをしています……………………何ですかそれ」
「メモです」
ルイスは歩きながら右手にペン、左手には紙を持ち、腕に花束を抱えながら紙に器用にペンを走らせていた。
ペンを握っているイメージといったがこういうイメージではない。
「これはですね、今あなたの自己紹介を一言一句間違わずにメモをしているのです。もちろん私が、あなたが言ってくださった自己紹介を忘れるはずがありません。息づかいに発音、声の高低までもちろん。ですがやっぱり何か形として残しておきたくて」
息継ぎがなかった。しかも無表情で。