ふとーこーぶ！ ぼくらの不燃系な青春録

二章 脱色人魚

２−３

　部員勧誘リストの一番目との接触はおそらく失敗だった。

　以下は泡音つるぎの観察記録である。

　ファーストコンタクトはかなり、良くないものだったから俺のやる気も消沈するかと思いきや。意外とそんなことはなく、あれからしばらくこっそりと追いかけ回した。多分原因は、あの日拾ったノートだろう。

　こんなことを始めて気が付いたが、泡音には誰かと連む様子が一切ない。俺が見ていないだけなのかもしれないが、他のいわゆる不良っぽかったり派手だったりする子らとは纏う雰囲気が違うのだ。一匹狼とでもいうのだろうか。

　見も蓋もない話をすると、雰囲気というものの構成成分はほとんどが見た目だ。

　泡音の短いスカートはしかし短すぎるというわけでもなく、浮いたそばかすが見えるほどには化粧っ気もなく、あのふわふわとした髪もどうやら巻いているわけではなく思い返せば雨が降った日はぼさぼさだった。ピアス穴も多分空いていない。

　それにいつもおそろしく不機嫌そうな顔をしている。

　それは茨乃も同じだけれど、あの子は全身全霊で「あたしは不機嫌です」と主張するのだ。それはハリネズミみたいな不機嫌で、泡音は不機嫌というよりも不景気だ。声も表情も佇まいもひんやりとしている。

　意外なのは字がとても綺麗だったことと、側を通るとほんのりとタバコと洗剤とどことなく化学っぽい匂いがしたこと、階段を降りるのが下手くそだったことだ。

　前述から、タバコはあえて『意外』。しかし化学っぽい匂いは俺の鼻に合わない香水とかなのだろうか。どこかで嗅いだ気はするのだがわからない。

　階段を降りるのに上手いも下手もあるわけがないとは思うのだけど、あれはなんとなく下手だ。体幹、なのだろうか。あの長い手足は運動には向かないらしい。体育は男女別だから知らなかった。

　宇宙人という評には相変わらず納得がいかないが、強く否定するほどでもないかという印象推移だ。

「とまあ、ざっとこんな感じだ」

「見事にハマってんじゃないのよ人間観察」

　夜迷ひきつった笑みを浮かべて言った。

　ごめんな木之本、馬鹿にして。探偵みたいで意外と楽しかった。

　メモを書き連ねた手帳を閉じた。百均製にしては意外にしっかりした表紙だった。このためだけに買ったから多分もう使わない。

　台風一過の惨状、道に散らばった銀杏の臭気から逃げ込むように入った公園。久しぶりに『部活』で会った夜迷はあからさまに引き気味だった。

　しかし夜迷に非難される謂れはないと思う。

　俺のこと、一方的に知ってたということは夜迷だって同じようなことをやってたはずなのだ。ストーカーだ。

　夜迷は素知らぬ顔でブランコに立ち、漕ぎ出した。ギイギイと鎖が軋む。

「二人乗り、する？」

「めちゃくちゃ錆びてるからやめとこうぜ。あとスカートの都合で夜迷が座る方固定になる」

「あら、それじゃあ絶叫系にできなくなるわね」

　やはり子供げない遊び方をするつもりだったか。

「残念。次回は中に体操服のズボンを穿いてくるわ」

「そういう問題じゃない」

　そしてすぐに飛び降り、滑らかに着地。相変わらず運動神経がいい。

「で、結局どうするの。その子。誘うの？」

「無理そう」

「でしょうね」

　話しかけることすらままならなかったし。

「私は別にこのままでもいいかなと思う」

「そうか」

「でも乙浦クンが変にドタバタしてるのは愉快だからもうちょっと続けて？」

「そ、そうか」

　夜迷の表情を伺う。

　なんの他意もなさげに言われるとそれはそれで困るな。

「聞きそびれてたけどさ。余計なお世話とかじゃないよな……？」

「私、実は部活って好きなの」

　相変わらず夜迷は夜迷の調子でにっこりと笑った。

　遊具に飽きたあたりで公園近くの和菓子屋に行き、買った饅頭の包みを剥がそうとしたあたり、ふと夜迷が聞いてきた。

「ねえ、思い出したんだけど。例の子って、紫のパーカーよね？」

「ああ。ちょっとピンク寄りかも」

　色の判別って難しいよな。

　夜迷は何かを考え込んでいる。

「もしかして、知ってるかも」

「へえ」

　茶色い饅頭を齧る。会話のために小さめに齧ったら餡子に届かなかった。もう一口。うむ、こしあん。

「駅前広場の喫煙所のところで見たわ。同じ人ならね」

「やっぱ吸ってんのか」

「いいえ。喫煙所の仕切りの中で、ぼんやりと立ってるの。変だから覚えてた」

「なんだそれ？ 」

　そんなの臭いだけだろ。

「というか、俺みたいに話しかけたりしなかったんだな」

「私、誰彼構わず話しかける変質者じゃないんだけど！　でも、うん。考えて、話しかけなかった」

「なんで？」

「必要ないように見えたから」

　意味はわからない。論理性なんて相変わらず無いのに確信が滲んでいる。

　強い風が吹いた。金木犀の甘ったるい匂いが届く。

「ね、次の部活はいつにしましょうか」

「気が早いな。まだ昼前だそ」

　◇

　ある体育の授業後、教室に帰ってきてあることに気がついた。

「悪い、木之本。美術室に筆箱忘れた。遅れたら先生に言っておいてくれ」

「あー、はいはい」

　微妙に遠いんだよな、美術室。

　階段を一段飛ばしで駆け上がり、廊下の突き当たりまで急ぐ。

　次の授業はないようで、美術室は電気も消え静まり返っていた。

　先生が見当たらない。どこだろう。準備室か。

　扉に向かい、ドアノブを回した。

　あ、ノック忘れた。まあいいや。

　扉を開けると埃っぽく、どことなく化学っぽい匂いがした。どこかで嗅いだような匂い。

　ああこれ絵の具の匂いだったのか。ちっとも化学じゃなかったな。

　ここに人がいる気配はするのだが、俺が入ってきたことには気付いてないのだろうか。

　角を曲がる。

「先生？」

　しかしそこにいたのは先生ではなく、黒のタンクトップ一枚の金髪……というか。

「は？」

　泡音だった。パーカーどころかシャツも脱いで、左手にパレット右手に絵筆、前にええとなんだっけ、絵を掛ける、そうだイーゼル。

　絵の具もキャンバスも、授業で使うようなものじゃない。もっとなんだか、ちゃんとしたもの。

　硬直する。

　それは椅子の上で腰をひねった泡音も同じだった。

「…………」

「…………」

　泡音は慌ただしくシャツとパーカーを着なおし、画材を木箱にバタバタと仕舞った。

　……え？

　背後の扉が開く。

「あれー、いやー、参ったなー」

　探し人、ゆるいことに定評のある三十路の独身美術講師、瀬戸内先生ののんびりとした声が響いた。

　全然参った感じのしない瀬戸内先生を、泡音がぎろりと睨んだ。

　前に見た睨みはただ目つきが悪いだけだとでも言いたくなるような睨みだった。

「ええー、ぼくに八つ当たりしないでおくれよ」

　瀬戸内先生は怖じない。のほほんとしたままだった。良く言えば人の良い、悪く言えば頼りない、そんな評判はもしかしてあまり合っていなかったのかもしれない。

　先生が俺の方を向く。

「で、きみ。何か用？　ああ、一限に忘れ物ね。はいはい預かってるよー。ってことは泡音くんと同じクラスか。んー、このこと秘密ってほどでもないけどまあどちらかというと秘密ってやつかな。そういう感じでよろしくね」

　のんびりとまくし立てて、瀬戸内先生はひょいと筆箱を手渡した。

　はぁ、と生返事しかできなかった。

　恨めしそうに立っている泡音が怖い。

「そろそろ授業が始まるから戻ってくれるかい」

　先生は素知らぬ顔で泡音を見上げた。

　彼女は相変わらず無表情だけど納得していないような雰囲気だ。

「一時間、使わせてあげる代わりにその日の残りの授業は全部ちゃんと受ける、そうお願いしたよね」

　泡音は仁王立ちで硬直し、黙ってコクリと頷く。

「うん、ありがとう」

　つかつかと長い脚が俺の方へと向かう。

　長い前髪の隙間から潤んだ瞳が覗く。

「だれにも言うな」

　低くて細くて掠れた声で、やけくそ気味に続けた。

「……ノートの落書きのことも！」