九十二話 古本屋 ⑥
「お前! 昨日の!」
扉から出て来た男を見てリンが叫ぶ。お前は昨日の男だと。
「え? え? なに? 昨日? ていうか誰?」
「昨日! お前! ふざけんな!!」
「は? え? な、なんのこと?」
「はあっ!!?」
リンが昨日合った男。シオンやコウジ、古本屋の店主でもない男。抜けきらぬ酒臭さのする男。
「い、いやちょっと待て、昨日飲み過ぎて記憶が……」
「はああっ!!?」
「あ、いや、昨日、昨日だなっ!? えー、……仕事して、夜風俗街に行ったとこまでは覚えてんだが。……え、いやいや待て! 君を? いやそんなはずはない! さすがにこんな子どもに手は……」
「はああああっ!!!!? 子どもおおぉっ!!?」
ただでさえ怒っているとこへ油を注ぐ。子供であるのは事実で知っているが、それを言われるとムカつく難しい年頃なのだ。
「あ、い、いや、その、あのだな……」
「……斬る!」
「ちょ、待て、いっ、いったん落ち着け! わ、悪いが本当にいったいなんのことかさっぱりで……」
攻撃態勢に入りそうなリンに慌てる男。男は本当に何も覚えていないようで、突然怒り狂った少女とエンカウントするという事態にもついて行けていない様だった。
「昨日! ボクの胸触った! 死ね!!」
そんな男へ極めて簡潔に伝えるリン。昨日何をやらかしたのか、そして、これからどうなるのかを。
「へ? い、いや、ちょ、あ、あーー!!! あんなところにぃー!!!?」
「え?」
男が驚きの表情で叫んで、二人の背後を指差す。そして、二人はそれに釣られて後ろを振り向いた。
「んん? 別に何も無いじゃん……、あー!? いない!!?」
二人して指差された方を向いて、振り向いた時には男の姿はもうなかった。音すら立てず瞬時に消える、驚異の逃げ足だった。
「逃げられたあーー!! うぬあーーー!!!」
音もなく消え去った男にギャーギャーと喚き散らすリン。それをどうどうとなだめるミイナ。何故ここに来たのかも忘れた様に古本屋の扉の前で喚く。
するとまた扉が開いた。
「ハァハァ。なんだってんだいったい。あーマスターすまねえ、水を一杯っ……」
「「あ」」
「あ? ああっ!? さ、さっきの嬢ちゃん達!?」
開いた古本屋の扉から出て来たのは、再びの酒臭男。因縁の三度目のエンカウント。
「ちょ、何がどうなって……」
「覚悟ーー!!」
「ぬおお!? ま、待て! 話そう! 話し合おう! 話せば分かるはずだ!」
「悪党の言葉なんて聞くかーー!!」
問答無用と遂に斬りかかるリン。もちろん本気で殺す気など無い脅し程度の攻撃。
だが、意外にもその攻撃を男はビビリつつ避けている。
「ちょこまか避けんな!」
「よ、避けなきゃ止めてくれる?」
「なわけあるかーー!!」
あるかー!と斬りかかるリン。振っても振っても当たらないので、徐々にさらなるイライラが募ってくる。そして、攻撃にも熱が帯びてくる。威嚇の一撃から必殺の一撃へ。
「なああもう! 当たんない! うざい! ……なら、これでも喰らえ!『雷』!」
「『雷』? っ!」
ギィンッ!と甲高い音が響いた。それまではなかった音。男も遂に剣を抜き、リンの刀と男の剣がぶつかり合ったことで響いた音。
リンの「雷」を初見で男が防いだのだ。
「なー!? なんで!?」
「……その技はあいつの技じゃねえか。お嬢ちゃん、なんでそれを知っている」
男の雰囲気が変わる。先程までの酒臭いちゃらんぽらんとはまるで別人の様に。眼は鋭く敵を見据え、剣はいつでも標的を仕留められる様鋭利に輝く。酒臭いちゃらんぽらんから堅牢な騎士へと。
「はあ!? なんでって師匠に教えてもらったからに決まってるでしょ!」
「師匠?」
「リ、リンさん! 駄目ですよっ! 落ち着ついてください!!」
「リンさん? リン……。…………リン、様?」
男はこの時初めて目の前の少女をちゃんと認識した。その少女の名と顔。それは忘れられないかつての記憶と重なり合う。
「あ、あ、ああ……、ああああぁぁっ……!」
男の顔が見る見るうちに崩れていく。彼にとってその顔はどう見えていたのだろう。可愛らしい少女の顔が。笑っている様に見えたのだろうか。悲しんでいるように見えただろうか。それとも責めているように見えたのだろうか。
「リン、様っ……! リン様っ!! ぅああああああぁぁ!!」
「え、え、えええっ!!?」
遂に男は膝からその場へ崩れ落ち、大粒の涙を流し出した。
「申し訳、申し訳ございませんでしたっ!!」
「あ、うん。も、もういいよ。うん。そんなに怒ってないから」
男のあまりの勢いにリンの怒りも収まり、今や引いている。だが、男が言っているのは別の問題だった。
「いや、……俺は、俺はっ! 俺はああぁっ!!」
収まることを知らず更に勢いを増す涙と嗚咽。それは何を意味するのか。積み重なってきた後悔や懺悔の現れだろうか。そして、
「貴方様のっ、ご両親を殺めたのです……!!」
「……え?」
衝撃的な言葉が告げれらた。