六十話 忘れた記憶 ⑥
黒い。黒一色の世界。しかし、さっき黒の世界とは違う。世界が黒いんじゃない。私が黒に包まれている。
心地良い。
黒に包まれてそう思う。私を包む黒。私の影。私の影が私を包んでそう思う。
確信なんてないけど何となく分かる。これからはもう私は私じゃなくなるんだ。もう私がミイナ=ロジャースとして表に出ることはない。ミイナ=ロジャースは影がやってくれる。私はただこの黒の中で心地良く包まれていればいいだけになる。
ここには何も無い。辛いことも苦しいことも痛いことも悲しいことも。私自身も。
もう私頑張らなくていいんだ。
私はもう消えるんだ。
……思い返せば、奇妙な人生を歩んだなぁ。平和で平凡な日々を送っていたら、突如理不尽な悲劇に襲われて。その後悲惨な人生を送るかと思いきや、……うん、やっぱり悲惨な人生を送って。すごい人生だったなぁ。
……悲惨だったなぁ、シオンさんと出会ってからは。
シオンさんの指導は私にはキツ過ぎたもん。走って筋トレしてダッシュしてスクワットして殴られ蹴られこかされて。それなのに教えてくれたのは逃げるとか避けるとか受身とか防御のことばかり。攻撃に関しては何にも教えてくれない。押すとかは攻撃技とは言えないよ。キツイし酷い。悲惨過ぎる。
それに気絶してもすぐ起こされ、死にかけても無理矢理生き返らせられ、休むことすら許されず泣こうが喚こうがしごかれ続けるし。
病気でもないのにしんどくて吐いたのは初めてだったなぁ。ぶっ倒れたのも初めてだったけど。それ以外にも初めてのことはいっぱいあるな。気絶したのもぶっ倒れたのも血反吐吐いたのも死にかけたのも全部初めて。……なんだか嫌な初体験ばかり。
……………うん。でも、良い初体験もあったか。例えば、リンさんと出会えたこと。あんな可愛い天使みたいな人に出会えたのは初めてだし嬉しいことだな。
コウジさんと出会えたことも。良いかは分からないけどあんなにナルシ……、自分に自信を持ってる人と出会えたのも初めて。ドンさんと出会えたのもそうか。あんな見た目怖いのに中身はすごく優しい人は初めて。すごく良い人だよねドンさん。
……そして、シオンさんと出会えた。
あんなに胡散臭くてイジワルでウザくて優しさの欠片も無くて人の神経を逆なでするのに特化していつもヘラヘラ笑って私を馬鹿にする人は初めてだった。思い返せば……、嫌な事ばかり。馬鹿にされた記憶、笑われた記憶、遊ばれてた記憶、煽られた記憶。あれ? 良い記憶が無いぞ?
…………でも、いつも見てくれていた。私のことを。いつも見守っていてくれた。笑いながらだけど。馬鹿にして、笑い者にして、おもちゃにしつつだけど。それでもいつも私を見守って、助けてくれた。私なんかを。
…………ああそうか。きっとシオンさんには全部バレてたんだ。私の忘れた記憶のことや私の浅ましい考えのことも。だから、シオンさんは私に攻撃を教えなかったんだ。私が間違えた方向に行かない為に。まあ、勝手な推測だし合ってるか分からないけど。
でも、シオンさんが教えてくれたことを間違えはしない。
シオンさんが教えてくれたのは自分を守る方法。逃げて、避けて、受身して。相手を倒す為じゃない。全部自分を守る為のこと。シオンさんは私に私を守る術を教えてくれた。
だから、私は私を守らなければいけない。困難なことがあるなら逃げよう。関わりたくないことは避けていこう。影に受身を取らせよう。そう、私を守るんだ。
……なんてことは許されないか。シオンさんが教えてくれたのは全部戦闘時のこと。それ以外で逃げて避けて受身を取るなんてことは許されていない。キツイ修行からは逃げられないし、無茶苦茶な無茶振りは避けられないし、シオンさんの嫌がらせからは受身なんて取れない。私に守ることは許されてないし出来ない。
それじゃあ、どうしようか。困難なことや無茶苦茶な無茶振り、嫌がらせへ私はどうしよう。
決まっている。されるがままにするんだ。だって、どうしようもないもん。勝てないもん。精一杯の抵抗をしても師匠達には蟻を潰すかのように踏み潰されるもん。だから、抵抗もせず困難なことでも無茶苦茶な無茶振りでも言われた通りやる。嫌がらせは受けて泣く。弟子に拒否権なんてないから。
だから、今回もされるがままに師匠達が言う通りにしよう……、あっ、今回は師匠達しなくていいって言ってたな。みんな、しなくていい、逃げていいって言ってくれたな。
でも、私は従わなかった。初めてだ。師匠達に拒否権を行使して許されたのは。
それなら、私が頑張らないと。自分が決めたんだから。他の誰でもないこの私が。私自身がやらないと。
『………………ガッ!?』
黒い世界から黒の世界へ。私は影に包まれた心地の良い世界から出ていく。私が自分の足で自分で立つ。
『グッ……。何故だ? 何故歯向かう? 全てワタシに任せればいいものを』
「何故ってあなたも知ってるでしょ? 私は師匠達を失いたくないの。一緒に居たい。だから、今回は逃げられない。師匠達に歯向かったんだから。師匠達はやらなくていいって言ったのにやるって決めたのは自分だから。ここで逃げれば彼らから見捨てられるかもしれない。だから、私は逃げない」
私がやるって決めたこと。師匠達に反対してまで決めたこと。それなら、私がやりきらねば師匠達は私を見限るだろう。そんなことは絶対にイヤ。
『逃げないだと!? 弱いくせに何を言っている!! 弱くて卑怯でヘタレで意気地なしのくせに!! ワタシに全て任せればいい! ワタシが何もかも壊して潰して破壊してやる!! 敵対するやつ、ウザイやつ何でもまとめてぶっ壊してやるんだ!」
「出来ないよ。だって、そんなこと教えてもらってないもん」
『うるさい! 全てを、スベテヲハカイスルンダ!!』
影が大きく広がり私を覆う。さっきとは違い私を潰すために。覆い、潰す。でも、
『グウゥ!! ナゼダ!? ナゼトリコメナイ!?』
「さあ。何故って言われも私には分からないよ。でも、もう私は取り込めないと思うよ」
覆った影は私が手さっと振るだけで弾けた。
『ダマレ!! オマエゴトキ、オマエゴトキガチョウシニノルナ!!!』
弾けた影はもう一度集まり、私の形を取る。だが、先程のような強さはない。弱々しく、怯えを隠すように虚勢を張る。ああ、見たくない。そんな姿を見せないで欲しい。心が痛むから。
「……もう決めたの。私は私自身がやる。他の誰でもない。私が」
『ダマレエェェ!! オマエガヤルカラナンダ! ヨワイクセニ! カテナイクセニ!!」
「……うん、そうだね。私は弱い。今も私はあなたが私だなんて認められないでいる。私は強くないから。私は、あなたを直視出来ない」
頭では理解している。今目の前にいるこの影は紛れもなく私の影であり、私であることを。ずるくて、汚くて、傲慢で、殺したい。私の見たくない私。でも、私はそれを認められない。自分にこんな一面があるなんて認められる程心は強くないから。
「私は弱い。それにヘタレで意気地なしで面倒くさがりで。………………それに、ずるくて汚くて卑怯で傲慢で人を殺したいと思っている。私は弱い人間だ」
認められない。私はこんな人間じゃない。心がそう拒絶する。
「……でも、弱いけどもう逃げないって決めたから。私は前に進まなくちゃいけない。だけど、私だけでは進めない。私は一人で歩くことすら出来ない。だから、……だから、あなたの力を貸して」
私は前に進まなくちゃいけない。私のために。でも、私は一人で歩くことすら出来ない。いつも誰かに導いてもらって歩いてきた。一人じゃ歩けない。導いてくれる人もいない。だから、あなたが一緒に歩いて欲しい。
『チカラヲカセダト!? ナゼヨワイオマエナドニ!!』
「弱いのはあなたも同じ。あなたは、……認められないけど私なんだから。私が強くなるために。私が勝つために。そのために私は、弱い私はあなたに力を借りて強くなる」
私が弱いなら誰かに力を借りればいい。それは師匠の力であったり、私の力であったり。誰かの力を借りて弱い私を強くする。
『フザケルナッ……! ワタシガスベテハカイスルンダ!』
「でも、あなたじゃ今の私には勝てないよね。なんとなく分かるよ。この世界は力の強さより精神の強さの方が大切なんだよね」
さっき攻撃されて、してすぐに回復したのは身体より精神が重要な世界だからだろう。
私はもう決めた。もうブレることはない。だから、今の私の精神は影よりも強い。
『グッ、ウゥ……。ワ、ワタシハ……』
「別にあなたを消すなんて言ってないよ。一緒に頑張ろうって言ってるの。私の、ミイナ=ロジャースのために」
『……ミイナ=ロジャースノタメニ……』
ミイナ=ロジャースのために私とあなたで頑張る。一人では弱くとも二人でなら少しは強くなれるはず。
『………………ハ、ハハ、アハハハ!』
影は大きく笑いだした。その笑い声には先程までのトゲトゲしさはなく快活で朗らかなものだった。
『聞こえの良いように言ってるけど全部自分の為じゃない! 一緒に頑張ろうじゃないでしょ? ワタシを利用してやろうでしょ?』
「……バレた?」
『そりゃバレるよ。だって、ワタシは私なんだもん』
バレたか。私の心の本音が。私は弱くて卑怯だから。心の奥底はそんなすぐには変わらないみたい。
『いいよ。ワタシを利用させてあげる。どうせ私の言う通り今はワタシが私に勝つことは出来ない。それなら、さっさと負けを認めて利用された方がマシ。どこまでも卑怯な私。変わったと思わせて何も変わってない。全て自分のため』
そう、全ては自分のために。変わらない私のため。
『でも、少し進めたね。忘れた記憶を思い出した。ワタシを知って、認められなくなった。自分で一歩進めたね。でも、この先は大変だよ? 本当に進むの? 逃げなくていい?』
「うん。私が決めたことだから。逃げない。逃げられない。大変でも進むの。それにこれからはあなたも一緒に来てくれるんでしょ?」
前に進む。これからの道がどんなに困難でも進むしかない。大丈夫。私は一人じゃない。私は、私自身と共に歩む。それに師匠達もついている。いつでも見守ってくれる。
『じゃあ、最後の記憶を思い出して。あの後何があったのか。これからどうなるかを』
前へ進むために過去へ振り返ろう。そして、すぐまた振り返って前へ進むんだ。一人じゃなくてみんなと共に。