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五十九話 忘れた記憶 ⑤

「わ、私……?」


 黒一色の光無き世界に現れた人物。茶色の髪に瞳。いつも鏡に映っていた顔立ち。私、ミイナ=ロジャースと同じ見た目の女性。


「い、いや、そんな訳ないよね……? ……誰ですか?」

『ワタシは私。あなたと同じミイナ=ロジャース』


 姿形がそっくりのそいつは私と同じだと言う。私と同じミイナ=ロジャースだと。


『シオンさんに言われたことを忘れたの? この世界は私だけの世界。全てが私のもの。ある物居る者全てが私の記憶。そして、ワタシの世界』


 確かにシオンさんにはこの世界は私の世界だと言われた。全てが私の記憶から成る世界で、シオンさんですら干渉出来ないと。この世界を支配するのは私と、


『もう分かったでしょ? そう、ワタシは私の影。ミイナ=ロジャースの影』


 私の影。この世界を支配するのは私と私の影。


「……私の影ならさっさと元の世界に返して下さい。もう記憶の追体験は終わって、やることはないでしょ?」


 今は黒一色の世界となっているが、さっきまでは違った。記憶の追体験をしていた。そして、色々なことを思い出し、追体験は終わったはずだ。


『ううん。まだやることは残ってる。記憶の追体験もまだ終わってない』

「終わってない? それなら、早くその記憶を……」


 私が影に詰め寄ろうとした時、ヒュッと目の前を光が通る。その光の正体はナイフだ。


「な、なにするんですか!?」

『私が記憶を思い出す必要なんてないの。だって、もう私は要らないから。ミイナ=ロジャースはワタシだけで十分。だから、消えて』


 突然の攻撃から戦闘が始まる。影はナイフを構え、私へと襲いかかる。私を殺すために。対する私は突然のことに戸惑いから抜け出せず、ナイフすら抜けていない。ただ襲い来る攻撃から身を捻るのみ。


 影からの猛攻が続く。でも、猛攻と言えど弱い。手数はそこそこあっても遅いし避けられる。私はようやく抜いたナイフを手に持ち、反撃へと転じることを決める。


 ナイフを構え、影の攻撃を避ける。下からの切り上げ。そして、次は上段からの振り下げが来る。これをいなして反撃しよう。この程度なら、簡単に……


「え? あがっ……!」


 いなそうと構えたナイフをすり抜け、影のナイフが私を深く斬り裂いた。なんで、振り下ろされる途中でナイフが消えた? あれは、今のは……


『雷。私も知ってるよね。リンさんに教えてもらった唯一の攻撃技。振り下ろす途中で軌道を変える技』


 深い。影のナイフは深く斬り裂いた。身体中から力が抜けていく。立っていることも出来ない。私は為す術も無く後ろへよろめき、仰向けに地面へと倒れてしまう。


『深く入ったね。安心して。私が死んでも、ワタシがミイナ=ロジャースとして生きていくから』


 倒れた私へ近寄り、影は私を見てくる。仰向けの私は影と目があった。


 あの目だった。あの嫌な目をしていた。無力で何も出来なかったあの時の、あいつの目。憐れむかのようなマルク=ブラウンの目。


 止めろ。そんな目で私を見るな。私の顔でそんな目で私を見るな。お前は私じゃない。なのに、その顔で私を見下すな。止めろ。止めろ。見るな。見るな。見るな!


「あああぁぁ!!!」


 私は飛び起き、そいつへと襲いかかる。そして、抵抗もせず押し倒されるそいつ。押し倒され、私が馬乗りになっても顔色一つ変えず同じ目でこちらを見てくる。


「止めろ! そんな目で私を見るな! 私じゃないのに! 私じゃないのに私の顔してそんな目で見るな!!」


 馬乗りになった私は握り締めたナイフを一切の躊躇無くそいつの顔目掛けて振り下ろす。


「死ね! 死ね!! 死ねぇ!!!」


 絶叫と共にナイフを振り下ろす。振り下ろされたナイフはそいつの顔へ深く切り込み、鮮血がほとばしる。赤く染まるそいつと私。そんなことお構いなしに私は突き刺したナイフを引き抜き、再び突き立てる。


 肉が裂け、血が飛び散り、目は抉れ、耳は切り落とされる。私は何度も何度もナイフを突き立てた。そいつが動かなくなろうとも。元の原型が分からなくなろうとも。


「ハァ、ハァ。ハァ……」


 呼吸が乱れようやく手を止める。私の手もそいつも真っ赤だった。黒の世界を赤に染め上げる程の光景。そんな赤い光景を見て私は……、


「……………ハ、ハハ、ハハハッ、アハハハハハァッ!!」


 笑い出した。嬉しそうに気持ち良さそうに。これ以上に無いほどの笑い。大きな声で愉快に。笑って、笑って、そして、見た。


 笑っていた。醜い笑いだった。口角は大きく上がり、食いしばった白い歯が見えている。目は大きく見開き、歪んだ光を灯している。赤い血で顔を塗らし、それはそれは見るに耐えない程の醜い笑顔が下にあった。


「っ! あっ……、きゃあ!!」


 身を捻られ、バランスを崩したところを押し飛ばされる。押し飛ばされた私が立ち上がると同じぐらいにそいつも立ち上がった。


『どうしたの? 自分の顔を見て何を驚いてるの? そんなに可愛かった? そんなに綺麗だった? ……それとも醜かった?』


 ぐちゃぐちゃに抉れていたはずの顔はどこに行ったのかそいつの顔は綺麗に元通りとなっていた。そして、楽しそうにこちらを見てくる。


「違っ、違う。違う! 私はそんな顔してない! そんな……そんな酷い顔なんて!」


 私はあんな顔をしていない。口角を大きく上げ、目に歪な光を灯した笑いなんて。あんな、あんな楽しそうな顔なんて。人を殺して楽しそうな顔なんて、しない。


『何言ってるの? 酷い顔? 違うでしょ。良い顔でしょ。だって、気持ち良かったんでしょ?』

「な、なに言って……」

『ワタシをぐちゃぐちゃにしている時すごい快感を感じてたでしょ? 我を忘れて没頭するぐらいに。肉を裂いて、目を抉って、飛び出てくる血に、死んでいくワタシ。それが気持ち良かったんでしょ』

「そんな……」

『いつも魔物を殺す時も一切躊躇しないもんね。普通少しは躊躇するんじゃない? でも、私は躊躇しない。今はまだやったことなくても人間相手でもそうだろうね。だって、殺すことに、相手が死んでいくことに快感を感じるもんね』

「ち、違っ……」

『敵は全てマルクだと心の底で認識しているから、一切の躊躇も無く、殺せたら快感を得る。悲しいね。とんだ自慰行為だよ。本物のことは名前も顔も忘れてるのに。でも、殺したいことだけは覚えているからこんなことになってる』


 理解出来ない話をそいつは言う。一体何を言っているのか。訳がわからない。でも、私は否定が出来なかった。


『それに私は……』

「うるさい!! 私じゃないのに、私じゃないのに勝手なこと言うな!!」

『……だから、ワタシは私なんだってば。ワタシはミイナ=ロジャースの影。同一人物なの』

「黙れぇ!! そんなこと知らない! 私は認めない!! お前が私の影だなんて!!!」


 認めない。私は認めない。こいつは私の影なんかじゃない。私は、私はこいつとは違う!


『はぁ……。じゃあ、私しか知らないことでも言ってあげようか? 初恋の相手は五歳年上のカインさん。当時カインさんは十歳だったけどもう彼女が居て思いを伝えることもなく諦めたんだよね。リラさんの畑に内緒で花を植えたこともあったよね。リラさんは笑って許してくれたけどお父さんに初めて怒られてびっくりしたよね。人の物なのに勝手なことするなって』

「な、なんで知って……」

『そりゃワタシだもん。ミイナ=ロジャースのことは何でも知っている。全てを覚えている。私と違って忘れたことはない。他には……』


 そいつはつらつらと私しか知らないはずのことを話す。私が過去に何を経験し、どう思ったかを。私しか知らないはずのことを。それを私はただ黙って聞いているしかなかった。


『それに知ってるよ。シオンさんと出会った時何を思ったかも』

「!」

『圧倒的だったよね。あんな強そうなドラゴンを余裕で、一撃で倒しちゃうんだもん』

「止めて……」

『憧れたよね? 尊敬したよね?』

「いやっ……」

『そして、この人を利用しようと思ったんだよね』

「違う!!!」


 耳を塞ぎ、目をつぶろうとも聞こえてくる見えてくる。影の声が、姿が。


『違わない。私は思った。この人を、この強さを利用すればマルク=ブラウンなんて簡単に殺せると。名前や顔などは忘れても誰かを殺さないといけないことだけは覚えてたから利用しようと思った。だから、その強さを求めシオンさんに弟子入りをお願いした』

「違う違う違う……」

『自然にシオンさんの力を借りるために、それとこんな強い人なら自分を楽に簡単に強くしてくれて自分で殺せるかもなんても思ったよね。だから、弟子入りなんてことをした』

「違う違う……」

『でも、シオンさんの指導がきつすぎてそれどころじゃなくなったけどね。毎日ぶっ倒れるまでしごかれて気絶すれば起こされ死にそうになれば無理矢理生き返らせられて。大変だったよね。それでも、続けられたのは自分が強くなるため。そして、師匠達、強さを失わないため』

「違う……」

『シオンさんもリンさんもコウジさんもみんな利用してやろうと思ったんだよね。全てはマルク=ブラウンを殺すために』

「………………」


 私へと影が近付いて来る。ナイフはしまい、両手を広げ、ゆっくりと。


『全部知ってるよ。だって、ワタシは私。私もワタシ。私もワタシも同じ一人の人間。ミイナ=ロジャースだもん』


 影が私を抱きしめる。その両手は暖かく、温もりがあった。


『悲しかったよね。辛かったよね。でも、もう大丈夫。安心して。私は一人じゃないよ。ワタシがいるから。全部、ゼンブワタシニマカセテ?』


 黒へと包まれていく。


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