五十四話 心得 ④
「昨日はどうだった? ミッちゃん?」
「……普通でした」
コウジさんの指導を受けた次の日、遊びに行って私を見捨てたシオンさん、リンさんと再会していた。
「普通だったんだ?」
「いつも通り打たれるだけでしたし」
コウジさんの指導もシオンさんやリンさんの指導と変わらなかった。師匠が攻撃して、それを私が避ける。もちろん、避けれるわけ無いから喰らって痛い思いをする。何も変わらない。
「違ったのは心得を教えて頂いたぐらいですかね」
違っていたのは心得を教えてもらったこと。「明鏡止水」と「先手必奪」の心得。これを会得出来れば私は更に強くなれる、らしい。
「こころえ? ……あー、はいはい。ココロエね。心得」
「……まさかとは思うが、忘れたとは言わないだろうな? この私が教えたことを」
「……覚えてるよ。あれでしょ? ほら、えーと、えー…………めーきょぉーしすい?と、せん、せん、先手! 先手、……あっ! 先手必勝!!」
「必奪だ。馬鹿者」
目をキランと輝かせ指をビシッと指し答えたリンさん。でも、間違ってる。リンさん……。言葉の響きだけを覚えませんか。めーきょぉーしすい。
「はあ、まったく。この私が教えてやったことを忘れるなどあり得んことだ」
「わ、忘れたんじゃないよ! ド忘れしただけ!」
「一瞬でも忘れた時点で変わらんわ。仕方ない、久々に稽古をつけてやろうリン。準備はいいな?」
え、コウジさんがリンさんに稽古をつける!? これはちゃんと見とかないと。でも、本当にリンさんに稽古をつけるなんて出来るのかな? コウジさんも強いけど、リンさんだってすごく強いのに。
「い、いやだ」
「ハハハ。この私が稽古をつけてやると言っているんだぞ? これ以上にない光栄なことだというのに何を言っている」
「いやなものはいやなの!!」
「ハハハ。忘れたのかリン? 弟子は師匠に対して拒否権などない。さっさと構えた方が自分の為だぞ」
「いやーーー!!」
……どこの師弟関係も変わらないんだなぁって思いました。
「準備はいいか?」
「よくない」
「では、始めよう」
「耳無いの?」
「ミイナもよく見ておきたまえ。心得を会得した者とそうでない者の違いを。心得実戦編だ」
「…………」
渋々と言った様子で刀を抜くリンさん。短めの刀を二本両手に抜き、前屈みで構える。それに対しコウジさんは刀を抜くどころか構えすらしない。何も持たずただ余裕の表情で突っ立ているだけ。
「さあ、いつでもかかってきたまえ。久々に私と稽古が出来るから感慨に浸るのもしかたな」
「死ねぇ!!」
コウジさんがべらべらと話している途中にリンさんは攻撃へと出た。て言うか、リンさん「死ねぇ!!」って……。
「ハッハッハ。懐かしいな。昔はよくこうして稽古をつけたものだ。フフッ。感慨に浸っているのは私の方だったか。ハッハッハ」
リンさんの怒涛の攻撃。それをコウジさんは余裕綽々にいなしている。……と思われる。いや、だって、リンさん早すぎて動きどころか姿を捉えることすら出来ないし。
「なあああああ!! 避けんなああぁ!!!」
リンさんの叫び声が聞こえる。おそらくコウジさんに対して言ったことなんだろうけど、よく分からない。コウジさんそんなに動いてないようにしか私には見えないから。ちょっとは動いてる風に見えるけど、そんなリンさんの攻撃を避けてるようには見えない、と言うよりそもそもリンさんが見えない。実は二人共何もしてないんじゃないの。ねえ? シオンさん?
「あ? なに? お前見えてねえの? ぷっ。俺はバッチリ見えてるけど」
私何も言ってないのに。ただシオンさんの方見ただけなのに。何も言ってないのに馬鹿にされた。まあ、その通りなんですけど。
「リンも頑張ってるけど、相手が悪すぎるな。完全に操られてる」
リンさんコウジさんに操られてるんだ。あっ、それって先手必奪のコツで言ってた第三段階のやつだ。でも、あれは相手より力量がないと出来ないって言ってたのにそれをリンさん相手にするなんて。すごい。何も見えないし本当なのかも分からないけど。
「操るってどういうふうに操っているんですか?」
「リンの行動の二手も三手も先を読んで、その予想通りにリンが動くように色々仕掛けてるって感じだ」
「へえー」
うーん、よく分からない。そもそも二手三手も先を読むって何? 一手先ですら読めないのに。
「え? まさか二手三手どこか一手先ですら読めない? うわっ……。いったいどんな指導を受けてきたんだか」
また何も言ってないのに馬鹿にされた。まあ、今回もその通りなんですけど。でも、そんな指導をしてきたのはあなたです、シオンさん。
「お前『明鏡止水』と『先手必奪』とか言う心得教わったんだろ。言葉から推測するに心を一定に保つことと、常に有利な状況を作れってことだろ? この二つの心得通りに動けば一手も二手も三手も先を読むことなんて簡単だろ」
「……ふっ」
ふっ、シオンさんも分かってない。そういうのは言うは易く行うは難しって言うんですよ。言うのは簡単でもやるのは難しいんです。まあ、私の場合は難しいじゃなくて絶対出来ないんですけどね。
「何笑ってんだお前?」
「べ、別になんでもないですっ」
あっ、危ない。また顔に出てた。これじゃあ明鏡止水は遠いなぁ。
「……明鏡止水で心を一定に落ち着かせ、どこかへ集中することなく相手の全体を捉える。武器や脅威となるものへの恐怖があるとそればっか見ちまうからな。そして、全てを平等に捉えることで些細な変化にも気付けるようになる。それこそ、あいつクラスなら指一本、呼吸一つでも変化を捉えるだろうな」
明鏡止水によって相手の全体を捉え、些細な変化にも気づく。指一本、呼吸一つでさえも。私がそんな事出来るようになる日なんてくるのかな? 全然想像出来ないや。
「そして、捉えた変化から次の行動を予測し、準備する。それの繰り返しだ。最もあいつの場合は一つの変化で二つも三つも先を予測し、そう相手が動くように誘導してるけどな」
「……へえー」
一つの変化で二手も三手も先を読むことなんて出来るのかな。
「あっ、見ろ。あいつ動くぞ」
そう言ってコウジさんを指差すシオンさん。動くって攻撃に出るってこと?
見ているとコウジさんはおもむろに右腕を斜め前に差し出した。でも、出しただけで別段何かしようと言う感じじゃない。ただ出しただけのような。
と思ったら、今まで姿も捉えられなかったリンさんが急に現れた。現れたって言うより止まった。
リンさんが止まったと同時にコウジさんは左腕を右と同じように斜め前へ。そして、次の瞬間、
「捕まーえた」
リンさんを両腕で抱きしめた。
「なああああ!!! 離せええええぇぇ!!!!」
「ハッハッハ。そう恥ずかしがるな。ただ抱きしめただけではないか。キスすらしてないんだぞ?」
「ぎゃああああキモイイイイィィ!!!!」
コウジさんに抱きしめられて大絶叫のリンさん。ジタバタともがくも完全に抑えられている。ああ、かわいそう。でも、なんだかリンさんからコウジさんに抱きしめられに行ったような……?
「こらこら暴れるな。ただのスキンシップだ。恥ずかしがることなんてないぞ。ほーれほれ」
「ニギャアアアアァ!!!!」
何とか脱出しようと暴れるリンさんを抑えて頬ずりを始めたコウジさん。うわ……、かわいそう……。
「はあ、まったく。私とハグ出来ることがどれほど光栄なことだと思っている。嬉しくて昇天してもおかしくないと言うのに」
「…………う、うえええぇぇ! ミ゛ッぢあゃん!! うええーーん!!」
うわぁ……、リンさんガチ泣きだ。やっと熱烈な抱擁から解放され泣き出すリンさん。うん、でも、気持ちは分かる。私もあんなのされたら寝込みそう。
「さっきの一連のコウジの動きはただ腕を出しただけじゃない。あれでリンの左右や後ろなど前へ行く以外の行動を封じ、ああなるように誘導したんだ」
なるほど。リンさんが抱きしめられに行ったように見えたのは間違いじゃなかったんだ。両腕を前に出すだけで誘導するって、私には全く持って理解出来ない世界だな。って、泣きついてきたリンさんをあやしながら考える。
「うえっ、うええ……、ひど、ひどぐないっ……? キモいキモいよぉ……」
泣きじゃくるリンさんをなだめる。かわいそうに。でも、泣きじゃくるリンさん可愛い。私に抱きついて泣いてるのかわいそうだけど嬉しい。役得。
「ん? あれは……。どこかで見た大男君ではないか?」
こんなに泣いているリンさんに対し、泣かした張本人であるコウジさんはどこかあさっての方を見て何か言っていた。そんな訳わからないこと言ってないでリンさんに一言でも謝ればいいのに。なに大男君って。自分だって十分背高いじゃないですか。それなのに大男君なんて。そんな人居ないですよ。
そう思いながらも気になるので仕方なくコウジさんが見ている方を向くと、確かにそこに人影があった。着ている服も身体も傷つきボロボロでふらふらとした今にも倒れそうな足取りでこちらに向かってくる影が。
「…………え? あ、あれ……」
はじめは遠くて小さかった。だけど、ふらふらとこちらに近付いてくるに連れ、その大きさが大きくなっていく。その人は大きくてコウジさんの言った通り本当に大男だった。
「ドン、さん……?」
満身創痍のドン・オーガストの姿がそこにあった。