百話 過去 ⑧
現れたのはレオニクス。そこまでは間違いなかった。だが、違っていたのはそのレオニクスが普通ではなかった。全身重厚な鎧に身を包み、剥き出しとなった刃が光る。戦闘時のレオニクスだったのだ。
「……抵抗はしないで頂きたい。痛みを感じさせたくない」
「何を言っているのレオニクス!? あなた、何を言って、何をしようとしているのか分かっているの!?」
レオニクスに対しイザベラが声を荒げる。だが、ルーカスは違っていた。
「…………落ち着くんだ。イザベラ。従うしかない」
「ルーカス!? あなたも何を言ってるの!? 誰か助けを……」
「助けを呼んだって無駄さ。今この城内にレオニクスに勝てる人間なんて居やしない。……その為のイモータルデーモンの封印破壊だろう。コウジとシバルトを不在するための。それにどうせ外には兄上の私兵が待ち構えてる」
もうルーカスは全てが分かってしまった。何故イモータルデーモンの封印が解かれたのか。何故今日に限ってレオニクスが兄に呼ばれていたのか。何故レオニクスが今ここに居るのか。
「……はあ。まさか君とはね。考えてもなかった。でも、考えれば君が適任か。妻と娘を溺愛する君が」
「え!? ま、まさか……」
「兄上に脅されてるんだろう? 僕を殺さなければ妻子を殺すと」
ルーカス自身も相当な強さを持っている。王国内でも勝てる者など一握り。そして、その一握りの中で城内を自由に動くことができ、脅せる材料も持つ者はレオニクスだけだった。
「……分かった。僕を殺すといい」
「ルーカス!?」
「でも、イザベラは見逃して欲しい」
ルーカスは判断する。ここで自分に勝ち目はないと。勝ち目がないならその中で最善を選ぶしかないと。
「……出来ません」
「…………まだ言ってなかったけど、イザベラのお腹には新たな命が宿っているんだ」
「なっ…………」
レオニクスが知らなかった事実。喜ばしいはずの事実が今は知りたくなかった。
「君も親なら分かるだろう。分かるからこそ今ここに居る。だから、イザベラは見逃せ」
「………………」
彼がここ居るのは愛する妻子の為。それが、間違っているのも分かっていた。だが、逃げられるわけがなかった。
「出来ないと言うなら、僕は力づくでも逃がすよ。そうなると困るだろう。僕では君に勝てなくとも、君の腕ぐらいはもっていける。そうなると犯人だってすぐバレて、君も家族も結局死ぬだけだ」
ルーカスではレオニクスに勝てない。それでも負傷させることぐらいはできる。ルーカスが死んだ丁度に負傷したレオニクス。そうなれば、誰の目にも明らかだ。
「剣を下ろせ。抵抗なんてしない。……少しだけ時間をくれ」
少しの沈黙の後、レオニクスは剣を下ろし、二人へ背を向けた。
「……イザベラ。ごめんね、君に負担を強いることになって」
「…………あなた……」
「そうだ、名前。生まれてくる子の名前を決めよう。色々案を出していたよね」
「やめて…………」
顔を逸らすイザベラと、そんな彼女を優しい目で見つめるルーカス。これが最後になることを認めたくなかった。
「何がいいかな。アリス、サナ、ユウカ、マーシャ……、…………リン。そう、『リン』だ。きっと可愛くて元気な子に育ってくれる。『リン=アリッジ』」
そっとイザベラの腹を撫でる。生まれてくる我が子を慈しむ様に。その子の未来に光があらんようにと。
「それとこれを。アリッジ王国国王のみに伝えられる神器『達人の刃』。これが君達を守ってくれる。……不甲斐ない父の代わりにね」
「そんなこと言わないでっ……」
ルーカスからイザベラに渡されたのは一つの黒い筒。神器達人の刃。王にのみ伝えられし神器。これが二人を守る刃となる。
「……さあ、行くんだ。大変だけど、頑張って。頼んだよ達人の刃。お前の主はこれからは僕じゃない。リンだ。そして、主として最後に命ずる。イザベラとリンを守れ」
そっとイザベラの背を押すルーカス。これが最後。彼女と生まれてくる子へ、祈りを込めて。
「……ありがとうレオニクス」
「…………俺は、感謝などされる立場ではありません」
「そう自分を責めるな。君は立派だ。家族を守ったんだ」
「……お、俺は……。俺はっ…………!」
「……大丈夫だよ。僕もイザベラも、コウジもシバルトも。それにリンも。君のことを恨んだりしない。君は父として家族を守ったんだ。ただ兄上が一枚上手だっただけさ。さあ、一思いにやってくれ。痛いのはごめんだ」
レオニクスを迎え入れる様に両手を広げる。
抵抗などしない。責めなどしない。君は悪くない。君の未来にも光があらん様にと。
「王妃が一人で出てきました。どうします?」
「……レオニクスはもう中へ入っている。知られてると考えた方がいい。知った者は消せ」
「了解」
部屋の外。静まり返った廊下をイザベラが一人走る。黒い筒を抱え、涙を流しながらも必死に走る彼女。夫の意志を、生まれてくる子の未来を、妻として、母として守らなければならないと。
だが、その前に立ちはだかる輩達が。
「な、なにあんた達……!」
「やれ」
立ちはだかる兵士達だけでなく、物影に潜んでいた兵士達もが、一斉にイザベラへと襲いかかる。四方八方から、イザベラ一人には過剰すぎる戦力で襲いかかる。
だが、今の彼女は一人ではない。
「ぎゃああああ!」
「な、なんだこれうぎゃっ!?」
解き放たれし神器。その威力は凄まじく、兵士達をいとも簡単に屠っていく。
「怯むな! この程度、ぐっ! ぐおあぁあ!!」
ほんの数秒。ただそれだけの時間で、襲いかかった兵士達を全滅させる。
「一体何の騒ぎ……、なっ!?」
「あ、あなたは……」
「王妃様!? それにこの光景は!?」
騒ぎを聞きつけて現れたのは、ブラウン家当主ラクス=ブラウン。目の前の光景に驚愕しつつも、そっと王妃へと手を伸ばす。
「……さすがは神器。マーカスの精鋭も相手にならないか」
「っ! レオニクスッ……!」
後ろから声がし、レオニクスの姿が。その姿は先程までの姿と変わっていた。
鎧や剥き出しの刃は、赤く色を変えていた。
「お前は誰だ?」
「わ、私はラクス=ブラウン。ブラウン家の当主だ」
ラクス=ブラウンは一歩前に歩み出る。イザベラを庇うようにレオニクスの前に立ち、震えつつも目をそらさずに。
「……丁度いい。王妃をコウジとシバルトの元へ連れて行け。ラッソの地にある、イモータルデーモンの封印の場だ」
「な、なにを言って……」
「早くしろ。従わないならお前も殺そう」
赤く光る切っ先が向けられる。それが何を意味するのか、二人はそれぞれ、その意味を理解する。
「……行きましょう」
「し、しかし、王妃様、」
「行くの。行くしか、ないの」
レオニクスに背を向け、歩き出す。もう後ろを振り返ることはない。振り返ることは出来ない。託された未来を守る為に。前を向くしかないのだった。
歩き出した二人の背中をただ見つめていたレオニクス。彼は前へ歩き出さなかった。
「…………光があらんことを」
彼は振り返り、暗闇へと消えて行った。
「……その後、イモータルデーモンとの戦いに勝利したコウジとシバルトの元へ王妃は届けられ、二人によって匿われることになりました。しかし、心身共に負担が大きかったのでしょう。貴方様をお産みになられて、すぐに亡くなったと聞きます。これが事の顛末です」
一連の結末を語り終えたレオニクス。リンとミイナはそれを黙ってじっと聞いていた。
「申し訳ございませんでした……。全ては俺の弱さのせいです」
レオニクスはリンへ深く頭を下げる。それは謝罪というよりも、その首を差し出すかのように。斬ってくれと言わんばかりに。
「……どうして謝るの? 悪くないでしょ?」
それに対し、リンは怒るわけでも責めるわけでもなく、何故謝るのかと問う。
「しかし、俺が、王を……、貴方様のご両親を死に……」
「それは今の王様が悪いんでしょ。色々たくらんで、ボクの両親を殺したんでしょ。……あなたも殺されたんでしょ」
「っ!」
騎士としての誇りを、仕えるべき主も、かけがえのない友も、家族も、全てを失ってしまった。生きる意味を失った彼は、殺されたも同義だろう。
「悪いのは全部王様! それ以外は誰も悪くない! ね?」
「…………リン様っ……!」
その瞳は、かつての光を思い出させた。優しきあの温かな光が。
「よーし、それじゃ、王様ぶっ倒しに行くよ! 行くよ、ミっちゃん!」
「え?」
勢いよくリンが椅子から立ち上がる。
「なにしてんの? 早く行こ」
「え、いや、王様倒すって……」
「悪いのは王様でしょ? だから、ぶっ倒しに行くんだよ」
「いや、そんな簡単に……」
ちょっとおつかいに行くぐらいの軽いノリで、国王討伐をしようとするリン。あまりに軽いノリに困惑しつつ、それを止めようとミイナがした時、
「そーそー。止めといた方がいいぜぇ? 後悔することになるぞ?」
影が現れた。