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画家の恋

作者: 東京 澪音

人物は描かないと決めている。

それがどれだけ周囲から期待されていても、だ。


風景画に転進してみたものの、自分が思い描く作品を未だ描けずにいる。

元々は人物画を得意とし、人物だけを描いてきた。


寧ろそれ以外は描きたくないって程に人物画が好きだった。


人物画には表情がある。勿論、他のものに表情がないとは言わない。

波にだって表情はあるし、空にだって山にだってソレはある。


でも僕を虜にしたのは人物画であって、その柔らかな表情なんだ。

多くの有名画家が描いた作品を見ていると、それらを感じ取ることが出来る。


そこに僕は惹かれて、自身もそこにどっぷりと骨を埋めたんだ。


では何故人物画を描かないのか?


それは酷い失恋をしたからなんだと思う。

画のモデルは当時付き合っていた彼女。将来を約束した間柄だったが、些細な事で口論となり破断。


あんなにも互いを尊重し合っていたにも拘らず、たった一つ心のボタンを掛け違えただけで、こうも人間変わってしまうものなのか?


罵り合い、いつしか互いを憎悪の対象でしか見る事が出来なくなっていた。


エントリーしてしまっていた為、取りやめる事も出来ず、最終的にモデルだけは何とか最後までお願い出来たものの、作品を書き終えると、彼女は荷物をまとめそそくさとこの部屋を後にした。


皮肉な事にその時描いた作品は、評論家の目にとまり、念願だった入賞をも果たした。

入賞を機に、将来を約束されるはずだったが、僕は全てを捨てた。


僕が表現したかったのは、こんなものじゃないんだ!


こんな作品で評価された事に悔しささえ込み上げてくる。

その絵からは、当時の彼女の気持ちが滲み出ており、悲しみと憎悪しか感じ取る事が出来ない。

それは書き手の僕も同じだ。


評論家やそれを見たであろう人達がどう感じたかは解らないが、納得いく作品に仕上がらなかった上に、その納得いかない画に最高の評価を頂いてしまった。


入賞できなかった画家たちからは、なんと贅沢な!そう、罵られてしまうかもしれないが、どうやっても僕には自分の気持ちを誤魔化す事が出来なかった。


まだ青臭い子供だったんだろう。


この事を機に、一度は画の道を捨てたものの、今まで画しかやってこなかった僕には、その他で糧を得る方法が見つからず、一時はまるでホームレス寸前まで落ちた程だ。


見かねた知人が、更に知り合いの伝手を頼りに、僕にでも出来る仕事を斡旋してくれた。


”非常勤講師”

今、美術専門学校の講師として、何とか日々の糧にありつき、どうにか食いつないでいる。


今日は全ての授業が終わり、特にやる事もないのだが、家に帰る事を戸惑わせ、仕方なくアトリエの窓から見える夕暮れの街並みをスケッチしている。


あんなにも好きだった画が、今では苦痛の対象となりつつある。

それはそうかもしれない。

好きでもないものを描いているのだから、こんなにも退屈でつまらないものはない。


こうやって適当にこれからも自分を偽って僕は生きて行くのだろうか?

それはそれで楽なのかもしれない。


ため息を一つ吐き、自身の哀れな姿に失笑したところで、アトリエの扉が開いた。


「失礼します。」


その顔には見覚えがある。

僕が教える生徒の一人で、もうすぐ卒業を控えている生徒だ。


彼女はとても優秀である。

絵の才能も高く評価されており、この春デザインをメインに扱う会社に就職が決定している。


「どうかしましたか?」

そう尋ねると、僕のスケッチを見ながら答える。


「先生は、もう人物画は描かれないのですか?」


その言葉に少しだけ胸がチクリと痛んだ。

正直あまり触れられたくない。


どう答えていいのか解らない僕を横目に、彼女は言葉を続ける。


「私は先生の作品を見て画を志しました。自身の専攻も人物画です。この学校を選んだのも先生がいたからです。なのに先生は人物画の指導はしてくれませんでした。作品も。もう何年も描いていらっしゃいませんよね?あの時見た先生の作品に、幼かった私の心は突き動かされた。そして手を伸ばせば、目標とした先生に手が届くというのに・・・。何故です!?」


とても申し訳ない気持ちだった。

もしも僕が彼女の立場だったら、きっと同じ事を口にしただろう。


目標にしていた者が、見るも無残にこうも落ちぶれてしまっている。

やり切れない思いは、騙された気持ちで一杯なんだろう。


「すまない。こんな僕が評価してはいけないのかもしれないが、君の作品はどれもとても素晴らしい。間違いなくこれから君の名は知れ渡っていくだろう。でもね、僕みたいな人間を目標にしちゃいけないんだ。もっと志が高い人を目標に掲げて欲しい。期待を裏切ってしまった事について、心から謝罪する。すまなかった。」


僕は椅子から腰を起こし、その場で彼女に深く頭を下げた。


「なんでですか!?なんで謝るんですか!?別に先生は何も悪い事してませんよね!?勝手に尊敬して、勝手に慕ったのは私です!それに私が欲しいのは謝罪の言葉なんかじゃない!まして頭を下げるそんな姿でもない!私が見たいのは先生の作品なんです!それが例えどんなに醜いものだったとしても!」


泣いているんだろうか。

彼女の顔をまともに見れなくなる程、その言葉は僕の心に大きく響いた。


「・・・責任を。責任を取ってください。」

そう言うと、アトリエの隅に片づけられていた椅子を引っ張ってきて、西日の差す窓の近くに彼女は座った。


しばらくの沈黙の後、僕はそれまで描いていた風景画を破り捨てた。

そう、僕が描きたかったものは風景画じゃないんだ。人物画なんだ。


僕は彼女をこの世界に引きずり込んでしまった責任を取らなければならない。それが今の僕に出来る最大の誠意だ。


彼女の顔を初めてまともに見たかもしれない。

その表情を見た僕は改めて気づかされた。どうして画家を志したのか。


きっと彼女も僕の絵を通して同じ気持ちだったんだろう。


押さえていた感情はタガが外れ、僕は夢中で描いた。

彼女のその輪郭に筆を入れた時、彼女の表情から彼女の想いが伝わって来た気がした。


作品を描き終えると、僕はそれを彼女の方に向ける。

「今僕に出来る最大限の誠意です。」


その言葉に、彼女の顔はさっきまでのものとは違い、表情がとても柔らかい優しい笑顔の彼女に戻っていた。


「自分で言い出したことですが、作品から心情が読まれてしまうって、結構恥ずかしいものなんですね。これじゃ、私の気持ちバレバレじゃないですか!?」


恥ずかしそうに。でもとても嬉しそうにその作品を見つめる彼女。


僕はなんてちっぽけだったんだろう。

その事に今更ながら気が付くなんて。


「ありがとう。君のおかげでまた人物画を描く事が出来そうだよ!これはそのお礼と、僕から君への最初のプレゼント。」


彼女にその画を差し出して答える。


「受け取ってくれるかな?」


大切そうにその画を胸に抱きかかえると、彼女は大きく頷いた。

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