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ギネン 1

 入学式に広告部へ入部して依頼、大学内でキリン先輩と会えば声を掛け合うようになった。

 隣のテーブルの女子グループが、スプーンを口に突っ込むたびにスボズボ音を鳴らしながらプリンを食べるキリン先輩を見て笑っている。

 こういうのも、初めのうちは死ぬほど恥ずかしかったのだが、最近は悲しいかな少し慣れてしまった。

 キリン先輩について、この1カ月でわかったのは国民的アイドルグループも真っ青になるほど、学内での知名度が抜群に高いことだった。

 それはもう、ズバ抜けて悪い方に。


 キリン先輩と行動を共にするようになって1週間ほどで、主に忠告や密告のような形で、自然と僕のところには情報が集まるようになった。

 例えば、必修科目の英語講義で声をかけてきた化粧がきつめのAさんは、


 「キリン被った人と知り合いなんだって? あの人、サークルの4年が1年の時からずっといるらしいよ。毎回手ぶらで講義受けて、メモも取らずに最前列で講義聞いて帰るんだって。しかもテストは受けに来ないから単位取れないし、何しに来てるかわからないって言ってた」


 ……確かに。

 また、基礎デザインの講義で声をかけてきたチャラ男風のBくんは、


 「キリン被った人が描いたデッサンを見たって先輩がいるんだけどさ、めっちゃウケるんだぜ。みんな石膏像をデッサンしてるのに、そいつだけリアルなキリンを描いてたって。それでまた単位落としてたってよ。馬鹿すぎんだろー」


 ……馬鹿だねー。

 さらに、学食で隣のテーブルから聞こえてきた噂によると、


 「キリンが隣だったから講義中に話しかけたらさー、なんか怒って『キリンですら真面目に講義を聞いているんですから、しゃべってないで聞いてください』とか言われたんだけど。じゃあ、聞いてても単位取れないお前何?って感じだよね」


 ……仰る通りですが、それはアンタも悪いよ。

 人を伝って聞いた、あくまで噂だ。

 多少脚色されているかもしれないが、それを加味しても謎だらけだし、明らかに変だし、卒業する気ゼロだ。


 まあ、キリンを被ってる時点で変人なのは覚悟していたが、ここまでとは思っていなかった。

 何より致命的に困っているのが、ほぼ間違いなくキリン先輩の外見によって、広告部に人が入らないことだ。

 入学式以降、数人の生徒が見学に訪れたのだが、そのほとんどがキリン先輩を訝しむ顔で「考えさせてください」の一言を残し去っていった。

 過去3年間部員が入らなかった原因は、間違いなくこれだ。

 にも関わらず、キリン先輩は全くもって悪びれておらず、もう逆に気持ち良いくらい開き直っている。

 この調子で、ちゃんと制作依頼がくるのかどうかも怪しい。

 このまま6月に入れば、部員の確保は絶望的だ。

 プリンを食べ終えてスマホを見ているキリン先輩に、状況を聞くことにした。


 「その後、入部希望者とか、見学に来た人からのリプライはありませんか?」


 「んー、無いねぇ」


 「……もう少し危機感持ちましょうよ。本当に歓迎会二人でやるつもりですか?」


 「そう言われても、来ないんだから仕方ないでしょう。高宮くんがいることで入りやすくなってバンバン入部してくるはずだったんだけどねー」


 「僕のせいみたいに言わないでください」


 腑に落ちないが、キリン先輩の言うことも一理ある。

 学生会館の掲示板を見て、見学に来る生徒は一定数いるし、新入部員がいることでキリン先輩一人だけの時よりもハードルは下がっているはずだ。

 それはつまり、僕も同類の目で見られているということなんだろうか。

 キリンを被ってる人と同評価で見られるのも心外だけど、『できれば関わりたくない人』といった位置づけで避けられていることは間違いない。

 まあ、元々人付き合いは苦手だし、全然これっぽっちも気にしてない。

 ……全然ってことはないですごめんなさい。


 ただ、それとは別に、少し気になっていることがある。


 「そういえば、最近誰かに見られてる気がするんです」


 キリン先輩はスマホの画面から目線をゆっくりと僕に向ける。

 そのいつになくゆっくりとした動作から、表情が見えなくても思っていることが伝わってきた。

 全く信じていないし、相当面倒くさそうだ。


 「なんですかそれ。その幸薄そうな顔で自意識過剰ですか?」


 「キリン顏に言われたくねぇ……。そうじゃなくて、誰かにつけられているみたいなんです」


 「男性からのそういう相談はお断りしておりますので」


 「なんて分かりやすい合理主義! いや、真面目に聞いてくださいよ」


 「めんどくさ……じゃなかった。しょうがないなぁ、高宮くんは。でもまあ、そういうのは気分や状況から悪い方に推測した被害妄想が多いのも事実ですよ」


 「まあ、そうかもしれませんけど」


 確かに、キリン先輩のいうことも一理ある。

 慣れてきたとはいえ、やっぱり他人の視線は気になるし、あまり気分のいいものでもない。

 それに、少なからず悪意の籠った目で見られているから、尚更だ。


 「先輩は、他人の目とか気にならないんですか? さっきも結構な注目を集めてましたけど」


 「そうですね、やっぱり気にはなりますね」


 意外だな。その姿でそれを言えることも意外だし、気にしてるのも意外だ。


 「意外ですね。気にしていないのかと思ってました」


 「動物園で日々人目に晒されるキリンの気持ちですかね。彼らが人間に感謝してると思うのはエゴですよ。まあ、僕にはこの辺しか見えてないので、見られてるかどうか分かりませんけどね」


 そう言いながら、自分の目線を手で表している。

 そうだった。この人は哺乳類の中でも視覚に秀でた動物の格好であるにも関わらず、見えているのは前方に開けられた穴部分だけだった。

 ということはつまり、


 「恥ずかしい思いをしていたのは僕だけだったんですね」


 「ん? なにか恥ずかしいことありました?」


 「……いえ、なにも」


 そうだ。見えない方がいい。

 色々と噂は聞くけれど、先輩はこんな格好はしていても、案外普通というか、常識をわかった上で少しだけで外れて、これ以上逸脱しないように注意しながら生きている気がする。

 他人の目がちゃんと自分に向いてて、それが好奇の目だけじゃないってことを知ったら、今のままキリンを被ってはいられないと思う。

 もちろん外して欲しいと思っているけれど、それは先輩が納得した理由で、自発的なものであって欲しい。

 それに何より、それは僕の役目だ。

 これだけ巻き込まれているんだから、その御尊顔を最初に拝むのは僕でないと割に合わない。

 そう、今だって……


 「先輩、左後方から写真撮られてますよ」


 僕からは見える位置から、一人の女子生徒がスマホでこちらの写真を撮ろうとしていた。

 いくら先輩でも、無許可で写真を撮られるのは嫌だろう。


 「え? どこどこ? どこ見てポーズとったらいい?」


 「ポーズとらなくていいですから……僕、注意してきます」


 先輩は顔が出てないから良いかもしれないが、僕は困る。

 SNSで拡散でもされたら、どんな実害に繋がるかわからないし、プライバシーなんてあったもんじゃない。

 席を立ち、女子生徒の方へ向かう。

 近くまで来ると、顔が見えるかと思ったのだが、黒い前髪が顔の輪郭あたりまでかかっていて全く見えない。

 そんな前髪長くて、よく前が見えるなと感心しながら声をかける。


 「あの、写真を撮るのはやめ……」


 僕が言い終わるのを待たずに、写真を撮っていた女子生徒はドタバタと激しい音を立てながら席を立ち、一目散に逃げていった。


 「ええー。逃げられてるじゃないですか」


 先輩はその様子を見ながら、あくまでも他人事だ。


 「まさか、あんな俊敏に逃げるとは……。悪いことに使われなければ良いんですけど」


 「大丈夫ですよ、素顔はバレてませんから」


 「……僕のコレは被ってませんよ?」


 この先も、こんなことが多々あるんだろうか。

 こういうことの積み重ねが、ストーキングされているという被害妄想に繋がっているのかもしれない。


 「高宮くん、今日はバイト?」


 「はい。5限終わったらバイト行きます。また見学者が来たら教えてください」


 「わかりました。じゃあ、歓迎会の件も確認よろしく」


 互いに席を立ち、キリン先輩とはその場で別れた。

 食器の返却口にトレーを置いて学食を出る。

 相変わらず、今日のお日様は今シーズン最高の絶好調ぶりを発揮している。

 頑張ってカレーうどんを食べたからか、心なしか僅かばかり涼しさを感じないという事もないようで、つまり全く涼しくない。

 時期は少し早いかもしれないが、教室にエアコンをつける臨機応変さを備えた設備管理者がいることを願いつつ、僕は次の講義がある5号館へ向かった。

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