シケン 4
「……それは、被っているキリンを取れ、ということですか?」
スルーしていた部分が、突然突出して主張を始めたので面食らってしまった。
「その通りです。高宮くんが直接触れることなく、コレを取ることができるかどうか、これが試験課題です」
なるほど、この試験課題のためにキリンを被っていたのか。
よかった。
キリンとか名乗るし、いつまで経っても外さないから、本当に頭がアレなんじゃないかと疑いだしていたところだ。
要するに被り物を脱がせればいいんだな。
僕が触れずに外すとなると、キリン先輩に自ら外してもらうしかない。
だとすると、おそらくこの課題は発想力やコミュニケーション能力を確かめるのが目的だろう。
その結果次第で、広告部に相応しいかどうかを見極めるつもりなんだ。
過去3年間合格者が現れなくて、一人になってしまったのかもしれない。
よほど納得できる動機付けが必要、ということか……。
まるで古い童話にある『北風と太陽』みたいだなと思っていた。
あれは確か、太陽が勝っていたはず。
だったら、まずは古典に習って……
「この部屋やけに暑いですね……あ、先輩のそれも掛けときましょうか?」
僕はスーツの上着を、となりのパイプ椅子に掛けながら言う。
名付けて『私、気が利くんですアピール女子作戦』だ。
さあ、どうだ。
「お構いなく」
……だろうね。
まだまだ、今のは軽いジャブさ。
次は『スカルプシャンプーで延命作戦』でいこう。
「そういえば、こないだテレビで見たんですけど、長時間の帽子着用は頭皮にダメージが大きくて、将来の毛髪に影響するらしいですよ。まあ、先輩は帽子被ってな……あの、それ、預かりましょうか?」
「……お構いなく」
……だろうね。
これ、なんて無理ゲー?
そもそも、先輩の匙加減じゃないか。
「どうしました? 今日はもう辞めておきますか?」
先輩はしばらく考えていた僕に、明日以降の延長を勧める。
……いや、まだだ。
そういえば、ツールは何を使っても良いんだった。
僕はカバンから、昼食に買った生協の袋を取り出した。
「生協で買ったプリンがあるんですけど、よろしければ食べませんか? これ学生が開発したらしくて、今売れてるみたいですよ」
いくらなんでも、食べる時は外すはず。
その名も『過剰摂取は痛風になるよ作戦』だ。
「あー、そのプリン食べてみたかったんですよ! この大学の生徒も開発に参加したみたいですね。頂いていいんですか?」
「もちろんです!」
……勝った!
案外あっけない幕切れだったな。
プリンを手渡しながら勝利の余韻に浸っていたのだが、肝心なことを忘れていた。
「あの……ス、スプーンがないです」
ちくしょう、なんてことだ!
やっぱりあの時戻っておけばと悔やんだが、残念ながら改造したデロリアンも持っていないし、自宅の押し入れに猫型ロボットも住んでいない。
「あ、そうですか。ここにもスプーンは置いてないので……持って帰ってもいいですか? プリンには目が無いもので」
僕は力なく頷いた。
他に方法はないか考えてみたが、どんな作戦を発案しても、脳内で無理と却下される。
今日は諦めて、明日に持ち越すしかなさそうだ。
……持ち越す?
そうだ、持ち越せるんだった。
「……すいません、今日は無理そうなので、明日また挑ませて貰えますか?」
ここから先は、少し語気を強めて一気に言った。
「明日駄目でも、取れるまで毎日来ます。そうすると、先輩はいつまでたってもキリンを被ったまま、ということになってしまいますね。早々に外した方が得策だと思いますが?」
制限時間も回数制限もないなら、これもアリなんじゃないかと、ちょっとした言葉の揚げ足取りのつもりだった。
すると、キリン先輩は今日一番の大きな声で笑いだした。
顔は見えないが、動作からすると笑泣きしているんじゃないかと思った。
頑なに外さなかった被り物を、今は本気で邪魔に思っているように見える。
というより、息が苦しそうだ。
「いやー、君は面白そうだと思ったんですけど、そうくるとは思ってなかったですね。いいですよ、合格です」
一頻り笑った先輩は、落ち着きを取り戻して言った。
どうやら、僕の発想は合格だったようだ。
それにしても、正攻法でパスする方法があるんだろうか。
「そもそも、これって正解があるんですか?」
「ないですね。最初から、外すつもりがないんですよ。試験もやるつもりなかったんですけどね」
なんだと……。
「じゃあ、今までのは一体?」
「いやー、面白そうだったから、ちょっと試してみたくなりまして。いきなり真面目な顔して『入部試験、お願いします』とか言うし」
キリン先輩は、驚くほど憎たらしい口調でさっきの僕を真似している。そんな言い方してないし。
さっきまでこの試験の目的を真面目に考察していたのが馬鹿馬鹿しくなるような理由で、僕は試されていたのか。
「だったら、なぜ試験があるなんて書いていたんですか?」
先輩は言うか言わないか迷うように暫く無言になり、先程までの笑いを振り払って話し出した。
「……僕に関わると大学生活をある意味では楽しめなくなる。それでもここに入るのか、続けられるのかを確かめるのが目的です。実際には試験も用意してませんし、説明を聞いた上で入部を希望すると言うのなら、全員を入部させます。まさか入学初日に希望者が現れるとは思っていませんでしたが」
希望者の意思確認の為に試験というハードルを用意したということか。
まるで『自分に関わると不幸になる』ような言い方だけど、そんな風には見えないし、どちらかと言えば良い人のように感じる。
見た目はまだキリンだけど。
……ん?
試験をやるつもりがないんだったら、なんでキリンなんか被っているんだ?
「あの、そろそろキリン外しませんか?」
「え? 外しませんよ」
「……はい?」
「僕はキリンですから。さっきも言いましたけど、学内でキリンは僕だけですよ」
嘘だろ……そんなハズがない。
「いやいや、冗談ですよね?」
「キリンは嘘つきません」
キリン先輩はキメ顔で答えている様子だが、残念ながら見た目に一切の変化はない。
……アレだ、この人本物のアレだ。
もう言っちゃうけど馬鹿だ。
次の部員が入るまでは一人と一頭……マジか……詰んだな、これ。
早まったことをしてしまったと、心底後悔してはいるが、サークルとしては申し分ない。
唯一の難点は、部員のひとりがキリンを被っているだけだ。慣れれば問題はない。たぶん。
それに、キリン先輩は面倒くさくて変な人ではあるが、悪い人には思えなかった。
顔は見えないけれど、声や受け答えから、なんとなく大人びているように感じる。
「そういえば、先輩は今何年生なんですか?」
「何年生というか……この大学に9年いますね」
……がっつり大人じゃねーか! どんだけ学生やってんだよ!
「いくらなんでも長すぎですよ……卒業しましょう」
「まあ、試験は冗談だったんですけど、それまでに僕からコレを取ってみせてください。その時は相応の報酬を用意しますよ」
先輩は試験の説明の時と同じように、耳を少し持ち上げながら言った。
9年間もいて、誰もこの人の顔を知らないのか……。
それだけの難題なら、年末ジャンボクラスの報酬じゃないと割に合わないと思うのだけれど、自分から言いだした手前もある。
「わかりました。常時狙っていくので、覚悟しといてください」
そう言う僕に、先輩は無言で頷いた。
まるで、本当に取ってほしいと、思っているみたいに。
シケン編の完結です。
思いの外このエピソードが長くなってしまいましたが、ここから始まる物語なので書き込んでおく必要があるように感じていました。
登場人物2人でどこまで引っ張れるか、僕も楽しみです……。