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シケン 2

 学生会館を出て、新入生に配られた資料の校内マップを開く。

 目指す旧部室棟は裏門の一番近く、今いる学生会館とは真逆の一番遠い場所に位置している。

 ちょっと面倒な距離だが、この際なので学内の見学も兼ねて、少し遠回りしながら旧部室棟に向かおう。

 施設案内によると、最近新しく運動部用の新部室棟ができたため、既存の部室棟を文化系サークル用として使われるようになったのが『旧』と呼ばれる所以らしい。

 新部室棟は正門にほど近い、というか、学生会館から見えている。

 なんだろう、この敗北感。


 向かう途中、学食や売店のある建物があった。大学では売店のことを生協と呼ぶらしい。

 生協はコンビニのような1階と、2階には本やちょっとした家電製品まで置いてあった。

 学食で何か食べてみたかったのだが、昼食時で混雑していたため、僕はパンとお茶を買い、外で食べることにした。

 食後のデザートには生協で見つけた『生協オリジナルプリン』を買ってある。商品開発を学生が行ったらしい。

 図書館の前まで来ると、噴水のある公園のようなスペースになっていて、脇に並んだベンチで数人が昼食をとっていた。

 数本の大きなイチョウが噴水の周りを囲うように立っており、その木漏れ日と噴水が反射する光とが交錯して、空間一帯に心地よい雰囲気を醸し出している。

 空いているベンチに座ってパンを食べ、デザートにプリンを食べようと思ったところで、スプーンが入っていないことに気がついた。

 生協の人が入れ忘れたのだろう。

 かといって、今から貰いに行くのも面倒くさい。進行方向とは逆だ。


 「不快だ」


 ……口に出てしまった。

 周りには聞こえていないようだが、最近独り言が多くなった気がする。

 仕方ないので、プリンは持って帰ることにした。

 僕は食べ終えたパンのゴミと一緒にプリンをカバンに入れて、図書館の裏側にある旧部室棟へ向かった。


 旧部室棟の外観は、コンクリート打ちっ放しの建物で、他の講堂や図書館よりも古びた雰囲気だった。

 中に入ってすぐ、目の前の光景が、僕の足を止めた。

 廊下や階段の壁という壁が全て、チラシや新聞、シールなどで埋め尽くされている。

 最近貼られたと思われるバンドのフライヤーから、紙の質感からかなりの経過年数を思わせる新聞、お菓子に付いているオマケのシールまで、それらは幾重にもなって複雑な色彩を表面に映し出していた。

 その迫力に当てられ、動くことが出来ない。

 ここにあるのは、この大学で過ごした生徒たちの足跡そのものだ。

 4年間の大学生活を勉学だけで終わらせない、自らの成果を誇示するような彼らの思いが、今もこの場所で複雑に絡まりながら主張し続けている。

 まるで「お前も頑張れよ」と背中を押されているような、不思議な高揚感に満たされる。

 その時、背後から聞こえた足音で高揚感は一気に薄まり、我に返った。

 入り口を塞いで邪魔になっていたのかもと、申し訳なく思いながら振り向いたが、後ろには誰もいなかった。

 誰かが入り口付近を通り過ぎただけだったのだろう。

 壁に貼られたものを眺めながら、3階へと向かう階段を登っていく。


 ひとつの階には4部屋あり、広告部の304号室は階段と逆側の一番奥にあった。

 小さなタグで「広告部」と書かれた鉄のドアを前に、少し緊張しながらノックをすると、コンコンという高い音が廊下に響いた。


 「はーい、どうぞー」


 中から気の抜けた返事があり、少しホッとしながらドアを開ける。


 「失礼しま……」


 言いかけて、止めてしまった。

 部室の中には、無造作に置かれた本や雑誌、テレビにゲーム機……そして、キリンがいた。

 いや、人だ。キリンを被った人だ。

 ということは、あの張り紙にあった担当者はこの人なのか?それでキリン?そんな馬鹿な。


 「……失礼します」


 言いかけた挨拶を言い直すと、キリンを被った人は部室の中央に置かれたテーブルに座った。


 「どうぞー。こっちに座ってください」


 促されるまま、テーブルの向かいに座る。

 怪しすぎる。どう見ても被り物だ。

 もしかして、何かのパフォーマンスだろうか?

 勧誘活動の一環に被らされているのかもしれない。

 訝しむのと同時に、少し納得もしていた。

 きっと造形学部の生徒だろう。

 芸術に携わる人に変わった人が多いのは、実体験としても心当たりがある。


 「スーツということは…新入生ですか?」


 「はい、造形学部の高宮和人と言います」


 「なるほど……ご入学おめでとうございます。僕はキリンと言います。そう呼んでください」


 何に納得されたのか疑問だが、自己紹介された名前が見たままで、面食らってしまった。

 入学式に合わせたパフォーマンスではないのか?

 いずれにせよ、聞きたかったのはそっちじゃない。


 「はあ、キリン……先輩ですか? 本名なんですか?」


 「まあ、あだ名みたいなものですけど、大丈夫です。この大学でキリンは僕一人なので」


 いや、たぶん日本でもあなただけだと思いますけど。

 本名が気になる……だが、これ以上踏み込むのも気まずいし、この様子だと聞き出せそうにない。

 キリンについては、ひとまず流しておこう。


 「あの、学生会館の張り紙を見て来たのですが……」


 「もしかして、入部希望?」


 「いえ、どんなサークルなのかと思いまして」


 そういった途端、キリンの塗装された目が潤んで見えた気がしたのだが……きっと気のせいだ。


 「……そっか。では、簡単にご説明します。ここはサークルではありますが、他のサークルとはちょっと違うんです。大学内の広告代理店と言いますか……つまり広告屋です」


 キリン先輩は、僕を正面に見据えながらそう言った。

 表情は見えないが、中ではおそらくドヤ顔をしていると思われる自信満々の口調だった。

 目の前にいるのに、左右に離れた草食動物特有の目によって焦点が合わず、物凄く話しずらい。


 「どういうことですか?どこかの広告を作っている、ということですか?」


 僕の質問に頷きながら、おそらくドヤ顔のままで言った。


 「そうです。高宮くんが見た学生会館の勧誘ポスターは、全て広告部が手がけたものです」


 まさか、あのポスター全部を、この広告部が作った?

 作れない数ではないかもしれないが、相当な時間や手間もかかっているはずだ。

 あのクオリティで全てを作るなんて、俄かには信じられなかった。


 「凄いですね……ここで作られたのですか?」


 僕は部室の壁際に置かれているデスクトップパソコンを見ていた。

 制作作業は、そのパソコンで行ったのだろうと思ったからだ。


 「いえ、ここで作ったのは広告部のものだけです」


 「え? でも全部手がけたって」


 「実際に作業をしたのは、サークルに所属している方と、手伝ってくれた造形学部の学生です。高宮くんはディレクションって知っていますか?」


 僕は無言で頷いた。

 もちろん知っているし、すぐに納得した。

 ディレクションは映画やテレビのエンドロールにあるディレクターと同じように、広告物の制作を指揮すること。

 つまり、広告部の部員は、各サークルのポスター作成に必要な人員や材料を集めて制作を指示した、ということだ。

 実際に制作作業を行っていないとはいえ、素直に凄いと思った。

 クライアントであるサークルの代表者から要望を聞き、それをデザインする担当者へと引き継ぎ、作成に必要な人材を選定して依頼し、完成したら引き渡す……といった流れだろうか。

 きっと、サークルの代表者や、制作作業を依頼する学生との連携には相当な時間や労力が必要だっただろう。

 僕は、その苛酷さや苦悩を、よく知っている。

 それに携わる人を、それに躓いて倒れてしまった人を、僕はずっと見てきた。

 にも関わらず、なぜあの人は広告を作り続けたのか、その答えを知りたくて僕は……。


 「もちろん、全部ではありませんよ。学生会館に貼ったものだけです。依頼があっても、状況次第で断ることもありますし」


 僕が不安になっていると思ったのか、キリン先輩は少し早口にそう言った。

 凄いと思うと同時に、どうしても気になることがあった。

 さっき、キリン先輩は学生会館に貼ってあった広告部のポスターだけは、ここで作ったと言った。

 間違いなく、部員の先輩たちは、かなりハイレベルなデザインスキルや知識を持っている。

 そうでなければ、あれだけのものを作るディレクションができるはずがないからだ。

 だとしたら……


 「なぜ、広告部のものだけ、ポスターじゃなかったんですか?」


 キリン先輩はまたドヤ顔になっていると思われる口調になって、僕の質問に質問で答えた。


 「では、高宮くんはなぜ、ここに来たのですか?」

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