シケン 1
4月4日、入学式の日。
これから始まるキャンパスライフと、初めての一人暮らしに浮かれていた、と思う。
ろくに家事をしたことがない僕にとって、洗濯も掃除も新鮮ではあったが、どれも驚くほど面倒だった。
いつもとTシャツの着心地が違っていることも、この時点では謎でしかなかったのだが、のちに柔軟剤の偉大なる威力を思い知ったエピソードは、諸般の関係で割愛させてもらおう。
慣れないスーツに袖を通し、いざネクタイを締めようとしたところで、ネクタイの締め方がわからない事に気がついた。
スーツを着るのは1年ぶりで、高校の制服は学ランだったため、わからないのも無理はない。
慌ててスマホを取り出し『ネクタイ 締め方』で検索をかける。
一番上にヒットしたサイトを見ながら、なんとかネクタイを締め終えたのは、式に間に合うかどうかギリギリの時間だった。
大学まで自転車で15分ほどの場所に、僕の住むアパートはある。
本当はもっと大学に近い別のアパートを借りる予定だったのだが、不動産屋のダブルブッキングによって、このアパートしか借りられなかったエピソードも、諸般の関係で割愛させてもらおう。
入学式は大学内の大ホールで開かれた。
学長の長い挨拶によって約7000人の生徒が心地よい睡眠を提供され、会場から出てくる生徒たちは朝よりスッキリした表情をしている。
入学式を終えると、学部ごとに説明会が開かれることになっていた。
僕の在籍している造形学部は、学生課のある学生会館という建物へ誘導された。
ここ武蔵台大学は、文系学部だけで構成された大学で、経済学部と法学部、造形学部に分かれている。
在籍しておいてこう言うのもどうかと思うのだが、マイナーな大学のマイナーな学部で、残念ながら偏差値のランキングは真ん中辺りだ。
美術やデザインなどを学ぶのであれば、それを専門とした大学を目指す受験生が多いだろう。
それにも関わらず、僕がこの大学を第一志望にしたのは、ある教授に師事するためなのだが、このエピソードもこの場では割愛させてもらおう。
学生会館に入ると、学生課のスタッフが生徒の名前を一人ずつ呼んでいた。
名前を呼ばれた生徒が、スタッフから資料を受け取って退出していく。
次々と呼ばれる名前の中に、聞き覚えのある名前があったような気がするが、大学はもちろん、東京に知り合いはいないはずだ。きっと気のせいだろう。
「……さん、高宮和人さん」
名前を呼ばれ、カウンターへ向かう。
「高宮和人さんですね?学生証の生年月日を確認してください」
手渡されたのはカード型の学生証だった。
顔写真と生年月日を確認する。この幸薄そうな顔は紛れもなく僕だ。
「間違いありません」
「では、封筒の中に入っている資料を確認して、履修登録は期日を過ぎないように気をつけて下さい」
資料を受け取り、学生会館の出口へ向うと、エントランスにある掲示板が目に入った。
そこにはサークルの勧誘ポスターが張り出されており、数人の生徒がそれを見ている。
中には造形学部の学生が描いたと思われる、手書きの絵やイラストが入ったものもあった。
どれも手が込んでいて、クオリティが高い。
運動部のポスターもあるが、スポーツ全般が苦手な僕には無理だ。そもそも体格的に歓迎されない自信がある。
映画好きだし映画研究会とかいいな!なんて、ちょっと浮かれた気分で見ていた。
どのポスターも、サークルの活動内容がわかりやすく説明されていて、どことなく楽しそうに感じたのかもしれない。
その中に、1枚だけ明らかに異質な、それはあった。
『広告部 新人募集』
広告部では、新入生を対象とした
入部者を募集します。
それに伴い、随時入部試験を実施しております。
希望者は旧部室棟304号室までお越しください。
尚、試験内容に関する質問には、
一切お答えできません。
担当 キリン
連絡先 kirin@msu.jp
他のポスターとは違い、活字の印刷物のそれは、おおよそポスターとは呼べない代物で、何かの手違いで学生課の掲示物が紛れてしまったのではないかと思うほど、浮いていた。
それに、サークルに入るための試験なんて、聞いたことがない。
担当者がキリン? 誰だよ……まさか本当にキリンって名前なのか?
活動内容が一切書かれていないこの広告部が、何をするサークルなのか、無性に気になる。
他のポスターとのギャップもあって、余計に。
こうなったら、行って確かめるしかない。