サイン 1
歓迎会といえば自己紹介をしたり、特技を披露したり、先輩方がいれば何か出し物をやったりするような、そんなものだと思っている。
個人的にはそれなりの常識をわきまえているつもりだし、ウィキペディアだって宴会にカテゴライズされているのだから皆そう思っているだろう。
だが、今日からはカテゴライズに遠足を加える必要がある。
歓迎会は宴会でもあり、時には動物園への遠足でもあるんだ。
知らなかったことを恥じる必要はない。
僕もさっき知ったばかりさ。
部室を解散した後、特にやることもなかったので駅に直接向かい、駅ビルにある大型書店で気になっていた文庫本を買い、同じビルにあるドトールでコーヒーを飲みながらそれを読んで時間を潰していた。
集合時間が近くなり、そろそろ店を出ようと思っていた矢先にスマホの画面が点灯した。
ロック画面にはLINEの受信を知らせるアイコンが、背景画像にしているブエナビスタソシアルクラブのポスターに、あまり違和感なく重なって表示される。
メッセージを開くまでもなく、倉永さんだろうとは予想できた。
キリン先輩はSNSを利用していないし、五条さんとはLINEの交換もしていないから、今のタイミングで連絡があるとすれば彼女だけだ。
ところが、開いたメッセージには見たことのないユーザー名で『猫助』と表示されている。
『突然で驚いたかもしれませんが、怪しいものではありません。
倉永さんからユーザー名を聞いて連絡させてもらいました。今どちらにいらっしゃいますか?』
本文にも名前はなかったが、状況から察するに五条さんだと思われた。
『怪しいものではない』と公言しなければ僕に拒否されると思うくらいに常識を逸脱しているが、文章は面と向かって話す時より幾分か常識的に見える。
おそらくは、部室で解散する時に倉永さんとLINEを交換しあったのだろう。
僕と倉永さんが設定した広告部のグループにも『猫助』のアカウントが追加されているようだ。
『ドトールで時間潰してた。今から改札に向かうよ』
彼女の文面は敬語だったけれど、僕からは『敬語じゃなくていいよ』の意味を込めてタメ口での返信をしたのだが、彼女は汲み取ってくれるだろうか。
会って話す時に敬語だったら、直接伝えようと考えながら、返信を待たずにドトールを出て改札へと向かう。
通勤ラッシュで混雑した改札前では、五条さんが今にも人混みに揉み消されそうになっていた。
あの長い黒髪が唯一この世界と彼女を留めておける手段なんじゃないかと思うほど、髪型だけが人混みの中で際立っている。
随分近づいてもこちらに気づいていない彼女に、ちょっとしたイタズラ心で後ろから声をかけた。
「シャンプーの消費量がすごそうだね」
「……アンタのそういうデリカシーの無さは相変わらずね」
予想外の方向から話しかけられ振り向くと、声の主は人混みに紛れていた倉永さんだった。
驚かそうとした僕の方が驚かされてしまったのだが、それでも五条さんは当初の予定通りに驚いていて声も出ないらしい。
「あとはキリン先輩だけ?」
うなづいて返事はするも、僕が気になったのは倉永さんの服装だ。
昼間に集まった時と着ている服が違う。
なんと言うか、こういうのを気合いが入っているというのかもしれない。
僕も五条さんも、昼間に着ていた服のままだ。
着替えなきゃいけないほど汗もかいていないし、そもそも一日二回着替えられるほどの服がない。
これについて本人に聞いてみようかとも思ったのだが、またデリカシーが云々と言われてしまうのが目に見えているので、代わりに五条さんに話しかけることにする。
ちょうど聞いておきたいこともある。
「そう言えば、五条さんに聞きたいことがあったんだ。前に学食で写真撮ってたでしょ? あれって何の為だったの?」
コーンスープの最後に残った粒を食べるのと同じで、疑問点を残さず回収するだけの為に聞いたのだが、五条さんはビクッと反射的に強張り口を噤んでしまった。
「あ、いや怒ってないからね。全然気にしてないんだけど、何でかなーと思って」
慌ててフォローしてみたものの、そんな言いづらい理由なんだろうか。
それならそれで、あまり聞きたくない気もする。
「……ズ、ズームです。前が見えないから……ズームで……」
「なんだ、そういうこと」
彼女の視界を妨げる前髪対策に、スマホのカメラ越しに僕が不動産屋であった人物かどうか調べていたんだろう。
拍子抜けしている僕とは対照的に、倉永さんは何故か興奮している。
どうやら気合いが入っているのは服だけではなさそうだ。
「なんだ、じゃないって! 前がちゃんと見えてないなんて、ほんとに良くないよ。五条さん近くで見たら凄く可愛いのに、顔が隠れてるのはもったいないと思う」
まあ、確かに。
人見知り故に、見た目より機能性を重視した今の髪型なんだろうけれど、お世辞にも可愛いとは言えないし、むしろ怖い。
「あ、あの! ……視力も悪くて」
「うぉい! 前どころか全方位的に見えてないじゃん!」
よくその状態で過ごしていたなと感心してしまう。
広い講堂での講義はどうしていたんだろうと疑問に思ったのだが、最後列で目立たないように睡眠学習している僕と違って、前の方に座って真面目に聴き入る生徒もいることを失念していた。
きっと最前列の視界が開けた場所に座っているのだろう。
通りで接点がなかったわけだ。
「まずは、髪型とコンタクトね」
「いや、待て。そこはメガネでしょ。ちょっと細めのセルフレームにしよう」
髪型は個人の好みでカットしていいとして、メガネだけは譲れない。
誤解されないように、念の為言っておくが、メガネ自体が好きなのではない。
メガネ女子が好きなのだ。
それもメガネさえかけていれば、みんな可愛く見えてしまうくらいに重症。
五条さんには、そうだな、赤茶色のセルフレームがいい。
「……最低。五条さん、高宮くんの性癖は気にしなくていいからね。とりあえず前が見えないと危ないから」
最低とまで言われ、思っていたことが声になってたんじゃないかと不安になったが、気のせいだと思いたい。
肝心の五条さんはピンときていないようで、相槌にも若干の迷いめいたものが含まれている。
人見知りが克服できない限り、メガネは僕が譲れないとしても、髪型は彼女本人が譲れない部分なのかもしれない。
「考えておきます……」
倉永さんは今すぐにでもどうにかしたいと思っているように見えたけれど、本人のあまり乗り気じゃない様子を見て諦めたのか、ウンとだけ相槌を返した後は食い下がることもなくこの話題を切り上げた。
気の利いた話題を提供できる訳でもなく、3人とも無言や雑踏から逃れたいのか、計ったように各々のスマホ画面を眺め始めた。
ここ最近、スマホの画面を見る時に首が痛くなってきたのだが、これはあれかな、今若者に多いといわれるストレートネックってやつかな。
暇さえあればスマホのゲームに興じている弊害だと思ったのだが、そもそも休み時間に話し相手もおらず、それしかやることがないことが元凶という結論に至って若干へこむ。
それにしても、世の中には首を痛めるまでスマホを使う人が相当数いるということの方が問題な気がする。
首へのダメージを少しでも減らそうと顔を上げ、圧倒的に降りてくる人の方が多いベッドタウンらしい光景を眺めていると、南口の階段から小さなキリンのフィギュアがヒョッコリと現れるのが見えた。
フィギュアではなくキリンの被り物だとは分かっているんだけれど、人混みの中でそれを身につける人なんかいるはずがない、あれはフィギュアを顔の高さに掲げているだけだと、脳が真実を拒否しているようだった。
「あら、僕が最後でしたか。お待たせしてすいません」
これはヒドイ。
人混みの中でさっきまでスマホを眺めていた人々が、キリン先輩を目視した途端に顔を上げて訝しんでいる。
ストレートネック対策にもなり得るんじゃないかと一瞬本気で考えてしまったのだけれど、それは別にキリンじゃなくても良いか。
そして本人は何も気にしてないんだから、よりヒドイ。
黙っている倉永さんと目があったが、言いたいことは痛いほどわかる。
彼女も予想はしていたはずだ。
ただ、それを上回る破壊力の恥ずかしさだったっていうだけさ。
「それじゃ、早速行きましょうか」
ICカードをタッチして改札に入ると、倉永さんはキリン先輩と五条さんに聞こえないくらいのボリュームで話しかけてきた。
「まさかこんなことになるとはね……。自業自得なんだけど」
昨日の名探偵ぶりからすると、意外な発言だった。
僕はてっきり、彼女の思惑通りに事が進んでいるのだと思っていたし、なんならちょっとした予知能力さえ持っているんじゃないかと疑いだしていたところだ。
「倉永さんの作戦って、僕がキリン被って勧誘するミッションじゃなかったっけ?」
「そうよ。勧誘できたじゃない」
それは結果論だ。
状況を見つつ、それに合わせて勧誘の流れを作ったに過ぎない。
でも、昨日の倉永さんは予め事の行方を予想できているように見えた。
少なくとも彼女の気丈な性格上、わずかな事前情報だけで失敗するリスクの大きな賭けにでるとは思えない。
「私は五条さんがアンタに気があると思ってたの」
「キガアル?」
「好きってこと」
実際にはストーカー行為も、僕に好意を抱いてやっていたわけではなかったのだから、彼女の勘は外れていたことになる。
それでも、好きなんじゃないかという予測だけで、無事解決できるような自信を持てるものだろうか。
ダメだ、この手の話に僕は縁遠過ぎて全く理解できそうにない。
裏を探るのはほどほどにして、倉永名探偵を労っておこう。
「なるほどね。まあ、予想は外れたけど結果オーライじゃん」
「……そうね」
混雑する駅のホームから、中にいる人の吐く呼気で膨らんでいるんじゃないかと思うほど人が押し込まれた電車に乗り込む。
到着した段階で割とマックスだった乗車率は、ホームの混雑も吸収するように飲み込み、軽々とリミッターを超えた。
揃って乗ったはずの僕らは、押し寄せる乗客に揉まれ、気がついた時にはバラバラの位置で互いの無事を確認しあっている。
僕とキリン先輩はまだ良いとして、倉永さんと五条さんが心配だと思った瞬間、五条さんが見当たらないことに気がついた。
新潟がどんなところか知らないが、少なくともこの規模の満員電車に慣れるほどの大都会ではないはずで、それは福岡の田舎育ちである僕も例外ではない。
もし倉永さんやキリン先輩ともはぐれていたら、彼女はパニックに陥っているんじゃないか?
僕でさえ、若干吐き気がするくらいだし。
斜め掛けのカバンのポジションが悪いらしく、脇腹をえぐられているような不快感がする。
どうにか位置を変えようと掴んだカバン、に顔を真っ赤にして掴まっている五条さんがそれを拒んでいた。
はぐれないようにそうしたのか、満員電車に怯えたのか、とにかく必死の形相でカバンを掴んでいるのはいいんだが、体重が乗っているらしく本気で痛い。
「ごめん、五条さん。ちょっと痛いからこっち掴んでくれる?」
「す、すいません」
カバンを掴んでいた手を、着ていたサマージャケットの袖に誘導する。
が、彼女は一瞬掴んだものの電気でも流れていたように慌てて手を離した。
「掴んでも破けたりしないから大丈夫だよ」
まあ、あまり強く引っ張られるとどうかわからないけれど。
「で、では……失礼します」
意を決したように、両手で僕の袖に掴まる。
嫌がられたことに若干傷つきつつも、脇腹の痛みから解放されて体が少し軽くなったように感じた。
人見知りの彼女からしてみれば、いくら知り合いだとしてもここまで接近されるのは危機的状況なのかもしれない。
そうこう考えつつ何気なく様子を見ていたら、僕は彼女を見下ろしていることに気が付いた。
175cmの僕とあまり目線の変わらない倉永さんと比べてしまうからか、随分小さい。
まあ、だからなんだって話なんだけれど。