ギネン 6
「その時に、今住んでる部屋を譲ってくれたのが高宮くんじゃないかと思って。……でも私、あまり人の顔見れないから確信がなくて、その人が借りることになった別の物件に住んでいるかどうか調べていました」
それで、家を確かめるまで追っていた、ということか。
間違いなく、その物件を譲ったのは僕だ。
正直、慣れない環境と初めての一人暮らしで心に余裕がなく、あまり詳しくは覚えていない。
確か、一泊二日の日程で2日目に起きたダブルブッキングだった。
もう下見なんかする時間がないし、良いところは早い段階で満室になっていたし、とにかく焦ったのを覚えている。
あと、覚えていることがもう一つ。
そのアパートを譲った女の子は、可愛かったんだ。
倉永さんみたいに美人って感じではなかったけれど、無事に解決して安堵した時の、素朴で優しそうな笑顔が印象的だった。
もちろん、下心から親切心を働かせたわけではないことだけはハッキリさせておこう。
「それで、高宮くんがその人かどうか確認して、どうするんです?」
「実はもう、わかってるんです。高宮くんがその人だって。でも……」
自宅までつけられていたのには気づいていなかった。
なかなかの尾行スキルに感心してしまったのだが、それはプライバシーの侵害だから良い子のみんなは真似しないように。
五条さんは『でも』の続きをなかなか口に出せずにいる。
次の発言を待ちながら、キリンを被っててよかったと、不覚にも思ってしまった。
普通にこんな話をしていたら、口を噤んでいたのは僕の方だっただろう。
そこまで見越してのコレかと思うと、倉永さんの名探偵っぷりに感服してしまう。
ようやく聞こえた五条さんの声は、僕が一番聞きたくない言葉だった。
「でも、高宮くん、あの時と別人みたいなんです。なんて言うか、外見は同じなのに、性格が違うと言うか」
そうか、こんなところに影響していたのか。
迷惑をかけて申し訳ない、なんてことは微塵も思わないし大きなお世話だ。
「その時の高宮くんがどうだったか知りませんが、そんなことないんじゃないですかね」
「……私、極度の人見知りで、大学ではまだ一人も友達がいません。キリン先輩は大丈夫なんですけど、他の人とはまともに会話すらできてないんです。あの日、不動産屋で会った高宮くんは親しみやすくて優しくて、人に好かれるタイプだと思いました。私なんかと違って」
そんなことない。
僕は五条さんの言うような、優しい人間じゃない。
「大学での高宮くんはまるで……」
「違うよ。高宮くんとアナタは違う」
僕は、五条さんの言葉を最後まで聞くつもりでいた。
聞いた上で、否定するつもりだった。
でもそれは、僕の役目ではなかったらしい。
突如窓を開けて入ってきた倉永さんは、五条さんを真っ直ぐに見据えて怒りとも哀しみともとれるような口調で語りかけた。
「黙って聞いてたけど、もう我慢できない。五条さん、アナタと高宮くんは全然違う」
「え? え?」
五条さんは突如現れた倉永さんに驚き、オロオロと落ち着かない動きで、思考が停止しているように見えた。
まあ、無理もないけど。
それにしても、このタイミングかよ。
「大体、人見知りって何? 子供ならまだしも、大学生にもなって人見知りって、それはただコミュニケーション能力が乏しいってだけでしょう? それについてアナタは克服するために何かやってるの? 何もしていないで自分はそういう性格だって諦めてんじゃないわよ」
……ひどい。
初対面でそこまで言う?
止めるべきかとも思ったが、倉永さんが五条さんを追い詰めるためだけに言っているとは思えなかった。
オロオロしていた五条さんも少し落ち着いたのか、俯いたまま黙って聞いている。
彼女の言う通りに極度の人見知りなのであれば、この状況では喋ることができないのかもしれない。
「確かに高宮くんは大学で孤立してるけど、アナタと同じ理由でそうなったわけじゃない。そもそも、お互いに人見知りだからって仲良くなれると思う? 実際、アナタは声すらかけられなかったじゃない。今のアナタじゃ到底無理ね。ねえ、そうでしょ?」
ん?
今、僕に言った?
ーーガバッ!
「ちょっ、ええ?」
僕が応える前に、倉永さんは僕からキリンを剥ぎ取った。
テッテテーン!とドッキリのネタバラシのようなSEを予想していたのだが、この重い空気にそのSEは響かなかった。
急に視界がひらけ、大量の光が目に飛び込んで眩しかった。
しばらくぶりに見る明るい部室内は、机の表面やホワイトボードの縁が磨いてもいなかったないのに輝いている。
大量の光に混じって、五条さんの暗く陰った目元に輝いているものが見えた。
いくら何でも、やりすぎじゃないか?
「取るなら取るって言ってよ。なんか僕がドッキリ仕掛けられた気分だよ」
「アドリブなんだから仕方ないじゃない。五条さん、見ての通り、今まで話していたのはキリン先輩じゃなくて高宮くん本人よ。アナタが、追いかけても追いかけても声がかけられなかった張本人。話してみてどう?」
倉永さんは言いたいことを言いきったのか、Amazonのレビューみたいな軽いスタンスで感想を聞いているが、五条さんが星を付けられる状態じゃないのは明らかだ。
仮に星を付けるとしたら、間違いなくゼロだろう。
そしてコメント欄には『最悪』『卑怯者』『詐欺師』まあ、こんなことが書き込まれてても仕方ない。
それはもちろん僕の責任なんだけど、これが一番望んでいなかった結末に近いってことを、倉永さんは分かっているだろうか。
何れにしても、僕から言える事は、そんなに多くなかった。
「騙すような事してごめん。五条さんを貶めるつもりは全くないんだ」
終始俯いていた五条さんは、首だけわずかに上下させてちゃんと聞こえている事の意思を伝えてくれる。
「正直、僕は五条さんがストーカーじゃないかって疑ってた。事情がわかって安心したよ。……倉永さんは違うって言ったけど、僕らは似ているのかもしれないね」
倉永さん曰く、五条さんも僕と同じで大学では孤立しているらしい。
ただ、僕と五条さんの孤立は違う。
好き好んで孤立する道を選んだ僕とは、似て非なるものだ。
まあ、広告部でキリン先輩と絡んで、イロモノを見るような目で見られるのは僕だけで十分。
「……僕も、あの日の五条さんとなら、仲良くなれそうな気がするよ」
五条さんは、大学での僕が別人のようだと言ったけれど、それは僕の方こそ彼女に言いたいことだった。
不動産屋で会った五条さんは、前髪はヘアピンで左右に分けて、不自然じゃない程度にメイクをしていた。
大学での彼女と違って、ちゃんと顔が見えていたんだ。
地元ではそうだったのか、大学からそうしようと思ったのかは知らないけれど、彼女なりにどうすれば変われるのか、色々と手探りでやっている延長線上なのかもしれない。
少なくとも、あの格好の五条さんに対してなら、ストーカーの疑いを抱くようなことはなかっただろう。
テレビから出てくる例の幽霊に瓜二つの人物が普通に大学を闊歩してて、怪しまない人がいたら挙手してくれ。
「……怒ってないんですか?」
黙っていた倉永さんは、俯いたまま絞り出すようにして言った。
跡を追ったりしたことを、僕が怒っていると思ったのだろうか。
確かに怒っていないと言えば嘘になるけれど、そもそも実害は無いし怒る矛先が定まっていなかったのだから、僕の怒りは放射状に拡散してほとんど無いようになっている。
「まあ、気にはしてたけど、怒ってはいないよ」
「ああ、それね。嘘だから」
倉永さんは時計の針が右に回るのと同じくらい、当然なのだから悪びれる必要は微塵もないと言いたげにあっさり白状した。
「……どういうこと?」
「キリン先輩のメールよ。『高宮くんがブチ切れてる。本人には黙っておくから事情を教えてくれ』って送ったの。写真撮られた時に注意したの聞いてたから、それなら信じると思って」
またすごい理由で呼び出したな。
五条さんが僕を追うことに背徳感があると賭けて、そういうことにしたのか。
それでも、もう少し優しい嘘にはできなかったんだろうか。
「なんでそんな嘘ついたんだよ」
「そうでもしないと、来ないと思ったんだもん。実際、そうじゃなかった?」
五条さんは口を開く代わりに代わりに頷いて肯定する。
「でしょ? ほら」
確かに、普通に呼び出しても来なかっただろうし、結果的には正解だった。
でも、このリアクションを見て若干癪に触るのは僕だけでないはず。
「なにそのドヤ顔」
「うっさい。アンタこそ『ストーカーされてるかもー』ってモテる男は辛いみたいな気分になってたじゃない。その幸薄そうな顔にそんな需要ないからね」
「わかっとらんねー。東京では博多弁ってだけでモテるとばい? 知らんやろ。」
これは僕の知識ではなく、この大学で教授をやっている父の元同僚からの入れ知恵だ。
真実かどうかは定かではないけれど、統計学にも詳しい教授が言うんだから強ちただのガセネタとも思えない。
「ふーん。ここ以外で喋らないアンタには無駄なステータスね」
「……そうでした」
「ふふっ」
僕と倉永さんのやりとりを俯いたまま聞いていた五条さんから、顔の向きによっては鼓膜まで届かなさそうなくらい、微かな笑い声が聞こえた。
目は相変わらず見えないけれど、入ってきた時よりも随分表情豊かになった口元を見て安堵するその瞬間まで、自分が緊張していたことに気づいていなかった。
それは倉永さんも同じだったようで、彼女もまた表情を緩ませている。
「高宮くん」
五条さんの声は本当に弱々しく、声を出したら相殺されて無かったことになってしまいそうなくらい曖昧な存在のまま、テーブルに転がった。
刺激しないように、声を出さないで返事をする。
「あの時、助けてくれて、ありがとうございました。お礼も言わないで、ごめんなさい」
「……どういたしまして。どこだって住めば都って言うし、結構快適だよ」
なんだ、簡単じゃないかと、五条さんは思ったと思う。
もしかしたら彼女は、この為に僕を追っていたのかもしれない。
そんな簡単なことのために、とは思わない。
むしろ、心の中で彼女に謝っている。
不動産屋で助けられたイイ人は大学で孤立してて、調べても誰も何も知らない文字通り得体の知れない人物だったのだから、声をかけるのにも抵抗があったのだろう。
「あのー、解決して何よりですけど、僕のこと忘れてません?」
いつの間にか、バルコニーにいたはずのキリン先輩が窓際の椅子に座って缶コーヒーを飲んでいた。
「……あれ? いつからいたんですか?」
わざとテーブルで生首みたいになっているキリンの被り物を見ながら声をかけた。
「いましたよ、ほぼ最初から。って、ちょ、それ僕じゃない」
「冗談ですよ。忘れてませんって」
「全く。キリンだからって首を長くして待てるとは思わないでくださいよ」
本人は上手いこと言ったと思ってるようだが、残念ながら誰もツッコミするでもなく、キリン先輩の発言は空中分解した。
五条さんに至っては、今の今までキリン先輩が全く見えていなかったのだろう。
何か言うべきかもとオロオロしてしまっている。
後で、いつものことだから放っておいていいと教えなくてはいけないな。
「さてと、皆さん落ち着かれたみたいなので、僕からも一言だけ。五条さん、広告部に入りませんか?」
ここぞとばかりに、倉永さんも勧誘に応戦する。
「私も昨日入ることにしたんだけどさ、女子1人で心細かったから入ってくれると助かるなー。見ての通り、自意識過剰ボッチと変なキリンしかいないから、心配ないよ」
五条さんの人見知りに配慮したんだろうけど、ヒドイ言われようだな……。
僕とキリン先輩は互いに顔を合わせたが、キリン先輩の『仲間ですね!』と言いたげな視線が痛くてすぐに目を逸らした。
今度は倉永さんから『アンタも何か言いなさいよ!』の視線が飛んでくるんだが……みんな、僕はエスパーじゃないから分かるように言って。
「僕は、大学生活ってとにかく楽しくて何故かみんなテンション高くて、色んなことができるって思ってたんだ。現状だと予想とは随分違うんだけど、僕も五条さんも、まだ何もしてない。広告って地味だけどさ、きっと楽しくなるよ」
僕だけじゃないはず。
五条さんも倉永さんも、もしかしたらキリン先輩も、学生であれる最後の期間を大切にしたいと思っている。
ただ遊びたいとか浮かれていたいんじゃなくて、未完全な自分から、少しでも目指す理想に近づきたいと思っていると思う。
いや、これは願望かな。
独りじゃないっていう、願望。
「……そうですね。よろしくお願いします」
入ってくれるとは思っていたけれど、それでも安心してしまった。
長々と語ってしまって、結構恥ずかしい。
そう思っているのを見透かしたようにキリン先輩と倉永さんがニヤけているのを見て、若干焦る。
「ま、まあ、まだ何も活動してないんだけどね!」
これは事実で、本当にまだ何も制作していない。
そもそも依頼がない……。
「何もしてないのもどうかと思うけどねー」
「部員2人でナニをしろと?」
倉永さんの言う通り、2人で部室にいる時はキリン先輩から色々と勉強させて貰っていたのだけれど、部員が集まらないことと依頼がないことを内心ではかなり焦っていた。
昨日だって、倉永さんが現れなければその件について話し合おうと思っていたんだ。
「そんな皆さんに朗報です。実は、1件の依頼が来ているんですよ」
キリン先輩はさらっと言ったが、本気で驚いてしまった。
ここ数日は部室に来ていたけれど、そんな依頼はなかったはずだ。
「え? いつの間に?」
「つい先日ですけどね。詳しくは今夜の歓迎会で話しましょうか」
「歓迎会って、今日だったの?」
倉永さんに相槌をうちながら、昨日の会話を思い返して見たけれど、今日のインパクトが強すぎて殆ど思い出せなかった。
五条さんは今日初めて話したから知らないのは当然だとして、倉永さんにも伝えていなかったらしい。
「先輩、倉永さんと五条さんは今日が歓迎会だって知りませんよ。二人とも予定とか大丈夫?」
「私は大丈夫だけど、一度家に帰ろうかな」
「……私も大丈夫です」
「それじゃあ、時間を空けて5時に国分寺駅集合でどうですか?」
全員異論はなく、僕らは部室で一度解散することになった。
身支度をしていたら、ふとキリン先輩がどんなお店を予約しているのか気になった。
まあ、駅前にある学生御用達の居酒屋だと思うんだが、先輩のことだから僕が唯一苦手な食べ物ことパクチーが山盛りのベトナム料理とかにしていないとも限らない。
それに土曜日は混んでることも多いし、予約してスムーズに始められるようにしておきたかった。
「どこも混んでそうですけど、予約してるんですか?」
「ちゃんとしてますよ。そのあたりに抜かりないです」
ごく普通のことを、すごく自信満々に言っている。
ん? 待てよ。
「そう言えば、キリン先輩ってそれでお店入るんですか? 入店拒否とかされそうですけど」
僕が指さしたのはキリン先輩自身ではなく、その頭にある普通はパーティー会場でしか身につけない被り物だ。
今まで大学以外でキリン先輩と会うことは無かったから、外でどうしているのかは知らないが、少なくとも外していないことだけは、なんとなく予想できた。
「失礼な! いくら僕がキリンだからって、お店に入れないなんてことないでしょ!」
『お客様は神様』というのは良く聞くけれど、キリンは聞いたことがない。
キリン先輩がお店に入る瞬間に起こる従業員の慌てふためきぶりが安易に想像できる。
「いや、フルフェイスのヘルメットで入ってくる強盗とさほど違わないと思いますが……」
「大丈夫ですよ。キリンがいることを伝えたら先方も喜んでましたから」
「ちょっと、そんな予約の仕方したら迷惑ですよ。喜ぶわけないじゃないですか、動物園じゃあるまいし」
そう言った瞬間、高校の時に同級生と一緒に行ったマクドナルドで、ふざけてスマイルをオーダーしたことを思い出した。
やっぱり『お客様は神様』であっても、キリンを被るふざけた男とタダの注文をしてお金にならない客は神様ではなさそうだ。
しかし、先輩の予約先に関しては、キリンを被るふざけた男が神様に近い存在だということを、この時の僕は知らなかった。
「おや、鋭いですね。動物園ですよ」
「……は?」
「いや、だから。今日の歓迎会の会場は、多摩動物園です」
「……えぇー!?」
楽しみですねーと動物園を想像してうっとりしているキリン先輩と、まず先にシーザーサラダを注文するつもりでいた倉永さんと、とりあえず今日を終えたい五条さんが同時に見える程度に、僕は幽体離脱していたのかもしれない。




