ギネン 5
そうして今に至り、このキリンが二匹と名探偵が一人の状況が出来上がった訳だ。
これで五条さんがストーカーでもなんでもなく、倉永さんの誤認だったら、キリンと名探偵と、ホラー映画の幽霊ような髪型の女の子が集まっただけで何も解決しないという、背筋のゾッとするような寒々しい光景が広がる。
本当に勘弁してもらいたい。
倉永さんは自信満々だったけれど、僕にはどうしても不安が拭えなかった。
こちらは五条さんの名前と外見の特徴くらいしか情報がないんだ。
それにも関わらず、倉永さんが確信めいたように行動できる理由が、僕にはわからなかった。
倉永さんからの指示はいたってシンプルで「キリン先輩になりきって、広告部に勧誘せよ」だ。
単純明解なのに、キリン先輩になりきれってだけでインポッシブルなミッションに早変わりする不思議。
キリン先輩と倉永さんは部室のバルコニーに隠れて話を聞き、状況に応じて出てくる手筈になっている。
もちろん、声でバレるのではないかと指摘したのだが、被り物の中から聞こえるくぐもった声は区別がつかないし、一度しか会話していない相手の声を覚えている可能性は低いらしい。
そして名探偵によれば、僕とキリン先輩の体型は痩せ型で身長も近いため、外見上も心配ないとのことだ。
言われてみれば、僕とキリン先輩は似ているかもしれない。
それはまあいいとして、確認しておかなきゃいけないことがある。
「そういえば、キリン先輩はどういう理由で五条さんを呼び出しているんですか?」
まず先に説明しておきたいのだが、キリン先輩はスマホ利用者でありながら、あらゆるSNSを利用していない。
ツイッターもフェイスブックもLINEもだ。
僕と倉永さんは昨日、電話番号やメールアドレスを聞くよりも先に互いのLINEを登録しあったくらい、僕らの連絡手段はメールよりもLINEになりつつある。
実家の母や妹でさえ、LINEでの連絡が主だ。
以前、キリン先輩にSNSを利用しない理由を尋ねたのだが、教えてくれなかった。
そんな訳で、必然的に連絡手段はメールか電話となり、電話で演技っぽくなるリスク回避も考慮してメールを送ってもらったのだった。
キリン先輩からも倉永さんからも、どんな文面のやりとりがあったのか知らされていない。
「あれ? 倉永さんから聞いてないんですか? 僕はてっきり聞いているものだと思ってましたけど」
「いや、聞いてな……」
ーーコンコン!
えぇーー!
よりによってこのタイミングかよ……。
キリン先輩と倉永さんは待機していた窓側からバルコニーへ退避する。
いや、マズイ。
非常にマズイ!
まだ何の理由で呼び出しているのか聞いてない!!
バルコニーに目をやると、倉永さんとキリン先輩は二人して声には出さず口だけ動かしてこう言っているように見えた。
「(あとは任せた)」
よし、任せろ! とか思う訳ないだろ。
そんなに僕の危機回避能力が優れていると思うなよ。
とはいえ、このまま五条さんを放置するわけにもいかず、僕は渋々ドアに向かって返事をする。
「どうぞー、開いてますよ」
咄嗟のことでほとんど無意識だったのだが、キリン先輩の言いそうな口調を真似していた。
なるほど、確かに被り物越しに聞いたら似ているかもしれない。
キィと擦れる音を廊下に響かせながらゆっくりと開くドアから、五条さんが入ってきた。
以前、学食で写真を撮っていた彼女で間違いない。
あの時とほぼ変わりなく、前髪は目を覆うように下げられていて、どこを見ても目が合うことはなかった。
まあ、それはこの被り物のせいかもしれないけれど。
それにしても、本当に前が見えているのだろうか?
彼女に比べたら、この被り物の方がよっぽど視界が開けているように思う。
無言でドアに立ち尽くす彼女に、僕はジェスチャーだけで向かいの席へと着席を促す。
さて、問題はここからだ。
何を理由に呼び出されたか、呼び出した本人が知らないというあり得ないシチュエーションなのだが、どうしたものか。
とりあえず、倉永さんからの指示通り、勧誘が目的という方向で話を進めよう。
「サークル、どうするか決められたのですか?」
不自然にならないように意識すればするほど、なぜかキリン先輩に寄っていく感覚だった。
僕とキリン先輩だって、そんなに長い付き合いではないのだけれど、もしかしたら、大学内での会話がキリン先輩とだけだったことが影響しているかもしれない。
相変わらず五条さんの目はどこを向いているかわからないが、少なくとも僕を視界に捉えているのはわかる。
「……あの、五条さん?」
待てども返事がないので、僕がキリン先輩の偽物だとバレているのではないかと不安になる。
いざとなったら、この被り物を脱いでキリン先輩と倉永さんに突入してもらうしかないが、可能な限り穏便に解決させたい。
「メールの件は、本当なんですか?」
知らんがな!
いや、言えないけどさ。
ようやく開いてくれた口には申し訳ないけれど、送ったのは僕じゃない方のキリンだ。
ほんと、ビックリだよね。
いやーマズイな。
マズイがどうにかしなければ。
……ここは知ったかぶりで、乗り切るしかない。
「ああ、その件なら本当ですよ。キリンは嘘つきませんから」
ははは、とあまり似ていない笑い方まで披露したというのに、彼女は相変わらず俯きがちなままだ。
彼女にも「喜怒哀楽」があるはずなのだが、喜楽はまずないとして、怒っているのか哀しんでいるのか、その垣間すら見えない。
あえて四字で表すなら「無無無無」だな。
「高宮くんは、私の事、どう言ってたんですか?」
……へい?
僕は何も言ってませんよ?
え? なにこの質問。
昨日まで名前すら知らなかったのに、どういうことだ?
知ったかぶりすら危うい状況を作ってくれた名探偵はバルコニーから姿を見せない。
おそらく、昨日ドンキで買ってきたオモチャみたいな聴診器を窓に当てて聞いているのだろう。
どうしよう、どうしよう、そうだなー、どうしようか。
「どうというか……最近よく見かけるなーって、気になってるみたいでしたよ」
正確には見かけるのではなく、見られてたんだけど。
気になっていたのは事実だから、嘘は言ってない。
気になっていたのはストーカーだけど、それが五条さんなら同じことだろ?
「それだけですか?」
いやいや、探してたけどさ、それ以上何を期待されていたのかわからない。
ダメだ、これまでのところ、全く話の道筋が見えない。
一体、君は何で僕を追っていたの?
「五条さんこそ、最近高宮くんを探していませんでしたか? 実はこないだ、彼の後を追っている五条さんを見かけたんです」
そうだ。
この答えがないと、ストーカー疑惑は解消されず、勧誘はおろか会話さえまともにできない。
僕はテンポの遅い彼女からの返答を、どれだけでも待つつもりで質問した。
「お世話になったある人を探していて、高宮くんがその人かどうか調べていました。本人には悪いと思ったんですけど」
「……どういうことですか?」
今の話だと、五条さんは誰かと僕が同一人物かどうかを確認したくて追っていたということになる。
ただ、僕に五条さんの記憶はないし、他人の空似である可能性が高い。
残念だけど人違いですよ、とどこかのタイミングで教えるべきか。
「私、新潟から上京して一人暮らししてるんですけど、アパートを借りる時に不動産屋が手違いで、同じ部屋を私と別の人の二人に契約しちゃったんです」
……え?
それは入学式の1ヶ月前、僕に起こったツイてないエピソードそのものだ。