易簀 その2
「グリム、聞きたいことがあるんだけど」
僕は早速訊くことにした、今日の異常な事態について。
「今日の紋ちゃんの下着はピンクだ、フリル付きの奴」
……なん……だと?!
「まじか?!」
思わず立ち上がってしまった。
なんせあの紋さんだぞ?現代に舞い降りた天使だぞ?その天使の下着姿だぞ?!
「マジだ。本棟に水飲みに行った時、紋ちゃんの部屋をすり抜けたら見えた、下着姿……あれは凄かったぞ」
マジか……ピンクなのか……凄いのか……。
「お前の右目にその時の記憶を映す事はできるが……どうする?」
マジですか?!見えるんですか?!紋さんの下着姿を?!
……ちょっと落ち着こう、みっともないぞ僕。
「……いやいや、そんなこと言ってどうせ見えないんだろ。からかうなよ」
必死に心を落ち着かせる。どうせこいつはからかってるだけだ、うん。
「お前の右目は俺の右目と同じものでできてるからな、俺の記憶を同期させることくらい造作もないぞ?」
……な…なんだと……?!記憶を同期させるだと?!死神すげぇ!
「……マジでできるのか?」
ごくりと唾を飲み込む、その音が狭い部屋に響いた気がした。それぐらい大きい音がした。
「まあ疑うのも無理ないな。ちょっと見せてやるよ、百聞は一見に如かずってやつだ」
グリムは自分の頭を右手で掴み、何やら呟き始めた。
すると右手が怪しく光り始める……あ、なんか見えてきた。
……これは…紋さんの部屋?……紋さんの脱いだ服が見える……ってことは、ああ!ダメ視ちゃう!視えちゃう視ちゃだめだ!けど視たい!うわやべぇ足見えてきた!くっそ目瞑っても見えてくる!
「ちょ、ちょっと待てグリム!」
必死に叫ぶと、映像が止まった。
……ふう、危ない危ない。色々と危なかった。
「どうした?視たいんだろ?下着姿」
そりゃ見たい、けどダメだ。
紋さんには本当にお世話になっている。だから、そういう対象として紋さんを見るわけにはいかないのだ、人として、男として。
……男としては見たいけど。
「そりゃ見たいけど!紋さんをそういう目で見るのは人としてダメなんだよ!それが人ってやつなんだよ!!」
グリムが怪訝な顔をする。
「律儀なやつだなぁお前、陰でそういうふうに見てても本人にバレなきゃいいだろうが」
この死神め、人としての尊厳を潰しにきてやがる。
それに僕は単純なんだ、陰でそういうふうに見てたら絶対態度に出てくる。うん、即行でバレるな。
「ダメなもんはダメ!」
はっきり言った、右目に映る紋さんのおみ足を眺めながら。
「ふむ……おみ足眺めてる奴が言っても説得力ねぇな」
ほら、もうバレてるよ。やっぱり態度に出てる。
「まあ黙って最後まで見ろって、中途半端に見るよりすっきりするはずだ」
そう言うと、また右手が光りだす。
……まてグリムやめろそれをしちゃああああああ!動いた!映像が動き始めた!視える!視えちゃう!上まで視え…………………………。
「どうだ?最後まで見た感想は」
グリムは楽しそうに笑っている。
気が付けば、僕は床に倒れていた。
「……天使って本当にいるんだね」
ああ、僕は最低なやつだ。
でも仕方ないだろ?男なんだから。
――――――――――――――
30分くらい経っただろうか。
僕は床に倒れたまま、天使の余韻を味わっていた。まったく、こいつはすげぇぜ。
……というか僕は何をしようと思ってたっけ?………あ、
「そうじゃないぞグリム!そうじゃない!」
飛び起き、叫ぶ。窓際で座っていたグリムがめんどくさそうにこっちを見た。
「なんだぁ?今度は全裸が見たいのか?」
それは違う、断じて違うぞ!お前はエロスを解っていない!
「全裸より下着姿の方がいいに決まってんだろ!!」
それを聞いたグリムは顎に手を当て考えていた、そして。
「……それは一理あるな、お前にエロスを教えられるとは……お前も成長したな。うん」
感心するように言ったのだ、って違う!
「お前に訊きたいことがあったんだ、それも結構重要な事だ」
それを聞いたグリムは本当にめんどくさそうな顔をした。
「明日でいいか?今日はもう眠いんだよ」
……落ち着けイライラするな。
もう勝手に質問してやろう、知るもんか。
「今日、痛みもなく右目が見えたんだ、未来の死の風景も」
一瞬、グリムが固まる。
「……なんだと?寿命は?視えたのか?」
さっきまでのめんどくさそうな態度とは違って、真剣そのものだ。
僕は言葉を続けた。
「見えたよ、いつもより桁数が多いやつが」
「本当に視えたのか、それら全部が?……おいおいまじかよ」
グリムは頭を抱え、唸っていた。
……え?こいつがこんなになったのは初めて見た。何か大変なことが起こっているのか?
「何が起こったのか、包み隠さず教えてくれ」
グリムに詰め寄ると突然、骨だけの手で肩をつかまれる。その手は氷のように冷たく、ごつごつして痛い。
「教えてやるがその前に一つだけ訊かせろ、視えた奴はお前にとって……なんだ?」
……は?なんだって?何が?質問の意味が分からないぞ、どういう事だ?
「お前にとってそいつは、大切な人なのかと訊いたんだ。恩人、親友、恋人。そんなやつらなのか?」
なんでそんなことを訊くんだ?
でも、グリムの表情は、声は、真剣そのものだった。その質問に、何か大切な意味があるんだろう。
僕にとってあの子は……
「……思いだ」
思わず声が小さくなる、はっきりと言えなかった。
「は?なんて?」
歯切れの悪い回答に、グリムは少し切れ気味になっている。
……仕方ない、はっきり言うしかないか。
「……好きな娘だよ、片思いだ」
その言葉を聞いたグリムは、酷く悲しい顔をして、
「……そうか」
一言だけ呟き、僕の肩から手を離してまた椅子に座った。
そして沈黙が訪れた……ほんの10秒くらいの短い時間。
だけど、辺りを包み込んだどんよりとした空気が、とても長く感じさせた。
グリムが口を開く。
「伸治」
グリムの目には強い感情が宿っていた。絶望でも希望でもない、強い哀れみの感情が。
……やめろ、そんな目をするな。
「その子は助からん。死ぬんだ……絶対に。」
……こいつは何を言ってるんだ?
死ぬ?
あの子が?……絶対に?
理解したくない、でもグリムが喋った言葉は簡単で、僕の脳に直接入ってくる。
助けられない、あの子は死ぬ、絶対に死ぬ。
固まっている僕を見ながらグリムは言葉を続ける。
「お前にやったその目。昔少し話をしたよな、覚えてるか?そいつは易簀〔エキサク〕の目という名前だ」
「……ああ」
「そいつは、神様の力でな。人の死ぬ風景と、寿命を使用者に見せる事ができる。俺たち死神の仕事をしやすくするために作られた目。ここまで話したよな」
易簀……昔グリムから教えてもらった。
人の死を見せる、死神の目。
「お前にやったその目は、人でも扱えるように力を弱めてある。だから、断片的な死の映像と、ほんのちょっとの寿命しか見えないはずだ。そして、死が近い者しか映らないようにしてある」
……だから、僕には死の数秒前しか見る事が出来ないのか。
「そして今日、お前が見たやつは本来の易簀が映す死だ。弱めた目でもそいつが見えたってことは……」
「……見えたら、なんなんだ?」
自然と、全身に力が入っていた。握りしめた右手に爪が食い込んで痛い。
「いろんな事が相まって強化された絶対的な死が、その子を襲ってるんだよ。死神でも救えない絶対的な死、救えるとしたら……いや、誰にも救えんだろうな」
……絶対的な死。死神にもどうすることのできない程の絶対的な死。
あの子は……死ぬのか。
あの子に浮かぶ数字が0になった時、あの映像の通りに。
力なく、崩れ落ちるように倒れて死ぬのか。
納得できない、したくないんだ。でも、グリムは人の生死については絶対嘘をつかない。10年も一緒に暮らして来たから嫌でも分かる。こいつの言った事は真実だってことが。
心の中でどろりとした感情が渦巻く。悲しみ、絶望、諦め。そんな感情だ。
「……視えた数字を覚えているか?」
「……え?」
数字?見えた寿命のことか?
「本来寿命は10桁に見えるんだ、年:日:時:分:秒って感じでな。神様に月の定義は無いからな。残りの寿命が一年を切ると左の2桁は消えて見えなくなる。その子の寿命を覚えてるか?」
10桁……まて、10桁だって?
「あの時見えたのは……8桁だけだった」
「……それなら、寿命の残りは1年を切ってるな。詳しい数字を覚えてるか?」
「たしか……」
92:15:00:08
「あと……92日」
たった92日、自分で言ってそう思った。
あの子は、あと92日しか生きられない。