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お兄様は、お辛いのだろう。
ハッセン公爵家の養子として、お兄様は遜色ない実力を示されている。
周囲の評価を考えても、ハッセン公爵家の跡継ぎとして、なんら問題ない実力をお持ちのはずなのだ。
なのに、お父様はエミリオを新たに養子として迎えられた。
養子に迎えるということは、彼もハッセン公爵家の跡継ぎ候補になるということ。
うがった見方をすれば、お父様はお兄様の実力に満足していないということになる。
ゲームの記憶と現世の最も大きな違いは、その社会構造だ。
ゲームの世界では、おそらく前世の社会構造がそういった構造だったからだろう、不思議な身分制度がしいられていた。
あちらの世界では、王を頂点にした王族、貴族、平民(庶民)。時にそこに奴隷という人権を奪われた平民以下の身分が設けられる。
それだけであれば、この世界の身分制度である五属、すなわち王族・貴族・礼族・庶民・外族の別とそう変わらないよう身分制度のように見える。
王と王族、貴族、庶民という階級は同じであるし、礼族は位の低い貴族と同様とみなせる。
外族はあちらの世界では単に職業で傭兵とか芸人、楽人などと呼ばれているようだった。
ただ異なるのは、それらの身分の違いが、あちらの世界では能力ではなく、血筋で決められているということである。
おそらく魔力の有無が、社会構造を変えているのだと思う。
通常、王や貴族はその立場にふさわしい人間が選ばれる。
その能力を鍛えるべく、王や貴族は能力的にすぐれた子どもを10歳の礼式の頃に養子とし、手元でより優れた人間となるよう教育を施す。
もちろん王や貴族が自身の血をひく子どもたちにも同様の教育を施すことはあるが、それはその子どもが能力的に優れている場合だけだ。
わたくしのように公爵家という重鎮の家にうまれながら「そこそこ」の能力しか示せなければ、その当主の実子であろうとも家の外に出ることを念頭においた教育を受ける。
これがこの世界の常識だ。
だって治水ひとつとってもみても、王ならば「王」の、貴族なら「貴族」の地位にふさわしい実力者の魔力なしで行えない世界だから。
高い地位をもつ人間が、それにふさわしい実力がないということは、国を亡ぼすようなものだ。
翻って、前世の世界では、本当にただ当主の実子であるということだけを縁に、次の当主が決められる。
そこに母親の身分や社会情勢が加味されることはあっても、実施の能力が劣るからといって他家から養子を迎え、その子を当主とすることはめったにない。
それでどうやって王や貴族の職責を果たすのかは謎である。
けれど、彼らの世界には魔術という観念がなく、武力や知力といった能力すら、優秀な側近の力を借りて職責を果たせば、王や貴族その人にその地位にふさわしい実力がなくても許されるようだった。
こちらの世界で生まれ育ったわたくしからみれば、側近のほうが能力が高いなら、なぜ側近をその地位につけないのかが不思議だけど。
ただ、そういった社会構造の違いからか、ゲームでのわたくしはお兄様やエミリオに強気なところもあった。
能力的に二人の足元にも及ばず、外見的・性格的にもきらきらした魅力をはなつ二人に対して、ゲームのわたくしははげしい劣等感を抱いていたらしい。
そして当主の実子であるということよりどころにして、二人の生活に干渉したり、ヒロインとの仲を邪魔するのだ。
こういった感情は、こちらの世界で生まれ育ったわたくしにはいまひとつ納得しがたいものがあるけれど、あちらの世界では血のつながりはとても重んじられるので、公爵家の直系であるわたくしが歪んだプライドをよりどころにしてしまったのも、仕方がないのかもしれない。
類似の話もいくつも目にしていたので、おそらくあちらの世界ではそう珍しいことではないのだろう。
とはいえ、このような実力を度外視した態度は、あちらの世界でも許容されかねるものだったらしい。
ゲームでのわたくしは公爵家を追われ、いくばくかのお金をもらって、修道院に入る。
そしてお兄様が家を継ぎ、エミリオは別の貴族の家の当主となるというのが、ほとんどの「ルート」の結末だった。