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それにしても。
王子は、味音痴でいらっしゃるのかしら。
わたくしも美食家とは言えないけれども、ここまで味に頓着されないと心配になる。
とはいえ、なんでもおいしくいただけるのはいいことだ。
前世のわたくしの世界では、王族や貴族は美食の限りをつくしていた。
ごく中流の庶民だった前世のわたくしでさえ、大国グラッハの公爵令嬢である現在よりもおいしいお食事をいただくこともあった。
あの時代のレシピの豊富さ、食材の流通の良さは、目を見張るほどだ。
「転生した場合」の研究においては、前世の記憶をもとに、転生先の食事を改善し、富をつかんだという転生者も一定数いた。
わたくしの記憶にも、数多くの見たこともない食事のレシピが眠っている。
この記憶も活用しようと思えばできるけれど……、やめよう。
食べるものには、困っているわけではない。
収穫量を増やすのならともかく、味については現状でも問題ない。
あまり気軽に前世の知識を使うのもよくないかもしれないし。
現状、優先すべきは魔力の有効活用だ。
王子にねだられるままに、紅茶をカップに注ぎながら、わたくしは家に戻ったら魔力の練習をしようと心に決める。
王子は「おいしいなー、おいしいなー」と繰り返しながら、けっきょくすべてのお食事を召し上がった。
よかった。
食べて、寝られるうちは、人間はなんとかやっていけるものだ。
お疲れのはずなのに、王子の表情も明るい。
周囲の人間に気遣っていらっしゃるのかもしれないけれども、この状況で明るい笑顔をうかべられるというのは良いことだとおもう。
「お食事が終わられましたら、王子。申し訳ございませんが、もう一度軍部で魔力中をお願いします」
王子が食後の紅茶をめしあがると、ハウアー様がすかさず予定を口にする。
王子はきゅっと眉をひそめ、
「えー、もう?いま食べ終わったところなのにー」
「ですが、お食事の時間が長引いております。……リーリアを朝食の席に同席させれば、午前中の魔力充は真面目にするとおっしゃったのは、王子ですよね?」
知らないところで取引材料にされていたことに、驚く。
わたくしが同席することで、王子のお食事がすすんだのなら、喜ばしいことだけれども。
「王子。お体はだいじょうぶですか?」
非常時だからとはいえ、立て続けに魔力充をなさっているシャナル王子の体調が不安になる。
もちろんハウアー様だって、王子のお体に細心の注意をはらっていらっしゃることはわかっているのだけれども。
「うんー……、体はだいじょうぶだけど。はぁ。まだリアと一緒にいたいのにな」
「今回の魔力充は、軍部の遠話です。小翼のリーリアを連れて行くことはできませんよ」
軍部の遠話内容は、機密事項だ。
会話自体は暗号でなされるのだろうけれども、王城の小翼とはいえ、軍部所属でもないわたくしが同席していい場ではない。
シャナル王子もわきまえていらっしゃるようで、「ちぇー」と言いながらも、椅子から立ち上がる。
「いってらっしゃいませ、シャナル王子」
「うん。行ってくるねー」
ひらひらと手をふって、王子はハウアー様たちと軍部へ向かわれた。
さて、わたくしも小翼としての仕事をしなくては。
王族の食堂で給仕をするのは、おおむね侍官の仕事である。
小翼がサポートでつくことはあるけれども、それよりも普通は王子宮に残り、王子の不在の間に部屋を整えることのほうが多い。
わたくしも王子宮に戻るべきかしらと指示をあおぐと、背の高い女性に一緒に来るようにと言われた。
王子宮でハウアー様に次ぐ上官のクノエ様だ。