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「義賊……」
わたくしは、もう一度その聞きなれない言葉を口にしてみた。
なぜか脳裏に、灰色の衣服に身を包んだ男が、屋根から金貨をまいている光景がうかぶ。
……これも前世の記憶なのかしら。
膨大に詰め込まれた記憶を探ってみるけれど、灰色の男の顔はぼんやりとして、はっきりしない。
研究対象の外見に関して、驚くほど細かく記憶している前世のわたくしにしては奇妙なことだ。
この灰色の男は、研究対象ではないのかもしれない。
「……やはりリーリア姉様のような生粋の貴族の方には、義賊などといっても盗賊は憎むべき対象ですよね」
考え込んでしまったわたくしを見て、エミリオは苦く笑う。
「いいえ」
わたくしはすこし考えて、言葉をつづけた。
「確かに、後に困窮している市民に財産を分配するとはいえ、他人から財をかすめとるというのは褒められたことではありません。けれどエミリオが憧れるような話が外国であるグラッハの庶民にまで広まっているのなら、イプセンの王族や貴族たちは、国を正しく治めるという自分の責務を果たせていないのでしょう。それなのに私財をためこんでいるというのなら、……わたくしは公爵家の娘として、そのような財は盗まれてもしかたあるまいと思います」
すこし言葉が厳しくなったのは、エミリオに彼が貴族として今後生きていくための指針としてほしいと思ったからだ。
エミリオがこのハッセン公爵家を継ぐことはなくとも、彼は今後貴族として生きていかねばならないのは確実だ。
庶民たちが盗賊を賞賛しなければならないほど生活を貧しくしているのに、彼らを守るべきわたくしたち貴族が自分たちだけが私財をためこむなど、許されることではない。
庶民は、親子間での財産の継承が大きく認められている。
上級商人と親しくしていたエミリオは、私財についての考え方がわたくしたち貴族と異なるかもしれないと心配だったのだ。
言いすぎたかしらと、エミリオの表情をうかがう。
エミリオには、お父様がきちんとした教師を用意しているはず。
わたくしが勝手な考えを述べるのは、僭越だったかもしれない。
けれど、エミリオはすこし紅潮した顔で、嬉しそうに何度もうなずいた。
「貴族の義務というヤツですね。グラッハ国の上流階層は義務を重んじ、私欲に走らないのが素晴らしいとマリオもよく言っていました。現当主の身内でも、血縁だけの相続は1割程度。それでも我々庶民から見ると莫大な資産なんでしょうが……」
「国によって差はあれど、家を継がない血縁に残せる財産は、どこの国でもそう多くはないはずですよ?」
家の財産は、一部は伴侶や子に残せる。
けれど、その大部分は家の存続と責務を果たすために使用すべきというのは、こちらの世界では当たり前の概念のはずだ。
誰でも自分の伴侶や子はかわいくとも、彼らに家の財産の大半を相続させるなどという私情が許されるはずもない。
そんなことをすれば、次にその責務を果たすべく地位についた人間が、責務を果たすための手数を大幅に減らすことになる。
そんなのは、前世のわたくしの世界でしか起こりえないはずだ。
大国や近隣諸国の法律でも、グラッハと大きな違いはない。
わたくしはエミリオに自信をもって、そう告げた。
けれどエミリオは困ったように、言う。
「そのはずなんですけどね。最近のイプセンでは、事情が異なるようですよ」