119
「ハウアー様……?」
上司に頭を下げられて、とまどう。
王子との噂で、ご迷惑をおかけしているのはわたくしのほうなのに。
「あの……、頭をあげてください」
周囲に人はいないとはいえ、こんなところを同僚に見られたらと思うと気が気ではない。
わたくしが言うと、ハウアー様はすぐに頭をあげた。
「一時的とはいえ、貴女は私の部下です。このような噂がたってしまったこと、申し訳なく思います」
「そんな……、ハウアー様のせいではありませんのに」
噂のきっかけは、サラベス王の命を受けてシャナル王子がザッハマインへ向かわれたことだ。
そして下地は、王子がわたくしのことが好きだと周囲に喧伝されていたこと。
それに加えて、お父様の行方がわからないという知らせを聞いたわたくしが、王城の廊下という人目がある場所で、シャナル王子に支えていただいて歩いていたことだろう。
いくらわたくしが今、王子宮で働かせていただいているとはいえ、ハウアー様がわたくしに謝罪なさる必要なんてない。
「……そう言ってくれると、気が楽になります」
ハウアー様は苦笑して、わたくしを見る。
その視線は複雑で、わたくしはハウアー様がまだなにかおっしゃりたいのではないかと身構えた。
けれどもハウアー様はすぐに事務的な表情にもどられて、先ほどシスレイから聞いたような話をしてくださった。
王城では今、シャナル王子が愛するわたくしの父を助けるべく、海賊が逃げているザッハマインへと向かわれたこと、それはわたくしへの愛の証であり、王子がもどられたら婚約が発表されるのではないかと噂されているという。
「もともとシャナル王子は、貴女のことを好きだと言ってはがかりませんでしたからね。噂が、王子にも貴女にも好意的なのは幸いですが、しばらく周囲は噂の片割れである貴女に注目するでしょう」
「それは、仕方ありません。もとより、父が行方不明であることで、人の目をひくことは覚悟していました。七将軍という重鎮にいながら敵に不覚をとったことで、人のそしりを受けるだろうことも。それに比べれば、王子とのロマンスで注目されることなど、なんということはありません」
つとめて落ち着いた態度を装って、わたくしはハウアー様にお伝えする。
そう、この噂はわたくしやハッセン公爵家にとっては僥倖なのだ。
今現在わたくしにもたらされている情報を信じるのなら、噂はわたくしに好意的で、お父様への批難さえ覆い隠してくれている。
問題があるとすれば、それはわたくしの恋心が、お兄様以外の方との噂を拒んでいることくらいだ。
それはわたくしの心にとっては重大な問題だけれども、客観的には些細な問題だ。
わたくしにとってこの問題が重大になるのは、王子がこちらへ無事に戻られてからだろう。
わたくしは、シャナル王子と婚約しないのだから。
とはいえ、シャナル王子が無事に戻られるころには、ザッハマインを襲った海賊もつかまり、詮議や今後の対策で王城は忙しくなる。
思いがけないロマンスをうやむやにするのは難しくないだろう。
だから、わたくしがいちばんに気がかりなのは、やはりシャナル王子のことだった。