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同じ動作を繰り返していると、心はだんだん無にかえる。
苛立ち、ざわめいていた心が、平らかになっていく。
ぶんっと剣をおろす音が、耳に入る。
余計な感情がそぎ落とされていくと、わたくしの心に残ったのは、ふたつだけだった。
お父様が、どうかご無事ですように。
お父様とお兄様にお会いしたい。
この、ふたつだけ。
エミリオのことは、いつの間にか心の中から消えていた。
もともとあの程度のことであんなに感情が揺れるなんて、わたくしらしくない。
普段なら、少しは腹をたてても数分もすれば忘れてしまっただろう。
それ以前に、抱きしめられるような隙をつくらなかったはず。
動揺している今だからこそ、エミリオにあそこまで腹をたてたのだ。
木剣を置き、乾いた布で体をぬぐう。
めちゃくちゃに体を動かしたせいで、あちこちに負担がかかっている。
……わたくし、どのくらいの時間、木剣をふるっていたのかしら。
このままベッドに倒れこんで眠ってしまいたいけれど、そういうわけにもいかない。
腕や足をストレッチして緩め、お風呂をいただいた。
メアリアンたちには先に寝るように伝えたから、侍女たちは誰もいない。
お湯は冷めていて、ぬるい水のようになっていたけれど、ほてった体にはちょうどよかった。
エミリオに腹を立てていた時、会ったのがメアリアンだけでよかった。
感情にまかせて、彼を避けるような指示もださなくて、よかった。
わたくしを焦燥にかりたてている原因は、エミリオじゃない。
お父様の安否がわからないことと、傍にお父様とお兄様がいらっしゃらない不安だ。
彼に八つ当たりしなくて、よかった……。
本来なら、わたくしはハッセン公爵家の実子として、また姉として、彼を守らなくてはいけないのだから。
メアリアンなら、わたくしが明日、今日のことは忘れるように言えば、わかってくれるだろう。
彼女は、ほんとうの意味で敏い。
わたくしが自分の行いを恥じていると知れば、気をまわして、この家の使用人たちがエミリオをそっと疎外するよう動かすなんてこともないだろう。
これが、なんだかんだ言ってわたくしに過保護なルルーだったなら、エミリオは使用人たちから慇懃に、けれどよそよそしくふるまわれるようになったかもしれない……。
……それこそ、ゲームのエミリオのように。
髪の手入れをしながら、わたくしは思い出す。
前世のわたくしが最期に研究していたゲーム。
あれが、予言のようなものなら。
きっと、お父様はご無事なはずだ。
ゲームでは、ハッセン公爵は健在だったもの。
けれども、あのゲームが預言のようなものであるのならば、お兄様がヒロインを好きになるということも現実になるかもしれない。
それは、嫌。
お兄様が、わたくし以外の女の子を選ぶところなんて、見たくない。
でも、けれども……、その代償として、お父様が生きて帰っていらっしゃるなら。
わたくしは、この恋をあきらめられるのかしら……。
次は、お兄様です。