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不覚にも、お父様でもお兄様でもない人の前で泣いてしまった。
そんな自分が恥ずかしくなって、涙をごまかして笑う。
と、目の前のエミリオが怖い顔になった。
そして、低い声で、わたくしの名前を呼んだ。
「リーリア」と。
たった一言。
けれども、わたくしの名前を呼ぶエミリオの声は、今まで聞いたことがない声音で。
目の前にいる明るくて屈託のない甘えん坊な弟は、まだよく知らない男の子なのだと改めて思い出す。
ゲームのエミリオと目の前のエミリオは別人だと思っているのに、彼に、自分がこんなふうに名前を呼ばれるなんて思ってなかった。
まるでこんな……、ゲームのエミリオが、想いを秘めたヒロインに囁きかけるような声で、わたくしの名前を呼ぶなんて。
強い力で、エミリオはわたくしを抱きしめられる。
そして、「だいじょうぶだから」「俺のことも、頼ってよ」などとエミリオは言う。
なにがだいじょうぶなの?
頼ってって、……そんなの。
わたくしは、力の限り、エミリオに抗った。
エミリオの腕の中で体をよじり、エミリオの胸を拳でたたく。
けれども、エミリオの体はやすやすとわたくしの抵抗を受け止める。
悔しい。
わたくしは幼いころからずっと武のハッセン公爵家の娘としてすこしでもふさわしくありたいと、鍛錬をかかさなかった。
適性がないのと、兄様に文官を勧められたため結局は武官にはならなかったけれども、同じ年齢の男子にだってそうやすやすと負けない自負があった。
なのに、ついこの間まで街で育ち、きちんと武術をおさめたこともないエミリオに、力でぜんぜんかなわないなんて。
エミリオには、魔力でも負けている。
武術でも、勝てるとは思っていなかった。
けれども、こんなにもかなわないとも思わなかった。
わたくしの全力の抵抗は、エミリオには軽くいなせる程度のものなのだ。
わたくしは、……わたくしはこんなにも頼りなく、弱い。
わたくしの心の弱いところがぐずぐずに崩れて、エミリオの声が染みこもうとする。
頼っていいと、自分が支えると言うエミリオ。
それはエミリオの優しさなのだろう。
わたくしを抱きしめるエミリオは、そう体格は変わらないのに力強い。
わたくしが彼に頼れば、きっと彼は支えてくれるのだろう。
もしかすると、今の我が家の状況では、それが正しいことなのかもしれない。
わたくしが、仮の主人としても頼りないのは自覚している。
けれども。
それじゃ、嫌なの。
今ここで泣いてエミリオにすがってしまえば、わたくしはハッセン公爵家の娘として、ほんとうに駄目になる。
たとえエミリオに頼ることが正しいのだとしても、今すぐには頼りたくない。
例えそれが、ただのわがままなのだとしても。
お父様。お兄様。
わたくしは、敬愛するおふたりの家族として、ふさわしい人間でありたいと願う。
そのためには、今はエミリオに泣きつきたくなかった。
せめて、今夜だけは、猶予が欲しかった。
視点ころころで申し訳ないですが、
次回はエミリオになるかもしれません。