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はしたないとわかっていても、小さなあくびが漏れる。
「ふぁ」
かみ殺したつもりのあくびは、けれどお兄様にはきづかれてしまった。
「リア」
お兄様は読んでいらしたご本から目をあげて、わたくしを見る。
お兄様の漆黒の瞳にうつされただけで、わたくしの頭はとけてしまいそうになる。
たちあがって、窓辺に座るわたくしのところにまで歩いてこられたお兄様は、いたずらっぽく笑って、わたくしの頬をなでた。
「眠たいのかい?」
「少しだけ」
赤くなった頬を隠すようにうつむくと、頭上からお兄様の明るい笑い声がする。
「お父様は、ずいぶん遅くなるようだ。けれど、今日はわたしたちの弟が来る日だからね。起きて、待っていられるね?」
「ええ。もちろんですわ」
わたくしは、顔をあげて、笑顔をうかべた。
お兄様は「よい子だ」とわたくしの頬をもう一度なでると、元の椅子に戻り、また書物に目を落とされる。
わたくしは、窓から外を見ているふりをしながら、そっとお兄様の横顔を見つめていた。
お兄様と呼んではいても、わたくしリーリア・ハッセンと、お兄様ガイ・ハッセンの間に血のつがなりはない。
わたくしはハッセン公爵家の一人娘として生を受け、お兄様はハッセン公爵家の傍流で、現在は礼族であるフッセン家で生を受けられた。
そしてその才能を認められ、10歳の時に、このハッセン家に迎えられたのだ。
わたくしは、そのとき8歳。
魔術にすぐれ、武術や学問でもひとかたならぬ才能を発揮されていると噂の少年が当家に入ると聞き、わたくしの心は複雑だった。
たった8歳だったけれど、人並み以上に努力して学んだ魔術も、勉学も、わたくしはそれなりの実力しか身につかなかったし、家庭教師たちの反応をみていれば、自分の実力は「それなり」……つまりハッセン公爵家の人間としては失格なのだと気づかずにはいられなかったから。
お父様が、お兄様を引き取ると決められたのは、わたくしの才能に見切りをつけたということでもある。
もちろんお兄様は音に聞こえた秀才で、10歳になれば各家で引き抜きがあるだろうから、さっさと手の内に確保したということもあるけれど。
自分のいたらなさと、お父様に才能を見切られたこと。
才能を認められないことと愛情は別物だとはわかっていても、8歳のわたくしには悲しいできごとで、お兄様をお迎えする日は、こっそりと涙を流していたものだった。
けれど、そんな気持ちは、お兄様を見た瞬間に霧散した。
お父様に手を引かれて、この屋敷に入ってきたお兄様は、お父様そっくりの黒髪に黒い瞳をもった毅然とした印象の少年で。
油断のないまなざしであたりを見回す所作は、武芸に長けた人が持つ緊張感に満ちていたのに、わたくしと目があった瞬間、そのまなざしは柔らかくゆるめられ、にこりと優しい笑顔にかわった。
わたくしは、一目でお兄様に心を惹かれた。
そして、それは7年たった今も、かわらない。
「お父様、はやく帰っていらっしゃらないかしら」
お兄様と二人きりで書斎にいるこの状況が気恥ずかしくて、わたくしは、小さくつぶやいた。
そんなわたくしを、お兄様がどんな目でみていらっしゃるかなんて、ぜんぜん知らなかったのだ。