表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

元・奴隷の少年は王城を駆け回る【番外編】

作者: 水月 玲

ユエとユオがルゼノ王宮を旅立つ前の話。

 白い浜辺に波が寄せる。浜辺に散らばった貝殻が空の星たちの様に、浜辺を彩った。波は軈て海に返る。昼の海よりも濃い蒼が夜空との境目を曖昧にさせ、その夜空の星たちは、満月の輝きに魅せられ、瞬く事を忘れるが如く、空に姿を見せない。


 夜中に目が覚めた。それは単に眠りが浅かったからか、それとも宿部屋の窓が絶妙な角度で月光を射し込ませていたからか。それとも、髪をすく様に優しく頭を撫でられていたからか。将又、それら全てが起因したのかもしれない。


「……起きちゃった?」


 静寂の中、鈴の音の様に優しく落ち着いた声が、寝台の上で丸くなっている黒髪の少年──ヒカルの上に落ちてくる。優しく頭を撫でていた手が、言葉が発せられたと同時に止まり、軈てゆっくりと離れていった。それが少し惜しい気がするが、もっと撫でていて欲しい、と縋り付く程、ヒカルは子供ではない。僅かに残った温もりの余韻に浸りながらも、ヒカルはゆっくりと、その双眸を開いた。


「どうしました?…ユエ様」


 ヒカルはその声と手の主に問い掛けた。眠気眼でも確認できる、月の様に金色に煌めく髪と、昼間の空の様な目の色を持つのはルゼノ第一王子であり、つい先日の騒動──王弟の謀反で活躍したユエディーネである。


「いや…何でもない」


 ヒカルの問にユエは首を振った。それに合わせて金色の髪が暗い部屋の中に舞う。

 ヒカルは眠気眼で、闇の中でも煌めくそれを無意識に追った。嘗て、長かった髪よりも振り幅は短くなったが、暗闇にその存在を主張するには十分であった。


「…ヒカルは、()()()が好きか?」


 静かに問い掛けられ、ヒカルは、こてん、と首を傾げた。頭が働いてないからか、問われている意味が理解できない。


「それとも、今でも忌まわしい?」


 普段であれば、ヒカルの様子から意味を理解していない事に気付くであろうユエが、今回は何故か気づかない。それとも、敢えて気付かない振りをしているのか、ヒカルには解らなかった。

 悲しげに細められた空色の双眸が月光に煌めく。淡い青い瞳は宝石のアクアマリンを思わせる程に清んでいる。

 睡魔がヒカルを眠りへと誘うが、ユエの問に答えねば、と頑なにその双眸を開くが、問の意味を問おうと思った所で、また瞼が落ちてくる。コクリ、コクリ、と首を揺らしながらも、睡魔に必死に抗おうとする弟に、ユエは微苦笑を浮かべた。


「…ごめん、眠いよね」


 優しい声が耳に届く。それに微かに笑声が交じった。


「お休み、ヒカル」


 ユエの手が頭に触れる。その温もりと撫でられる心地好さに、ヒカルは抵抗する事なく、眠りに落ちて行った。スースーと寝息を発てるヒカルを捉えた瞳が滑らかな弧を画いた。


「…まだまだ子供だなぁ」


 くすり、とユエはまた笑声を交えた。

 部屋の窓は今夜の満月を招く様に、その窓から月の光を射し込ませていた。ユエはそれを仰ぎ見ると、淡い青の双眸を細めた。


「優しい風が頬を撫でて…夜空には星が輝いた」


 ユエは子守唄を唄う様に口ずさむ。ヒカルの髪を指ですき、子供をあやすように、柔らかな声音で唄い続けた。


「森の木漏れ日は優しく君を包み、手に握った砂時計は相変わらずに時を刻んだ」


 その歌は、ルゼノ王妃が子守唄として唄っていた唄であった。憶えている事が不思議な程に昔であり、ユエが唄うそれは()()()()()()()()()に何の疑いもない頃の、陰りのない幸せな記憶であった。ユエは静かな声音で、思い出の唄を紡いだ。


  何時だって変わらない

  風が吹き、星は輝く

  君が悲しくない様に傍にいる

  君が笑えるのなら、僕も傍にいよう

  たまには立ち止まってもいいから

  休んだら、また歩こう

  時がどれだけ流れたとしても

  永久に変わらない

  砂時計は正確に時を刻むけれど

  焦らなくていい

  時には涙を流してもいいから

  涙を拭ったら、また歩こう

  風が吹き、星は輝く

  君が寂しくない様に傍にいる

  君が願うなら、僕も傍にいよう

  君が望む未来は僕の願うもの


「お休み…ヒカル」


 ユエは闇に溶け込むヒカルの黒髪を指ですいた。さらさらと指から逃れる黒髪をユエはその瞳に映した。それにユエは微笑を浮かべ、愛しいものに触れる様に、また弟の頭を優しく触れた。

 ユエが立ち上がると、寝台が軽く軋んだ。しかし、ヒカルは目を覚ますことなく、夢の中であった。ユエは安堵した様に微笑むと、扉の取手に手を掛けた。


◆◇◆◇◆


 あれは夢だったのだろうか。

 ヒカルは首を傾げた。夜中にユエが触れていた温もりは消え失せ、今はその余韻さえ感じない。時間が経てば温度は下がり、人から与えられた熱など消えてしまうのが通常であるが、ヒカルは納得がいかなかった。

 ヒカルは寝台の上で毛布にくるまり、ぐるっと辺りを見回した。部屋の中には長椅子や小卓があるが、肝心のユエの姿はない。ヒカルは眉を寄せた。

 先日の騒動でルゼノ王の隠し子だと発覚したヒカルは公にはされていないものの、元より不明確だった身分が奴隷以上小姓以下を脱却して侍従見習いとなった。王の隠し子ともなればそれなりに大事とはいえ、騒動の果てにルゼノ王家には元・王弟子息ユオルディーラが養子に入ったので、この際ヒカルの存在は無視してくれて構わない。しかし、元より距離感が近い兄弟だったからか、ヒカルが王の隠し子と言う事が発覚してから――ユエとユオはきっと知っていただろうが――ヒカルへの距離感も一層近くなった。その例が、まるで愛玩動物のように頭を撫でられたり、彼らの膝上に乗せられることだ。そして、それはヒカルにとって、手っ取り早く暖を取れる方法である。


(子供扱いは…まぁ、ちょっと、いや、たまに…嫌かなって思うけど、湯たんぽは歓迎!)


 内心の葛藤はあるものの、人間、誘惑には勝てないものだ。意地を張って機会を逃すよりも、子供扱い・または愛玩動物扱いも慣れてしまえば、諦めもつく。しかし、ヒカルが目覚めた頃には、彼の温もりは残っていなかった。冬が終わり春が来た。それは確かだが、まだ朝方は暖かいとは言いづらい。ユエの温もりを失ったヒカルは、朝から御機嫌斜めである。

とはいえ、仕事は仕事と割り切らなくてはならないので、ヒカルは渋々寝台から足を下ろした。


「……何、朝から仏頂面してんだ?」


 不意に聞こえた声の主は、赤髪の青年──此方もヒカルの異母兄にあたるルゼノ第二王子クラウディアであった。彼の癖毛である髪は緩い波を描いている。黒を厭う国柄で暗色を基調とした服を身に纏う彼に、ヒカルは未だに馴れないが、内心の動揺を表情に出さずにヒカルは微笑んだ。


「いえ、何でもないです。おはようございます、クラウディア兄上」


というか、なんでここにいるの。

まだ朝早いんだけど。


「おはよう、ヒカル」


クラウディアは笑みを浮かべて挨拶を返すと、まだ寝台から足を下ろしただけのヒカルの元へとやってきた。

 騎士故か、クラウディアの朝は早い。彼の生活に合わせているクラウディアの侍従達ならばいざ知らず、彼の担当ではない侍従見習いのヒカルとの生活時間は全くの別なので、まだ身支度をしていない点に関してはスルーして欲しい。

寝台に腰を掛けていたヒカルの前にクラウディアの手がすっと伸びたかと思えば、乱暴にガシガシと髪を乱される。元々寝起きだった為、髪を梳かしていた訳ではないが、更に酷くなった。


「…何するんですか」


 じとっと異母兄を見上げれば、クラウディアは深青色の瞳をすっと細め、髪を乱暴に梳いていく。


「よし、直った」


 ヒカルの手元には鏡がない為、何とも言えないが、クラウディアの性格上、直してくれたとは思えない。


「…そうですか」

「可愛くないな」


 信じていない眼差しと言葉を向けたヒカルに、クラウディアは揶揄う様に片眉を吊り上げ、苦笑を浮かべた。器用に表情を作るクラウディアの深青色の瞳が取り入れる光の量を変え、その瞳を煌めかせる。

 黙っていれば美形で通る整った顔立ちに、夕焼けに似た髪色、深青色の瞳は女性の目を惹く。先日、クラウディアが城下に買い物に出掛けた際には街を歩く女性が振り返っていた。それが第二王子兼騎士として有名だからなのか、その美形ゆえかは知らないが。

それは兎も角、ヒカルにとっては最近ほぼ毎日見ているせいか、彼の性格を知っているせいか、クラウディアを間近で見上げても目を見張る程の美形だと思う事はなかった。


(いや、美形は美形…整ってはいるんだよね)


 というか、ステラ様曰く「地位か財力か顔かで婚姻し続けているだけある」とのこと。美形って、使い様によっては武器だもの。


「俺に可愛さを求めちゃ駄目ですよ」

「冗談だ。さっさと顔洗って、着替えて、食堂に来い」


 クラウディアはヒカルの頭を掻き回す様に撫で、ニヤリ、と笑うと、満足したのか部屋から出て行った。ガチャン、と扉の閉音が耳に届くと、ヒカルはクラウディアが乱した髪に触れた。髪の跳ねの大半は寝癖であるが、明らかに彼の手によって乱れが生じている。


「…馬鹿兄貴」


 ヒカルはボソリ、と呟き、身支度を整え始めた。鏡の前に立った瞬間、明らかに撫で回した結果であろう髪型に頬を膨らましながら串を持った。しかし、一度櫛を通しただけで髪の跳ねが直るなら苦労しない。ヒカルが必死に髪の跳ねを押さえていると、不意に笑声が聞こえた。ヒカルは髪から手を離し、声が聞こえた方へと目を向けた。ヒカルが瞳に映したのは黒髪の青年──第三王子スカイティアである。


「クラウディア兄上は容赦がないな」


 何時から見ていたのか、それともクラウディアと話したのかと思いつつ、笑声を含んだ柔らかな声に、ヒカルは微苦笑を浮かべた。


「あーあ、これじゃ…簡単には直らないぞ」


 スカイティアは優しくヒカルの髪を梳いた。穏やかな微笑を浮かべ、ヒカルの手の櫛を引き継ぐように取った。


「おいで」

「…何時もより酷いですよ」

「兄上に遊ばれていたからな」


 ヒカルの呟きに、スカイティアはまた笑声をあげた。ヒカルは、穏やかに細められた淡青色の瞳を鏡を通して捉え、ふっと笑った。


「あの人、本当に容赦ないんだから」


 ヒカルは再び頬を膨らました。クラウディアは先に食堂へ向かった。悪口は言いたい放題である。


「クラウディア兄上だって癖毛なんだから、直すの大変だって知っている癖にあんまりですよ」


 思い出すのは、日の中に揺れる赤髪である。腰の高さまで伸びた髪はクラウディアが歩む度に揺れ、穏やかな波を打つそれは、彼の侍女侍従曰く「遊び甲斐がある」とのこと。……王子の髪で遊ぶなよ、とは言わなかった。


「あの人なりの構い方なんだろう」

「構わなくていいです」


 微苦笑を浮かべたスカイティアに、ヒカルはまた頬を膨らました。構い方が雑なのだ、その兄は。


「…その点、スカイティア兄上はサラサラですよね」


 ヒカルはスカイティアを仰ぎ見ると、彼の髪に手を伸ばした。指を通せば、その指通りの良さに、思わず笑みが溢れる。緩やかな癖があることは同じなのに、指はさらりと通っていく。


「そうかな?レーウィスの方がサラサラだし、綺麗な髪質だと思うけど」

「私が何か?」


 不意に聞こえたのは、噂をすれば影とばかりのレーウィスの声であった。兄二人に続き、いや、夜中に来訪したユエを合わせれば、四人目の来訪者である。……いや、何故、俺の部屋?


「レーウィスの髪の方が綺麗だって話」

「はい…?」


 スカイティアの言葉にレーウィスは首を傾げ、深青色の瞳はスカイティアとヒカルを捉えた。不思議に思いつつも、近づいてきたレーウィスの髪に、ヒカルは手を伸ばした。金色に煌めく髪は絹のように手触りが良い。


「本当だ。綺麗な髪」

「ヒカルの方が柔らかい髪質でしょう」


 ほら、とレーウィスはヒカルの髪に触れ、微笑んだ。頭を撫でるという行為一つも丁寧なレーウィスに、ふっとヒカルは笑う。先日まで城を留守にして、生家であるアーベント伯爵家に戻っていた彼もまた先日の一件で落としどころが着いてすっきりした様だ。以前から優しかったレーウィスだが、戻ってきて一層柔らかな雰囲気になった。スキンシップが増えたのも、そのせいだ。頭を撫でるレーウィスに「そんな事ないです」とヒカルは抗議したが、レーウィスは抗議を無いものとするかの様に笑みを浮かべたまま、ヒカルの髪に触れていた。


「…髪、梳かす…」


 櫛を握っていたスカイティアは己の側近と弟の戯れに、行き場を失った櫛をどうしようかと呟いたが、

「…後で、いいか」と結論を出したスカイティアは傍にあった椅子に腰掛け、微笑ましいその光景を眺めていた。


「――遅いと思えば」


 不意に耳元で不穏な空気を纏った声音が聞こえた。


「…まぁ、いいではないですか」


 聞こえた声の主はきっと不機嫌だろうな、と思いつつ、スカイティアは微苦笑を浮かべた。声がした方へと視線を滑らせれば、案の定、青空色の瞳と、波を打つ赤髪を捉えた。


「態々迎えに来て下さったのですか?」


 兄上、と続けたスカイティアはクラウディアを見上げた。一瞬驚いたかの様に目を見張ったクラウディアだが、眉を微かに寄せると溜め息を一つ吐いた。


「…お前らが食わないなら、俺が食うと言いに来た」

「うーん…兄上の髪も触り心地が良さそうだ」

「は…?」


 唐突な異母弟の言葉に「何の話だ」と眉を顰めるクラウディアを無視して、スカイティアはヒカルを呼んだ。


「…お前、本当に変わったな」


 クラウディアは深青色の瞳に腹違いの弟の姿を映した。嘗て、自分が向ける視線に怯えて、自分の宮殿に引き籠っていた異母弟。それは、確かにまだ数か月前の話である筈だった。それなのに、今は自分よりも一層生き生きとしているように見える。


「そうでしょうか」

「…変えられた、の間違いか」

「そうかもしれませんね、今更ですけど」


 スカイティアは淡々と答えながらも微笑を浮かべ、クラウディアは何処か呆れたように肩を竦めた。お互い、自覚がない訳ではないのだ。


「何ですか?」

「ほら、クラウディア兄上の髪も触り心地が良さそうだ」


 寄ってきたヒカルに、スカイティアがクラウディアを指差した。


「人を指で差すな、行儀が悪い」


 クラウディアは舌打ちをしたが、ヒカルとスカイティアは聞いてもいないのか、ヒカルは目を輝かせ、スカイティアは笑みを浮かべた。


「何を…」

「柔らかそうですね」


 何か悪戯を思いついたかのように黒い瞳を輝かせるヒカルに、クラウディアは嫌な予感がしたのか顔を引き攣らせた。


「…おい、待て」

「嫌です」


 状況が把握できていないクラウディアは、じりじりと近付いて来るヒカルの動きに合わせ、後ろに下がった。しかし、その途中で小卓に足をぶつけ、視線をヒカルから逸らした瞬間、クラウディアにヒカルが飛び掛かった。


「――ふふっ、クラウディア様に取られてしまいました」


 笑声を交えたレーウィスの声音が届き、スカイティアは背後に立つレーウィスを見上げた。空色の双眸に、レーウィスの金色に輝く髪が映り込んだ。


「レーウィスも元気になったね」


 はい?と、レーウィスは首を傾げた。スカイティアは、その瞳に少しの哀愁を宿した。


「色々と聞いたから」

「……左様ですか」


 レーウィスは眉尻を下げ、微苦笑を浮かべた。僅かに動いた表情が金に煌めく髪を揺らした。

 ルゼノはその金に煌めく髪色を美しいと讃えていた。しかし、『黒髪』を不吉の象徴として奴隷階級に貶めたルゼノの伝統と言う名の差別は王弟の謀反と、隣国マーシャンドとの交戦と経て、変革を余儀なくされた。


(いや、変えようと足掻いたんだ、兄上やレーウィス達が)


 終わってみてみれば、きっと歴史の一時。スカイティアが流し読んだ歴史の一部のように、後世には変革期と称される事変の一つに過ぎないだろう。それでも、スカイティア達は『今』を生きている。


「…自分で歩かないと、ね」

「え?」

「何でもないよ」


 レーウィスは首を傾げたが、スカイティアは微笑むだけで、視線をずらした。

 目に映るのは、次兄と末っ子の微笑ましい光景。クラウディアとヒカルの間には距離があり、ヒカルはまだクラウディアの髪に触れていないらしい。窓辺から射し込む日の光が、クラウディアの揺れる髪の影を床に作り出す。


(昔から、その髪が好きだった)


 スカイティアには過去に馳せる想いがあった。幼い頃クラウディアの髪を気に入り、掴んで放さなかったのだ。自分とは違う髪質と色が珍しかったのだろう。しかも、その話は幼い頃のクラウディアがユエの金色の髪を「きんきらきん」と言って手放さなかったと言う話も交えて、皆の笑い話になった。


「……皆、まだヒカルの此処にいたの」


 二人の戯れを眺めていると、鈴の音に似た優しい声音が耳に届いた。スカイティアが声の聞こえた方向に目をやれば、そこに立つのは金に髪を煌めかせるユエであった。


「ユエ兄上」

「食堂にいないから…探したよ」


 空色の双眸が安堵した様に弧を画く。


「すみません」

「ヒカルはクラウディアの髪にじゃれているのかな?」


 スカイティアの謝罪にユエは肩を竦めると、クラウディアとヒカルの方へと目を向けた。


「じゃれるって…猫ではないのですから」


 紡ぐ言葉に笑声を交えれば、ユエに「いや、見てると…ほら」と二人の方を指差される。

 空色の瞳にそれを映せば、思わず「あぁ…」と納得してしまう。ヒカルは赤髪を掴み、波打った髪を指で梳いている。波打つ赤髪は余程触り心地が良いのか、何度も指を通している。その髪の持ち主であるクラウディアは逃げ疲れたのか椅子に腰掛け、ヒカルの好きな様にさせている。クラウディアの、ヒカルを捉える深青色の瞳は呆れを孕みながらも穏やかで優しさを宿していたのだから、クラウディアが冷たいなんて言う者はきっと彼の『大事なもの』になれなかったのだろうな、と納得する。


「最近、クラウディアの眉間に皺が寄らないな」


 弟達を捉えたユエの瞳は、その場に似合わぬ悄愴に似た何かを宿した。ユエの眉尻は下がり、口角は僅かに上がり、悲しげな微笑を浮かべた。微笑ましい光景に向ける筈のものではないそれは、ユエの中の煮え切らない、昇華もできない感情の表れだった。

 そんなユエの表情に、スカイティアは小さく息を吐く。


出生(かみいろ)を、気にする必要なんてないんですよ」

「え?」

「……ヒカルを見ていれば、分かるでしょう?」


 スカイティアの言葉に、ユエは溜め息を一つ落とした。


「…聞いてたの?」


  ユエは小さく笑う。夜中、ヒカルに問い掛けた事をスカイティアに聞かれていたのだ。


「月が明るかったので、目が冴えてしまったようです。……俺は好きですよ。レーウィスとユエ兄上の『髪色』」


 スカイティアは空色の双眸を細めて笑う。穏やかな弧を画くそれがユエを映した。

 本当は怖かったんだ、とユエは心の中で呟いた。ルゼノを変革しようとしたところで、そこに住む人間の、【不吉の象徴】とされた『黒髪』に対する偏見が存在する事は変わりない。それと同時に『黒髪を持つ者達』の、『金髪』に対する憎悪や恐怖が取り除かれるか、と言えばそう簡単な話ではない。

 弟達の為、なんて結局は身勝手だ。自分が、ルゼノの現状を見ていられなかっただけなのだ。

 金色の髪を持つ自分が弟達に疎まれるのが嫌だった。弟達に嫌われることが何より恐ろしかった。まして、今ある『ユエ』という存在は亡き第一王子の身代わりで、実際にはルゼノ王の実子なのかも、王弟に入れ替わらせられた存在なのかも分からない。ユエは自分のことさえも把握できていない紛い物なのだ。

 偽物の分際である自分にできることを、ルゼノ王や兄弟への償いとして、彼らの敵を葬りされればよかった。その為の革命だった。謀反者の血縁として処刑台に上がる心算だった。

 それなのに、とユエは口許に笑みを浮かべた。


「…ありがとう」

「え…?」


 驚くスカイティアに、ユエは微笑んだ。彼らを縛る差別意識(げんじょう)から救ってあげたかったのに、結局救われたのはユエの方だった。

 その事実は情けないけれど、嬉しかった。彼らを救いたかったのは本音だ。それと同時に、彼らにとって顧みられる存在でありたかったと思ったのも本当だ。紛い物である自分が、必要だと、誰かではなく他ならない『家族』に思って欲しかった。

 ヒカルは「血の繋がりだけが家族だと思うな」と王弟の暴挙に目を据わらせていたと言う。事件関係者の聴取で聞いた時には思わず笑いそうになった。元々豪胆だとは思っていたが、それにしたって言い方と言うものがあるし、何よりヒカルから見てユエはちゃんと彼らの『家族』に映るのだと思えば嬉しくない筈がない。その言葉一つ、行為一つが余りにも愛しい。


 —―だから、どうしたって変えられないことだって足掻きたくなるんだ。


 ユエの心境は何時だって物悲しい。変えられない立場、証明できない血筋、確定した道筋。それでも簡単に諦められない理由が出来てしまうのだ。


「僕は君達の、兄になれてよかった」


 ユエの空色の双眸が弧を画けば、その瞳は一層光を取り込んで、それを輝かせた。青空に昇った陽の光が部屋の中に暖かな陽の光を射し込ませ、金色の髪をきらきらと煌めかせている。優しく笑うユエはどうみてもヒカル曰くの「お伽噺の王子様」である。そして、中身もまた「為政者の王子様」であった。覚悟を決めたユエの心境を知ってか知らずか、スカイティアもまた笑った。


「ユエ兄上が太陽で、レーウィスが月かな」


 スカイティアの呟きに、兄弟の様子を見守っていたレーウィスが「どういう意味です?」と首を傾げて問いかけた。


「ユエ兄上の瞳は昼間の青空、レーウィスの瞳は夜空みたいだから」


 窓から入り込んだ風が柔らかな金色の髪を揺らした。眩しい程に煌めく髪は青空に輝く太陽の様で、夜空に輝く月の様。産まれた階級上、見慣れた『金色』の筈なのに、彼らの『金』だけは特別だ。


 俺達を優しく見守り、明かりとなって導く太陽と月。

 けれど、彼らが疲れたなら、俺達が雲となり、雨となり、人の目に映らぬように隠そうか。

 何時か、そうなれるようになりたいと願うのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ