四章 親友は大阪生まれで、田舎生まれの私をたまに馬鹿にする。
ネコ耳から解放されてしばらく経って。
配達から戻ると店の前に縁がいた。イスに座って一人でよもぎ大福を食べている。
「縁、こんなとこで何してんの?」
縁はまず口の中の大福を飲み込んだ。いいとこのお嬢さんたる縁は決して立ち食いをしないし、口の中にものを入れたまま喋ったりもしない。
「お店の中で食べたらあかんて怒られた~」
それだけ言うとまたよもぎ大福を口に入れた。ご丁寧に箸を使っている。
店の中を見るといるのは父だけだった。穏やかな父とはいえ、さすがに店内での飲食は許さないだろう。
「その大福どうしたの?」
返事はすぐに返ってこない。縁の口が空くのを待つ。
「そこの和菓子屋さんで買おた~」
また食べる。会話は続くんだし、食べるのを一旦やめろよな。
「そこのって、『野乃屋』?」
うんうんとうなずいてくる。
しばらくして縁が口を開く。
「なのちゃん、『野乃屋』のみこ言うんがいけ好かんて最近よぉ言うてるやん? 一回見とこ思て」
確かに言っている。
店の手伝いをしていると、何か失敗するたびに母が引き合いに出してきては罵倒の材料にするのだ。
「お前のやる気のなさはなんだ、『野乃屋』のみこちゃんを見習え」「『野乃屋』のみこちゃんは自分から仕事を覚えていくのに、お前はこっちが教えてやっても覚えない」
などとウザったるい。
「で、いた? 『野乃屋』のみこ」
「いぃへんかった。なんかトロそおな男子が店番してたわ」
「ああ、それ奴の婚約者だよ」
「え? でも高校生くらいやで?」
「なんか幼稚園くらいからそう決まってるらしいよ? あそこは娘しかいないから婿入りさせるんだってさ」
そうやって結婚相手を見付けて親御さんを安心させているところも気に入らない。
うちの母に言わせると、店を継ぐ上に結婚相手も見付けているみこは二重に親孝行なのだそうだ。そして両方とも果たそうとしない私を貶める。
いや、高校生で婚約者がいる方が異常なのだ。確かに私には浮いた話ひとつないが、その辺はそっとしておいて欲しい。
「なんやなのちゃん、負けまくりやなぁ~」
「お前までそういうこと言うな」
頭に軽くげんこつを落としてやる。
「で、わざわざその為だけに来たの?」
今の縁は私服のブラウスにスカートなので、学校から一旦家に帰って着替えたのだ。縁の住む高級住宅街は駅を挟んだ向こう側にあるのでそこそこ距離がある。ご苦労様な話である。
「んーん、もひとつ用あった~」
「何?」
「大学行けたら同棲してええか、なのちゃんのパパにお許しもらいにきてん」
「根回しか」
「そそ。えぇて言うてくれたで。お金は自分らで稼がなあかんけど」
「母さんには?」
「なのちゃんのパパと相談して、内緒にしとくて決めた。マンションの契約とか先してもおて、既成事実にすんねん」
「あんたにしては抜け目なくやったもんだね」
「二人の愛の巣作る為やんか~」
などと身体をなすり付けてくる。
為されるままになっていると、縁が動きを止めて袖を引いてきた。
「どうした?」
「なのちゃん。あのお客さん、なんか聞きたそにしてへん?」
視線の先を見ると、店頭にあるカキツバタの鉢物を見ている若い女の人がいた。
「どうだろ? あんま声かけるのもよくないんだよ。じっくり見たい人も多いからね」
「そやろか?」
しばらく見ていたら、父が店頭に出てきてそのお客の相手を始める。そしてカキツバタを買ってお客は帰っていった。
「ほら見てみ、やっぱ話しかけなあかんかったんやて」
「まぁ、たまたまでしょ?」
「なのちゃん、店員としてもダメダメやなぁ」
「『も』とか言うな、それ以外も駄目みたいだろ。じゃあ、あんたやってみる?」
「エプロン貸してみ!」
というわけで、店の中に入ってから今着ているエプロンを貸してやる。
「どお? お花屋さんぽい?」
くるりとその場で一回転した。変に服が上等なので、ちぐはぐ感が否めない。
「なんか、花屋というより新妻みたいだね」
「いや~ん、なのちゃんの妻やってぇ」
「誰もそんなことは言ってない」
しばらくグダグダしていると中年の女の人が入ってきた。さて、遊んでる場合ではない、エプロンを取り返すか。
と、お客が縁に話しかけてしまう。
「ちょっといいかしら?」
「へぇ、おいでやすぅ」
「あなたぐらいの年の子にお花を贈りたいんだけど、どんなのがいいかしら?」
「なんぞお祝い事で?」
「そういうわけじゃないわ」
「その方、普段からお花とか飾らはるんですやろか?」
「さぁ?」
「そないでしたら、こぉゆう小まいアレンジメントはどないですやろ。要は活け花ですねんけど、器も付いてるさかいそのまんま飾れて手間いりまへんわ」
「いいかもねぇ。でもいっぱいあるわね。どれがいいと思う?」
「へぇ、贈らはる相手さんて、どおゆう方ですのん?」
「元気な女の子よ」
「そぉでんなぁ、そぉ言う方でしたらこの辺にあるよおな明るい色のんがええ思いますわ」
「なるほどねぇ……、じゃあ、これちょうだい」
「へぇ、まいどおおきにぃ」
そのままレジまで行く。
「おいくら?」
「こちら三七八〇円でおます」
「はい、これ」
「五〇〇〇円お預かりで、一二二〇円のお返しだす」
そして店の外までお客を見送った。
「また、おこしやすぅ」
深々と頭を下げたままずっと動かない。
ようやく頭を上げると店の中に戻ってきた。
「どやっ!」
そのまんまドヤ顔をしてきた。正直、ぐぅ音も出なかった。
「あなたより、よほど役に立ちそうね」
いつの間にか右隣にいた千明さんに言われてしまう。
ぐぐっ!
「ていうか、そういうのどこで習ったんだよ」
「難波生まれ言うんは商いとお笑いがデフォルトでインストールされてんねん」
「ほざけ。じゃあ、なんでアレンジメントのこととか知ってんのさ?」
私だってどこがセールスポイントかなんてよく分かっていないのだ。
「そんなん、しょちゅう遊びにきてんねし、自然に覚えるやん」
そういうものなのか?
若干焦っていると、右下から千明さんの視線を感じた。
「『自然に覚える』、だそうよ?」
薄く微笑みながら中指でメガネを押し上げる千明さん。どうせ私は物覚えの悪い店員ですよっ!
「はは、縁さんはいい店員になれるね。縁さんみたいな子がお嫁に来てくれると助かるな」
父まで何を言い出す。ギギギギギ。
「いや~ん、パパのお許し出たでぇ~、なのちゃ~ん」
調子に乗った縁の奴が首筋に両腕を回してしなだれかかってきやがった。
「やめろ、重い」
「なのちゃん、むくれてる?」
「むくれてません」
「んーん、顔怒ってんもん。許してって~」
などと言って、頬に何度もキスしてきた。
「あーもー、分かった分かった。離れろっての」
平らな胸を押して縁の身体をどうにか剥がす。まぁ、こいつ相手に腹を立てるのは筋違いだ。そんなの分かってるっての。
ここで右下から視線を感じたので見てみると、千明さんが目を見開き、口を半開きにしてこっちを見ていた。彼女がここまで表情を変えるのは珍しい。
「え? あなた達って、ソーユー関係なの?」
「ソーユーって言いますと?」
「百合、的な?」
「いやいやいやいや、違います違います」
なんか壮絶な勘違いをされてしまった。これは全力で否定しとかないと。
「でも、抱き合ってたわ」
「じゃれてるだけですって。よくあるじゃないですか、女子同士だと」
「でも、キスしてたわ」
「それもよくありますって」
「でも、あんなに何度もはしないでしょ?」
「こいつはしてくるんですよ。スキンシップが過剰なだけですから」
「好きな人と触れ合いたいんは当然ですやん」
などと縁がまた抱き付いてくる。
「縁、余計なこと言うな」
「え? あなた、菜ノ花さんが好きなの?」
「好きなんですわ。しかもうちら、口同士のキスも済ませてますし」
「いや、あれはあんたが勝手にしてきたんじゃん」
「え? でもしたのね?」
「何度もですわ」
深くうなずく縁。
確かに何回かしたことあるけどさぁ、大抵縁が強引にしてきただけじゃん。他は咲乃先輩に攻撃された後、ガン泣きしながらせがんできたりだとか。私から自発的にしたのは一つもないっての。
「そういう人達を目の当たりにしたのは初めてだわ」
なんか、興味深そうな視線で私達を交互に見ている。
「変な勘違いはマジで勘弁して下さい、千明さん」
千明さんが顔の前に手をやり、中指でメガネのブリッジを持ち上げた。
「大丈夫、二人がどんな関係だろうと、私は干渉なんてしないから」
「いやいやいや、それが勘違いですから」
「世界は広いわ……」
それだけ言って、千明さんは店の外へ行ってしまった。
「こんでまた一人、うちらの理解者が増えたなぁ~」
などと頬ずりしてくる縁。
なんかもう、どうでもいいや。
「あんたもう、帰りなよ」
「その前に、一緒によもぎ大福食べよ?」
「やめとく。これでも仕事中だし」
「そお? ほな、一人で食べる~」
そうして縁はまた外へ行き、イスに座ってよもぎ大福を平らげた後、帰っていった。
ホント、マイペースな奴だよ。