三章 パーティーグッズコーナーでわざわざ買ってきたらしい。
別の日、バケツに生けてある切花を整えていたら、横からお客に声をかけられた。
「これって、何日くらい保つのかしら?」
知らない。
「さぁ? 三日くらいですかねぇ」
いきなり後ろからものすごい力で肩を引っ張られた。
母だった。
「すみません、違います。こちらの花は七日間の日持ち保証をしております」
「七日間か……、それじゃあ、頂こうかしら。選んでいくわね」
「ありがとうございます」
お客が全員いなくなってから母が私を睨み付けてきた。すごい形相である。
「あんた、何考えてるの?」
「いやだって、そんなの知らないし」
「書いてあるでしょ? ちゃんと!」
母が指さしたところには、確かにそう書いたポップが貼ってあった。ちょうどさっき私が立っていたところだ。死角になって目に入らなかったのか。
「今初めて気付いたよ」
「仕事覚える気がないから気が付かないんだよ!」
「ごめん、悪かったって」
「ネコになれっ!」
「なにそれ?」
母が家の方へ引っ込んだ。
すぐに出てきた母の手には、ネコの耳としっぽがあった。
「今日から三日間、これ付けてろ」
「ちょっと、ネコ耳は勘弁してよ」
ネコ耳ダンスを踊らされた悪夢が甦る。あの時録画されたデータはまだ母が握っているのだ。
「駄目だ。物覚えの悪い馬鹿にはこれくらいの罰が必要だ」
「店長、それはどうかと思います」
助け船を出してくれたのは千明さんだった。
助けて、千明さん!
「しっぽは商品に当たる危険があります。彼女、ただでさせそそっかしいんですから」
あれ? 反対するのはしっぽだけ?
「なるほど、それもそうね。じゃあ、ネコ耳だけ」
「それならいいと思います」
ええっ! ち、千明さーん!
こうしてネコ耳を装着させられる。
私が脱力していると、いつの間にか千明さんが隣に立っていた。
「無様」
それだけ言って、どこかへ消えた。
ううっ、私頑張るからっ!
二十分後、縁の奴が店に飛び込んできた。
「なのちゃんがネコ耳してると聞いて!」
手に持っているのは、あろうことか馬鹿でかい一眼レフカメラだった。
激写される私。
「なのちゃん、にゃーんてポーズして、にゃーんて」
「てめぇ、覚えていやがれ」
散々撮った縁の奴は、ツヤツヤと輝くいい笑顔をしていた。
「いやー、なのちゃんコレクションがまた充実したわぁ~」
「縁ちゃん、なんか買ってってよ」
縁に密告したに違いない母が平然と声をかけた。
「ほな、この蘭にしよかな?」
「ちょっ、これ何万すると思ってんの!」
慌てて私が止めると縁は首を傾げた。
「でも、そんくらいの価値あんで? なのちゃんのネコ耳」
お金持ちのこいつは金銭感覚がおかしかった。
「やめときなさい。そこの切花にしときなさい」
「まぁ、ええけど。これて何日くらい保つん?」
「七日間、保証してるよ」
これがいわゆる、身体で覚えるという奴である。
翌日、ネコ耳と例のTシャツ装備で店を追い出された。服屋『洋服の赤木』まで観葉植物の配達だ。
「おっ! その耳なんだい、菜ノ花ちゃん!」
うるさいラーメン屋。
行き交う買い物客の視線が痛かった。
「うわっ、何着けてんだ、あの女。恥ずかし!」
近所の小学生が思ったままを口にする。
「菜ノ花ちゃん、今そういうのが流行ってるの?」
「そんなわけないですよ、山崎さん。うちの母の仕打ちです」
「納得。これでも食べて元気をお出し」
果物屋から憐れみを込めたイチゴの施しを受けた後、『洋服の赤木』にたどり着いた。ここの二階だ。
「やぁ、菜ノ花ちゃん、今日は一段とかわいいよ」
「素直に嗤われた方がマシだよ、義文叔父さん」
叔父さんの指示に従って、ナチュラル系の服の側に鉢物を設置する。
このお店、商店街に昔からあるような服屋には珍しく、若者向けの服も充実していた。改装して作った二階売り場は丸ごと若者フロアだ。
そうした彼等の取り込み策はうまくいっており、意外と人気も高かったりする。
「あれ? 前あったのが売れてる。ちょい狙ってたのに」
「前見てたのはあれからすぐに売れたよ」
「残念」
ここの商品は義文叔父さんが八方手をつくして仕入れたものだ。そのセンスの高さが人気の秘密である。
まぁ、店員が物腰柔らかいイケメンてのも大きいと思うけど。
「ゆくゆくはこの店を継ぐの?」
納品書にサインを貰いながら聞いてみる。
「どうだろうねぇ。そういうの、気になるようになってきたんだ?」
「今まさに店を継げって圧力受けてるからねぇ。他の人はどうなのかなって」
「商店街なんて興味なかったのにいい傾向だね。そうだなぁ、俺はここを継ぐと思うよ」
「叔父さんって、店員やる前はいろいろ別のことやってたんだよね。大きい劇団の役者とか」
今まで聞いた話を総合すると、高校を中退して世界旅行をし、大きい劇団で役者をし、小説家を目指し、美容師の学校に行き、でも美容師にはならず、商店街に戻ってきて服屋の店員として今に到る。
波瀾万丈と言えるが、母曰く自分探しに手間取りすぎたのだそうだ。
「恥ずかしいなぁ、昔の話だよ。うーん、若い頃はいろいろやってみたいものなんだよ」
「なんでその都度やめていったの?」
「有り体に言うと全部向いてなかったんだね。『ビフォー・アフター』の華崎は美容師の才能があるんだ。美容学校の同期として横で見ていて、ああ、俺には無理だ、って気付いた。それで美容師は諦めたんだ」
二人が学校の同期という話は前に聞いていた。地域密着型の美容室がやりたかった華崎さんを、この商店街に引っ張ってきたのが義文叔父さんだった。
なのでこの二人のイケメンは仲が良い。あまりに仲が良いから、この近辺のいわゆる腐っている女どもの妄想の餌食になっている。
「服屋の店員は向いてたの?」
「向いてたね。いろいろやってきた中で初めて手応えを感じたよ」
叔父さんは少し誇らしげに言った。確かに店員をしている叔父さんは、ピッタリはまっている感じがする。
「天職なんだ?」
「青い鳥は自分の家にいたという奴だね。たまたまなのか、そういうものなのか分からないけど、家業が自分に向いてたのは幸せだったと思ってるよ」
「へー、よかったね」
素直にそう思えた。
「菜ノ花ちゃんも花屋に向いてるんだよ」
「それはないねぇ」
この人も私を花屋に引きずり込もうとしているのだろか。
「ブーケとかフラワー・アレンジメント? そういうの、うまく作るって文香姉さんが自慢してたよ」
「褒められたことなんて一度もないよ? 中学時代も含めて」
「まぁ、あの人は素直じゃないからなぁ。あ、今俺が言ったというのは姉さんには内緒だよ」
「うん。ていうか、本気にしてないし」
義文叔父さんの言うことでも到底信じられる内容ではないのだ。
「斜に構えるね。もっと自信持たなきゃ」
「自信て言うか、花屋の仕事は嫌なんだから。今だってネコ耳だよ? ちょっと失敗しただけなのに」
「やる気が感じられないなぁ。嫌々仕事してたら何も身につかないよ?」
「嫌なものは嫌なんだから、どうしようもないよ。はぁ、早く終わんないかなぁ。自由が欲しいよ」
カウンターに伏せる私。
「愚痴なんてやめときなよ」
「愚痴くらい言わせてよ。まずもって店長たる母さんが最悪だよ。事あるごとにタチの悪い仕打ちをしてくるからね。売り物もやたら種類があるから値段を覚えるのが大変。肉体労働だから筋肉痛も酷いし。ホント、参る」
「ねぇ、菜ノ花ちゃん。やる気もなしに愚痴ばかりこぼしてる人って、周りからどう見えるか知ってる?」
「ん? 知らない」
顔を上げて義文叔父さんを見る。
「みっともなく見えるんだよ」
「みっともない!」
「そう、みっともないよ、今の菜ノ花ちゃん」
意地悪げな顔をして言ってくる。基本優しいが、あの母の弟であるので時々意地悪なのだ。
「ぐぅ……」
お客がレジに来たので義文叔父さんはそっちの相手を始めた。
よろめきながら私は立ち去るのだった。