二章 親友は前のバイト先のコネでTシャツとか簡単に作るのだ。
月曜日、学校を終えて縁と電車に揺られる帰り道。
「はぁ、今日も帰ったら花屋の手伝いだよ」
「まぁ三ヶ月頑張ってや。そんで一緒の大学行こ?」
「そのとおり、花屋なんて絶対に継がない!」
腕を振り上げて自分の意志を確認する。
「うち、考えてんけどな、大学行ったら同棲せぇへん?」
「なんじゃ、そりゃ」
「松葉女子はちょお遠いし、近くに部屋借りて一緒に住むねん。つまり同棲」
「同棲じゃなくてルームシェアって言うよね、そういうの」
「決定的にお花屋さん継がへんてなったら、なのちゃんも家に居づらいやろ? そやし家から出んねん」
「なるほど、それはいいかもね」
あの母から離れるというのはよさそうだ。たとえ花屋を継がないにしても、あの人は日常的にタチの悪い仕打ちを私に与えてくるに違いなかった。
「あー、でも私お金無いわ」
「うちが養うたるて」
などと言って抱き付いてきた。
でもなぁ、いくらお金持ちの家の娘とはいえ、友達にたかるのはおかしい気がする。ではどうしようか? 縁の頭を撫でながら考えてみる。
うんそうだ。
「バイトだな。全てが片付いたらちょうど夏休みだし、がっつりバイトだ」
今まではバイトをしようと思っても母が必ず妨害した。
条約前は花屋の手伝いをしろと言い、条約後は手伝いをしないくせに他所で働くなと言った。
でも今回の三ヶ月をやり遂げたら、私はやりたいようにやらせてもらえる。バイトだってオッケーだ。
私の未来は思いっきり拓けている。今までできなかったことが、いくらでもできるようになるのだ。
そう考えると三ヶ月の試練を乗り越える気力が沸くと言うものである。
「バイトも一緒のとこしよな。うちが去年行ったショップ」
「あんなオサレな服屋? 私には似合わないなぁ」
「オーナー、可愛らし子やったら大抵採用すんで?」
「じゃあ、私駄目じゃん」
「え~、なのちゃんメチャ可愛や~ん」
大きい声で変なことを言うな。
昔からこいつは私のことをかわいいだとか言うが、かわいくもない人間にそんなことを言うのはかえって残酷なのだ。しかも言う方は本物の美人だった。よけいにヘコんでしまう。
「縁、それ言うのやめろって前から言ってるよね」
「でもホンマのことやもん」
「はぁ、あばたもえくぽって奴か」
などと言っている間に最寄り駅である上葛城駅に到着した。
「ほな頑張ってな。時々遊びに行くわ!」
改札を出たところで、ブンブンと笑顔で手を振る縁と別れる。
かわいいってのは、ああいうのを言うんだよ。
家に帰るとすぐに着替えて店に出る。
さて、今日は何をさせるつもりだ?
「配達に行け。『小村書房』さんとこに届けろ」
「え? それって商店街の中じゃん」
「近くだからあんたでも運べるんだよ。台車で運んでいけ」
商店街なぁ。私が働いているところを商店街の連中に見られるのはかなりウザい事態になりそうだ。
「あ、それとこれ着てけ」
「なんじゃこりゃ!」
「町の花屋『シャーレー・ポピー』。かわいい店員が待ってるよん」などと書かれたTシャツだった。ご丁寧に投げキッスなんてしている私の顔がプリントされている。
こんな悪目立ちするものを着て人通りの多い商店街を歩け?
「いやいやいや、どんな羞恥プレイよ」
「せっかく商店街の中通ってくんだから、宣伝もしっかりしとかないと」
「ていうか、いつの間にこんなの作ったのさ」
「縁ちゃんに頼んだら、すぐに作ってくれたよ」
あいつ……。
「ほら、さっさと着て、配達に行くんだよ!」
今着ている服の上にだぼだぼのTシャツを重ねられ、グイグイ店の外まで押していかれる。
出ていく時、千明さんと目が合った。
「お似合いよ」
薄く笑われてしまう。かなりキツイ。
……しかたない、行くか。
切花を鉢に生けたフラワー・アレンジメントを台車に載せて、商店街を進んでいく。『小村書房』は商店街の入口近くにあるので、終わり近くにある花屋からだとほとんど端から端だ。
「おっ! 菜ノ花ちゃん、頑張ってるね!」
まずはラーメン屋に声をかけられた。
「私を……、今の私を見ないでください……」
美容室では運悪く店長が外に出ていた。
「ああ、本当にお店手伝ってるんだ、菜ノ花さん」
「なんで知ってるんですか、華崎さん?」
商店街でも評判のイケメンに見られるのはかなりツラい。
「文香さんから聞いたよ。商店街中に言って回ってるみたいだね」
ちっくしょう、あの女!
服屋の前にもイケメンがいた。
「やあ、似合ってるよ、菜ノ花ちゃん」
「キツい冗談だよ、義文叔父さん」
この人は赤木義文。
母の弟、つまりは私の叔父であり、商店街において広く知られるイケメンであった。母の家系は祖母を筆頭に美形なのだ、私以外。
彼はここ、『洋服の赤木』で店員をしているのだが……。
「義文叔父さんて、二階の若者服担当だよね? こんなとこで油売ってていいの?」
「面白いものが見れるから店の外で待ってろって、文香姉さんが電話してきたんだよ」
あーのーおーんーなー!
「でもよかったよ、またお店の手伝いするようになって」
「期間限定だけどね。今はこんな屈辱でも甘んじて受けるよ」
「でもかわいいよ?」
「下手な慰めはやめて、よけいツラくなるから……」
この後も、酒屋やら魚屋やら肉屋やらから温かい声援を受ける。
「よっ! 似合ってるよ、菜ノ花ちゃん!」
「働く女、思わず惚れちまうねぇ~」
「これご祝儀だ! 食べな食べな!」
手伝い再開祝いに生ハムまでくださった。ホント、ウゼーよ、こいつら!
満身創痍の体でようやく本屋に着く。ここの二階まで持っていくのだ。
「毎度~『シャーレー・ポピー』で~す」
「あ、菜ノ花ちゃんが持ってきてくれたんだ?」
「ええ、昨日から手伝いをしてるんですよ、響さん」
「ああ、それは聞いてる」
でしょうね。
この小村響さんは本屋『小村書房』の一人娘で、三十近いのに未だ商店街で一、二を争う美人として咲乃先輩と双璧を為していた。
丸くて大きな目と潤んだ唇。ちょっぴりエロい口元のホクロ。そして出るところはとんでもなく出ているのに、引っ込むところはしっかり引っ込んでいる破壊的なボディを持っている。
咲乃先輩と違って穏やかな性格をしているので、このマンガコーナーで子供の相手をするのにはちょうどよかった。
ちなみに彼女にもしっかりと親衛隊がいる。
「じゃあ、ご注文頂いたアレンジメントですけど、カウンターでいいですか?」
「うん、お願いするわ」
カウンターには萎れかけたフラワー・アレンジメントが置いてあったので、それと入れ替えで持ってきた鉢を置いた。こうやって定期的に注文してくれるお得意さんというわけか。
「ずいぶん頑張ってるみたいね」
「このTシャツですか? うちの母ってホント、タチ悪いですからね」
「まぁ、それは商店街でも有名よね。でも、優しい人でもあるのよ?」
「とてもそうとは思えませんけどねぇ」
今までそんな優しさなんて、欠片も見せたことがないのだ。
「私が離婚して出戻ってきた時も、飲みに誘って慰めてくれたしね」
自分で言うように、この響さんはバツイチだった。離婚の原因はよく知らないが、戻ってきた時には大分落ち込んでいた。
彼女はそう、今でこそ商店街で店員をしているが、一度は家を出ているのだ。
「響さんて、昔、会社員をしてたんですよね?」
「そうよ。大学出た後、おもちゃメーカーで設計をしてたわ」
実際に商店街から出たことのある人の話を、ちょっと聞いてみたくなった。
「その仕事って、面白かったですか?」
「面白かったわよ。企画部門がしてくる無茶振りを形にして、ちゃんと動くおもちゃにするのがお仕事なの。忙しくなると何時間も残業して大変だったけど、すごく充実してたわ」
「へぇ、いいですね、会社員って」
「まぁ、お給料は安定してるし、有休もあるし、それで充実感も得られるんだから確かにいいわよ。なりたいの? 会社員」
「ていうか、なりたいものがないんですよ、今。ちょっと探してるところです」
店を継がないなら継がないで、他にすることを見付けないといけない。
縁が勧めるみたいにアパレル関係の仕事に就くのもいいが、そもそも商店街以外の仕事のイメージが湧いてこなかった。
「『ポピー』さんを継ぐんじゃないの?」
「継ぎませんよ。商店街から出たいんですよね」
「まぁ、外に出れば、いろんな人がいるからね。会社でも、商店街にはいないタイプの人がいっぱいいて面白かったわ。ムカつく上司とはよく言い合いになったけど」
穏やかな響さんが言い争いをする図というのは想像付かないな。
「いいことずくめではないんですねぇ」
「まぁ、それはどこでもそうよ。要は自分の居場所を見付けることだと思うわ。そうすれば、大抵のことはやり過ごせるから」
「響さんにとって、会社は居場所でしたか?」
「そうね、できればずっと働きたかったかな。でも、離婚相手も同じ部署で、私はあいつと同じ空気を吸うのが絶対に嫌だったの。親も帰ってこいって言ってくれたし、辞めて戻ってきたのよ」
うーん、離婚で人生が狂ってしまったのか……。それで商店街なんかに戻ってきたとは不幸な話だ。
「あ、今はここが私の居場所なのよ?」
「え? そうなんですか?」
「そうよ。本屋の仕事は面白いわ。いろんなお客さんに会えるんだし、どういうディスプレイで本を売るか考えていくのも面白いものよ。生活がかかってるから常に本気だしね」
「じゃあ、会社とお店、どっちの方がいいですか?」
「そうねぇ……。どっちもかな? どっちもいいものよ」
「はぁ……」
はっきり会社と言って欲しかったが、どっち付かずの回答を寄こしてきた。
「菜ノ花ちゃんもこれから自分の居場所を探していけばいいわ。私的には文香さんって素敵な人のいる『ポピー』をお勧めするけど」
「母が素敵なら響さんは菩薩ですよ。まぁ、ちょっとずつ探していきます」
「見付かるといいわね」
ひらひらとかわいらしく手を振る響さんと別れて本屋を出る。
居場所、か……。私にそんなものが見付かるのだろうか?