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七章 かけがえのない親友。

 事の決着は早いうちに付けないといけなかった。

 母が部屋を出ていった時にはもうすでに深夜だったが、私は縁に電話して三十分後に会う約束をした。

 二十分後、いつものジーンズ姿で家を出て、待ち合わせ場所のバスターミナルを目指す。

 月はほとんど欠けていた。星だけがまたたく暗い夜空。外灯のわずかな明かりが、シャッターを閉じて眠りの中にある商店街を照らす。

 私はそんなしんとしたこの街の寝顔を眺めながらゆっくりと歩いた。

 私の嫌いな馴れ馴れしくってウザったるい商店街。

 三十六年前に誕生したここ『上葛城商店街』には相応の歴史があった。

 かつてはシャッター街になりかけていたらしい。そこから住民が奮起して今の賑やかさを取り戻していた。それでも閉じた店はあったが、代わりに新しく開いた店もあった。

 花屋は一九年前に開かれて、母が店長でずっとやってきた。馬力のある母のことなので、数多の困難もその都度乗り越えてきたはずだ。そんな花屋が今日、一つの節目を迎える。

 こうして並ぶ店一つ一つにも歴史があるに違いなかった。今まで考えが及ばなかったそんなことに、今日は思いが至る。

 私の嫌いな馴れ馴れしくってウザったるい商店街。




 とっくにバスのいなくなったがらりとしたバスターミナル。そのベンチの一つに私は腰を下ろした。

 約束の時間どおりに縁が現われた。シンプルな白いワンピースが可憐な彼女を引き立てる。


「どおしたん? こんな遅くに」


 いつもの朗らかな笑顔で近づいてくる。


「悪いね、こんな遅くに」

「ええよ。どおせ起きてたし」


 縁がベンチに座ったのに合わせて私は立ち上がった。そして彼女と向かい合う。


「話があるんだ。大切な話」

「うん」


 あいかわらずにこにこしている。この顔を曇らせることになると思うと胸がずきりとしたが、私は言わなくてはいけなかった。


「ごめん、縁。……同じ大学には行けない」


 縁は変わらず微笑みを浮かべていた。


「そおなんや」

「私は花屋を継ぐ。今になってそう決めた」

「そおなんや……」

「ずっと花屋が嫌いだって言ってたよね。でもこの三ヶ月働いて、花屋の仕事が好きだって気付いたんだ。ホントはもっと前から好きだった。小学校、中学校と花屋の手伝いをしていて楽しかった。いろんな人が花を買いにくる。お供え物だったり、祝い事だったり。自分へのご褒美だって人もいるし、花を見てると心が和むからって人もいる。花を買って笑顔になる人を見るのが好きだった。花は人をほんの少しだけ特別な気持ちにさせる。そういう場に立ち会える仕事はとても素敵だと思うんだ。私は花屋の仕事が好き。ようやく思い出した。それに、花屋は私の天職みたいなんだ。手放しかけたけど、そんなことしちゃいけなかった。手を伸ばしてでも掴まないといけないものだったんだ」

「そやけど、文香姐さんがおんねんで?」

「そう、ずっとあの人は私の壁であり続けた。ホントのところ、それは今でも変わらない。花屋にいる限り私はあの人に立ち向かわないといけない。でもそれでいいんだ。ううん、だからこそ、あの人がいるからこそ、私は花屋で働きたい。あの人にぶつかっていきたい」

「しんどそうやなぁ」

「かもね。でも、それぐらいじゃないとやり甲斐は見出せない。縁と面白おかしく過ごすとすごく楽しい。大好きな時間だよ。でもそれだけじゃ駄目なんだ。壁に向かっていかないと得られない感覚がある。身体中の血が沸き立つような感覚。あの人と仕事をしているとそういう感覚を味わえるんだよ」

「それにしても急な話や……」

「うん、母さんと話をしたんだ。それでお互いに向かい合うことに決めた。私は今までずっと逃げてたけど、今度こそ向かい合うんだ」

「そや、大学だけうちと一緒に行くって手もあんで?」

「ううん、それじゃ駄目なんだ。私はすぐに働きたい。目の前に自分の居場所があるんだから、よそ見なんてしてられない。高校だけは卒業まで行くけど、その後はすぐに花屋で働くよ」

「そおなんや……」

「縁には悪いと思うんだけど……」

「よっしゃっ!」


 縁が勢いよく立ち上がった。そして私の方を向く。変わらない無垢な笑顔。


「ほな、お花屋さんのお仕事頑張り。うちも応援するわ」

「ごめんね、縁」

「ええてええて。ずうっとやりたいもんがないってうてたなのちゃんが、やりたいもん見つけれて親友のうちもうれしいわ」


 縁が手を差し出してきた。


「気ぃ入れて頑張りや!」


 その柔らかい手を握ると、ぶんぶんと上下に振り回してきた。


「ありがとう……縁……」


 思うところはいろいろあるだろう。しかしこうして笑顔でいてくれる親友を、本当にありがたく感じる。


「ま、いつでも会えるし、遊びにも行けるやん」

「だよね。いつまでも私達は親友だよ」

「そーそー。うちらはずっと親友や」


 ふいに縁の表情が崩れた。


「うわわわわわわわわわわんっっっ!」


 天を仰いで誰はばかることのない泣き声を上げた。


「縁……」

「嫌や~~~! なのちゃんとおん学校がっこ行くんや~~~!」


 涙は拭われることなくどこまでも流れ出た。その痛々しい身体を抱き締める。


「ごめんね、縁。ホントにごめん」

「一緒に行くってうたや~~~ん! 一緒に住むってうや~~~ん!」

「嘘ついてごめん。嘘ついてごめん」


 今にも崩れ落ちそうな身体を支える。温かい涙を接した頬に感じる。


「なのちゃんはうちとずっと一緒なんや~~~! うちらはずっと一緒なんや~~~!」

「ごめんね。でも分かって。お願いだから分かって」


 縁はいつまでも声を上げて泣き続けた。

 ずっと抱き締めているうちに泣き声は止み、しゃくり上げる声だけが聞こえるようになった。


「ごめんね、縁……。ホントにごめん……」


 縁の方からもこちらを抱き締めてきた。

 ぎゅっと二人で抱き合う。

 縁と抱き合うことはよくあった。ただのじゃれ合いが多いけど、喧嘩の後だったり、悲しいことがあったり、うれしいことがあったり、そういう時にも抱き合った。そうやって感情を共有するのだ。

 今、二人は同じ気持ちでいた。離れたくない。しかしそれはもう、叶わないことなのだと理解もしていた。私達は一歩前へ踏み出す時期にあったのだ。


「謝らんとって、なのちゃん」


 優しい声で縁がささやく。


「なのちゃんが自信持って決めたことやん。謝らんとって」

「縁……」


 今になって私の目から涙がこぼれてきた。


「なのちゃん、お花屋さん継ぎぃや。それが一番や」

「ありがとう、縁。ありがとう……」

「うん、そんでええ、そんでええんや」


 縁の手が私の頭を撫でる。

 私が泣き止むまでずっと撫でてくれた。

 ようやく私の涙も止まり、二人は身体を離した。


「なのちゃん、酷い顔や」

「縁も鼻が真っ赤」


 照れ笑いの後、私は近くの自動販売機まで行ってミネラルウォーターを買ってきた。それでハンカチを濡らし、縁の顔を拭いてやる。


「きれいな顔が台無しだ」

「なのちゃんもやで」


 縁も私の顔を拭いてくれる。

 さっぱりした後、並んでベンチに腰かけ夜風に当たる。黙ったままでいたが、それで十分だった。

 縁がぽつりと言葉を漏らした。


「なぁ、なのちゃん」

「何? 縁」

「今度はうちの話、聞いてくれる?」


 その声には緊張が混じっているように聞こえた。


「うん、いいよ」


 ある予感を抱きながら、何でもないように私は応じた。


「嘘や冗談は一粒も混じってへん、本当だけで出来でけた、話やねん」


 縁が静かに立ち上がった。




 縁はこちらに背を向け、一歩、二歩、三歩、遠ざかった。

 私も腰を上げてベンチから離れる。

 こっちを向いた縁は透き通った真剣な目をしていた。


「なぁ、なのちゃん」

「何? 縁」

「うちってな、なのちゃんのこと、好きやねんで」

「うん」

「本気で好きやねん……」

「……うん」

「ホンマうたらな、ときたまエッチなことも考えんねん」

「そっか……」


 縁がうつむいた。


「こんなん、キモいやんな?」

「そんなことないよ」

「そやけど、うちはキモい思う……自分のこと……」

「そんなことない!」


 縁が強ばった顔を上げる。

 私が真っ直ぐに見つめ続けると、縁は柔らかく表情を緩めた。


「ありがと」


 私はこれから自分の気持ちを伝えなくてはいけなかった。

 嘘やごまかしはかえって縁を傷付けると分かっていた。それにそんなことをしたら自分の気持ちが正しく伝わらない。縁が女だからだとか、もし男だったらだとか、そういうのは私の本心とは違っているのだ。

 だから真正面から伝える。正直な、自分の気持ちを。


「ありがとう、縁。でもね……でもね、私は……」

「それ以上言わんとって!」


 見ただけで胸が潰されそうになる、悲しみにみちた顔を、縁はしていた。


「……縁」

「答えは知ってんねん。とおに知ってる……。全部分かってる……。そやけどな……そやけど、なのちゃんの口からは、聞きたぁないねん……。そやから、言わんとって?」

「……分かった」


 それがいいことかどうか、分からなかった。

 だけど、逃げたのでも誤魔化したのでもないつもりだ。

 私達は向き合って、そうすることに決めた。


「いっぺんだけ、ちゃんと言いたかってん。聞いて欲しかってん」

「聞いたよ。ちゃんと聞いたから、縁」


 聞けてよかった。

 今までずっと聞かないふりをしていたことを、こうしてちゃんと聞けて本当によかった。

 今までごめん、縁。

 そんな考えが頭に浮かんだがすぐに消してしまった。

 その言葉を口にすれば私達のこれまでを否定することになり、そんなのは間違っていたからだ。

 だから私は何も言わなかった。


「なぁ、なのちゃん」

「何? 縁」

「うちら、まだ友達?」

「友達だよ。縁は私のかけがえのない親友。これからもずっとそうだから」

「そやけどうち、エッチなこととか考えるんやで?」

「ガチで襲ってくるんじゃなけりゃ、それくらいいいよ」

「うん、分かった。うちかてガチで襲うんは嫌や」


 縁の奴が照れたみたいな笑顔を見せたので、私も笑みを返した。

 私達は親友。縁の感情も含めて私達だった。余計な感情なんて二人の間にはない。私はそれにようやく気付けた。


「じゃあ、これからも親友でよろしく、縁」

「うん」


 縁が下を向き、また顔を上げた。


「そやったらな、……キスして。友達同士がする、遊びのキス」

「それでいいの?」

「そんでええ」

「分かった。友達同士がする、遊びのキスを」


 キスの後、縁は「ありがと」と微笑んだ。

 こぼれてしまった一条の涙は、私が拭って見なかったことにしてやった。


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