二章 親友が宣言すると、それはデートとなってしまうのだ。
咲乃先輩とのお話が終わった後、私は一旦家に帰って去年親戚の結婚式に合せて買ってもらったドレスに着替えた。そして美容室『ビフォー・アフター』まで行く。
「きれいだね、菜ノ花さん。結婚式か何か?」
私のドレスを見て華崎さんが話しかけてきた。
「いいえ、友達とデートまがいですよ」
思えばこのドレスも選んだのは縁だった。
まだ高校生なんだし親戚の結婚式なんて制服でもいいようなものなのだが、母の指令でドレスを着ることになった。そしてなぜか縁も混じった三人で都会まで行き、かなり高いのを買ってもらったのだ。
「でも髪をセットしてメイクもちゃんとするんだからかなり気合いが入ってるよね」
「髪もお化粧もちゃんとするように向こうが指示してきたんですよね。まぁ、花屋の手伝いを終えた記念におごってくれるっていうだからいい友人ですよ」
今回は髪も化粧も華崎さんにお願いしている。
実のところ、ちゃんとしたヘアメイクの仕方なんて分からないし、化粧に至っては自分でしたことは一度もなかった。
髪も化粧もちゃんとする時には母か縁の助けを借りていた。しかし母とは気まずいままで頼めるわけもなく。縁は縁でなぜか手伝うのを拒否し、美容室で全部やってもらえと指示してきた。
まぁ、化粧まで美容室でしてもらえるとは思ってなかったので助かった。
「それでどこへ行くの?」
そう聞かれたので、縁が言っていたレストランを挙げる。
「へぇ、そこってドラマで使われたらしいよ。主人公の女の人がプロポーズされるシーンで。案外その友達も告白する気かもね」
「いやー、向こうも女なんでそれはないですよー」
そう言いながら私の背筋を冷や汗が流れていた。マジですか? マジで勘弁してください。
「いつも一緒にいる子だよね。縁さんだったっけ? あの子、いつも恋してるみたいな目で菜ノ花さんを見てるよ。やっぱり告白かもね」
マジですか? マジで勘弁してください。
とにかく髪をセットし、化粧もしてもらって店を出た。
私、大丈夫なのか?
ここから都会にあるレストランまでは電車を使って一時間弱で、なぜか縁は現地の駅で待ち合わせすると言ってきた。いつも出かける時は奴の遅刻を最小限に留めるために私が電話しておくのだが、それさえも拒否するというのだからよく分からない。はぁ、一時間はまたされるぞ、これは。
しかし現地に着くと縁はすでに待っていた。
「あれ? 珍しいね」
「ふふ~、こおやって恋人を待つ時間ゆうんが幸せなんですわ~」
「恋人じゃなくて友達だから」
この辺、はっきりさせとかないと今日は特にヤバそうだ。
「で、今日のどお?」
くるりと一回りした縁はノースリーブの赤いドレス。背中がぱっくり開いていてぎょっとした。
髪はきれいにアップにしているし、化粧もいつもより大人びている。なんだか映画祭でレッドカーペットを練り歩く女優さんみたいだ。
「き、きれいだよ。露出がすごいけど」
「今日は特別な日やし気合い入れてみました」
などとにっこり笑顔を見せてくる。
「と、特別って言うか、ただの私の慰労会だよね?」
「もぉ~、ノリ悪いなぁ~、今日はデートって言うたやん」
「まぁ、そう言ってたけどさ。分かった。今日はデートで」
押しに弱い私は簡単に屈した。
「なのちゃんもきれえやで。髪もメイクもちゃんとしてくれたんや?」
「まぁ、あんたがしろって言ったからね」
私のは黒をベースにしたモノトーンのドレス。さすが縁が選んだだけあって、結婚式でも評判は上々だった。
「ほな行こか」
いつものように腕を組んできた縁とくだんの夜景のきれいなレストランに向かった。
最初から嫌な予感はしていたが、そこは高級ホテルの中にあるフレンチレストランだった。
「縁、まさか部屋は取ってないでしょうね?」
「じ・つ・は……」
「マジでっ!」
「嘘やて。それはやめといた。あんまがっつく女や思われても、かなんし」
友達相手に何をがっつくんだよ……。
はぁ、それにしても周りは大人のカップルばっかだよ。すごい居心地が悪いんですが。まぁいいや、気にすまい気にすまい。
「では、なのちゃんのお手伝い解放を祝って」
などと、ノンアルコールのスパークリングワインで乾杯。うーん、こういう仕草がちゃんと様になるところがさすがだよな、この女。
「はぁ……、まさか土壇場でお花屋さん継ぐんやめてくれるとは思わんかったわ……」
「まぁ、ねぇ。結局落ち着くところに落ち着いたのかもしれないねぇ」
「ホンマに諦めてくれたん?」
そう言って首を傾げてくる縁はいつも以上にきれいに見える。
「うん、諦めたよ。花屋で働くなんて無理。あの母さんの下で仕事するんだよ? よく考えたらそんなのあり得なかったね」
「そおなん? あんなけお花屋さんの仕事が好きなってたのに……」
少し心配げな顔で私の顔を覗き込む縁。
しかしもう決めたことなのだ。私の中ではケリは付いている。
「大丈夫だってば。それより夏休みだよ。まず七月中はたっぷり遊ぶんだよね?」
「そそ、遊園地行こ、水族館も」
もう笑顔になった縁が身を乗り出してくる。
「まぁ、どこも込んでそうだよね、夏休みだし」
「もぉ、なのちゃんてホンマ夢がないなぁ」
などとふくれてみせる。
「まぁ、受験勉強もしないといけないしねぇ。忙しい夏になりそうだよ」
「そそ、受験頑張って同じ大学行かな、今までの苦労が水の泡やで。そんで二人して合格したら同棲や。楽しみやわぁ」
にこにこと縁は笑顔が絶えない。
ああ、こいつとこうやって時間を過ごしていると、あの花屋のことなんてどこかへ飛んでいってしまいそうだ。それは、とてもいいことに違いなかった。
テーブルマナーなんて最小限のものしか知らないが、それでも縁の真似をしつつこなしていく。料理は確かにおいしかった。
「ありがと、縁」
「ん? 何が?」
「今日もこうやって私をねぎらってくれたりさ。ホントいい親友だよ、縁は」
「そんなん当たり前やん。お花屋さん継ぐにしても継がんにしても、なのちゃんは三ヶ月頑張ってんもん。うちに出来るんはこんくらいや」
「ありがとう、そういうのが今はうれしいよ」
テーブルの上にある縁の手をそっと握った。母との対立で傷付いた私の心はこの親友が癒やしてくれる。
縁が手を握り返してきた。
「それに、うちかて下心ありやし」
にししと笑ってくる。
「え? 下心って?」
なんだか嫌な予感がしてくる。
「最近こおゆうちゃんとしたデートしてへんやん? なのちゃんと恋人気分たっぷり味わいたかってん」
「まぁ、そうか。縁曰くのデートって、前にしたのはホワイトデーだっけ?」
普段からこいつとは遊び回っているが、時たまデートと称するいつも以上にべったりしたお出かけがあるのだ。
前は、バレンタインのお返しをお互いにするというよく分からない理由で海の側にある美術館でデートした。バレンタインではお互いに友チョコを渡したのだが、縁の奴が寄こしたのは値段なんて想像も付かないフランスのチョコ専門店のものだったので、私はデートを拒否できなかった。
「やっぱ、デートは格別やわ。なのちゃんもいつも以上にきれえやし。はぁ、気分盛り上がるわぁ」
「盛り上がって何するつもりだよ」
「それは後の、お・た・の・し・みっ」
などと語尾にハートマークを付けて言ってきやがる。なんか、嫌な予感しかしないし、ここは話を逸らしておこうか。
「お楽しみはともかく、縁とももう長い付き合いだよね。今で六年目か」
「そやね。中一で初めてなのちゃん見た時に、この子と絶対仲良なるっ! て思てん」
そしていきなり抱き付いてきて、「君、メチャ好みやわぁ」などと言ってきたのだ。
「何だったっけ? ビビッてきたんだっけ? そのビビッが未だによく分からないんだけど」
「そお言われてもなぁ。うちも後からなんでやろ、て考えてみてんけど、結局分からずや。そんでもうちの勘は間違ってへんかったで。思てたとおり、なのちゃんはええ子やったもん」
「そうかな? 私のどこがそんなにいいの?」
「え~、本人目の前にして言うんもなぁ~」
などと身をくねらせる。
「そやなぁ、なのちゃんは流されやすいし、騙されやすいし、すぐヘコむし、運動も出来へんわなぁ」
「腹立つなぁ、全然駄目じゃん」
「そやけど、真面目やし、誰にでも分け隔てのぉ接するし、頑張る時は頑張る子やねん」
「頑張るかぁ、今回は頑張りきれなかったけどねぇ」
結局私は花屋から、母から逃げたのだ。
「そお? 三ヶ月頑張ったやん。お花屋さんの仕事が嫌や言うてた頃から、一応言われたことはやってたんやし」
「どうだろうねぇ、やる気なしで全然仕事覚えなかったけどねぇ」
「やる気なしなんはしゃあないわ。そんでもTシャツとかネコ耳とか律儀にしとったやん。お客さん相手にふて腐れたりとかせぇへんし」
「まぁ、愛想だけはいいからね」
「サボろ思たらもっとサボれたで? そんでもなのちゃんなりに真面目に頑張んねん。そぉゆうとこがええ思うねん」
と、にっこりしてくる。
「縁ほど私を好いてくれる人間はいないよね。それがなんか、もったいないなぁって思う時があるんだけど」
「もったいないて?」
「縁、ホントは頭いいし生徒会にも誘われたよね。それを私と遊ぶ時間がなくなるからって断ったじゃん」
「うちはなのちゃんが全てやからなぁ。あ、そうゆうん重い?」
「まさか、うれしいよ」
私は自分に自信がない人間である。そんな自分を好いてくれる人間がいるというのはとてもありがたいことだと思うのだ。縁のおかげで自分を見失わずにすむし、救われたことは数限りない。
「かわいい女子に告られたりとかもあったしねぇ。ああいうの断ったのももったいないなぁ」
私のことを好きだ好きだと言っているこいつはガチ百合としてその名を広く知られていた。なので、女子同士の恋愛に憧れるなどという思春期特有の気の迷いを持った女子から告白されることがたびたびあった。見た目はやたらいいので男女を問わずモテていたわけだ。
「もぉ、またそおゆう意地悪言うやろ。うちは女子が好きなんやないねんて」
「でも男子に告られても断るしねぇ。サッカー部のエースはもったいなかった」
「そんなん言うんやったら譲ったろか?」
口を尖らせて言ってくる。
「結構です。私も恋愛なんか興味ないし。変なの、私達って」
恋愛なしなんてせっかくの青春を寂しいものにしていると思われるかもしれないが、私にしてみれば親友と面白おかしく学生生活を楽しむ方がよほど青春なのだ。
「まぁ、うちはなのちゃんがおればええし」
縁が幸せそうな笑顔を見せる。
「私も縁がいればそれでいいよ」
私も笑みを返す。
「うちら両想いやね」
「そう言うと誤解を招くけどね」
「ええ~、うちはこんなけなのちゃんのこと愛してんのに~」
と、いつものように身体をくねらせる。
「あんたさぁ、愛してる愛してるって言うけど、どこまで本気なの?」
「えっ!」
あ、しまった変なことを言ってしまったか。こいつが冗談で言ってるのは分かり切ってるじゃないか。
「くぅ~、しもたっ! 愛してるはとっときにしとくつもりやったのに~っ!」
うつむいて何かうめいてる。
「なんでとっておきなんだよ。いっつも言ってんじゃん」
「今日は特別なんや~。せっかくのセッティングが~っ!」
まだうめいてる。
なんだか嫌な予感しかしない。
「あんたさ、まさかとは思うけど、本気で告白する気だった……とかじゃないよね?」
「ぎくっ!」
口で「ぎくっ!」と言って露骨に顔を逸らしやがった。
マジですか? 咲乃先輩とかが言ってたのは本当なの?
「いやいやいやいや、私はそんなの勘弁だからね」
「そんな言い方せんでもええやん……」
目だけこっちに向けて口を尖らせる。
「いや、私達女子同士なんだから、その辺ちゃんと把握してよ?」
「そんなん関係あらへんやん」
「いや、そこ大事だから」
こいつ、本気で私に恋していやがる? ヤバい、これはヤバい。私達の友情の危機である。
いいや、そんなのは思春期にありがちな勘違いに決まっている。なんとか目を覚させなければ。
「今、愛とか言ってるのはただの一時的な勘違いだからね? 大人になってから恥ずかしい思いするのは縁なんだから」
「うちの愛は永久不滅やもん」
「本気なの、縁?」
どうしても不安が表情と声に出てしまう。
そんな不安が伝わったのだろう、縁の視線からは何かの狭間で揺らいでいる彼女の心がうかがえた。
ここだ、ここさえ乗り越えれば、私達は今まで通りの親友でやっていけるはず。頼むから全てを台無しにしてくれるなと強く念じる。
しばらくそんな状態で見つめ合った後、縁がようやく身を起こした。
「へへ~ん、騙されてやんの」
にやーっと口の両端を吊り上げた。
「はぁ?」
「愛してるとか冗談に決もてるやん。なに本気にしてんの?」
「ホント? ホントに冗談?」
「そんなん当たり前やん。うちはガチ百合やありまへん」
こっちの目をしっかり見て言い切った。
「いや、だったらいいんだよ、だったらさ」
「さ、デザート来たで。食べよ食べよ」
縁がフォークを手に取った。
今初めて分かった。こいつは本気で私が好きなんだ。それが一時の気の迷いだとしても、今好きって気持ちは本物だ。でも、私はそれを受け入れることができない。
女子同士だから? それよりも、私達はずっと親友でやってきたのだ。今さら恋愛感情なんてものに割り込まれては今までの私達は何だったのかと不安になってしまう。私は友情のつもりだったのに縁は恋愛感情。二人の気持ちはすれ違っていたの? そういう考えは頭をよぎるだけでも嫌だった。
あるいは私は縁に対して残酷なことをしているのかもしれない。でも縁には早く目を覚してもらわないと困る。そして親友同士としてこれからもずっと仲良くやっていくのだ。
デザートを口に運びながら外の夜景を眺める縁はどこか寂しげだった。そんな姿は私の心を締め付けたが、今だけのものだと強く言い聞かせる。
「じゃあ、明日から何して遊ぶか決めてこうよ」
「明日はうちの家でまったりしよ」
「いいね、今日だけで大分疲れたし」
「ほな、うちの家で」
そういつも通りのにこやかな笑顔を、縁は見せてくれた。




