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十章 雑誌でやってた花の特集をちゃんとチェックしてた私、偉い。

 花の仕入れ方法の一つとして、生産地から出荷される花の情報に基づいて、セリを経ずに卸売会社と取引する相対あいたい取引というものがある。そして取引の成立した花を市場で仕入れるのだ。

 この相対取引はネットでもでき、私は今そのためのサイトを見ている。

 もっと花屋に関わりたかった私が、母に頼んで見せてもらったのだ。母は勿体ぶったが結局は見せてくれた。ちょっとうれしそうなのを私は見逃さない。

 母と分かり合えて数日経っていた。すっかり花屋を継ぐ気になっている私は、もっとこの店のことを知って、もっとこの店に貢献できるようになりたかった。そうすれば母や父は喜ぶに違いなく、特に母とはより分かり合えるようになるはずだ。

 ずらりと並ぶ花のリストを見ていく。

 生産地、品名、品数、単価、そういった情報が並んでいて、マウス操作で取引完了まで済ますことができる。

 ふと、ある花が目に付いた。


「母さん、このユリ。最近人気が出てきた品種だよ。ほら、この雑誌に載ってる」

「ん?」


 私は自分の部屋から持ってきた雑誌を母に見せる。


「雑誌ってファッション誌かよ。せめて業界誌持って来いよ」

「それはたいした問題じゃないって。これ仕入れようよ」

「駄目だ。これは大きすぎるし派手すぎるし高すぎる。うちのお客さんは買ってくれない」

「でも人気あるんだよ。試しに仕入れてみればいいじゃん」

「馬鹿、試しに仕入れるったって、まとまった数買わないといけないんだぞ? 売れもしないのにむざむざそんな損出せないっての」


 なんだよ、その言い方。こっちはせっかくやる気出して提案してるのに頭から抑え付けやがって。こういうところ、この人変わらないんだよな。

 でも、この花はきっと売れるに違いない。私の花屋の娘としての勘がそう言っている。よし。

 ポチッとな。


「あっ! 馬鹿、やりやがった!」

「結果的に花屋のためになるんだから、多少強引な手を使ってもいいんだよ」

「知ったふうな口利きやがって。どうすんだよ、今さらキャンセルできないんだぞ?」

「売りゃあいいんでしょ? 売りゃあ」


 そう、見事売ってしまって母達を喜ばすのだ。




 次の日、土曜日。

 私が初めて仕入れた花がやってきた。

 これは切花なので水揚げをしないといけない。私は自分でそれをしていって、すぐ店に並べた。


「テメェ、一番いい場所とりやがって!」


 母に怒鳴られるが、知ったこっちゃない。


「いいじゃん。見栄えがするんだし、目立つとこに置いた方がいいって」


 さて、いくら花がよくてもそれだけじゃ売れない。ポップもしっかり貼っておかないと。昨夜のうちに作っておいた奴を花の入ったバケツにぺたりと貼った。

 『雑誌でも紹介されている人気の品種!』カラーペンをふんだんに使ってカラフルに。

 我ながらよくできていた。これなら売れるに違いない!

 開店時間になり、私も店に出る。

 今は商店街の七夕フェアの真っ最中だ。お客の姿は多かった。

 そうやって店にお客が来るたびに私の胸はドキドキした。この人は買ってくれるだろうか? ああ、見てくれている。もっとよく見て。

 しかし午後になっても一本も売れなかった。

 焦りが広がってきたが、まだまだこれからだと思い直す。

 ブーケの注文があったのでこの花を入れてみようと思った。

 駄目だ。この花は大きすぎるし派手すぎるし高すぎる。注文されたブーケには合わない。仕方なしに諦めて他の花で作っていった。


「私の部屋にはちょっとねぇ」


 若い女性客に勧めてみたら首を傾げられた。

 母の言った通りだった。住宅街の住民が主な顧客であるこの店では、この花は大きすぎるし派手すぎるし高すぎた。

 お客の多くがある程度年のいった女性なのだが、そういった人は華やかな花なら買うが、毒々しいまでに派手なこの花には顔をしかめる。

 親と同居中、あるいはワンルームマンション住まいの若い女性客にとっては、自分の部屋と比べて大きすぎるのがネックだった。

 そもそも高くて大きな花は、ちょっと寄ったついでには買えない。

 そうするうちネットで販売するタイミングを逸してしまう。

 店のためによかれと思ってしたのに、損を出しただけで終わり?




 結局数日を無為のまま過ごし、この花はほとんど売れないままに廃棄の日を迎えてしまう。

 その間ずっと落ち込んでいた私を心配したのだろうか、縁が花屋に姿を現わした。


「これ? なのちゃんが仕入れたん」

「そう、それ。全然売れてないでしょ?」

「きれえやのになぁ」

「この店には合ってなかったんだよ」


 言葉にすると余計に落ち込んでしまう。


「ふーん、うちの近所やったら売れそおやのに」

「え?」

「うちの近所にもお花好きな人いっぱいおんもん。みんな、スーパーにあるお花屋さんでたこぉて派手なんおてはんで?」


 縁の言うスーパーは高級住宅街の中にある大きな店で、場所柄にふさわしく高級品を多く扱っていた。確かにそこにはちゃんとした店舗になっている花屋があった。

 この店では売れない花だが、高級住宅街でなら売れる?


「マンションとかもどお? 若い人多いし買いそやわ」


 駅向こうには分譲の他に賃貸マンションもあって若い住民が多くいた。そういう広い家に住む若い夫婦や独身の人だったらこの花を買ってくれたのだろうか?

 ここで気付いた。僅かながらもこの花を買ってくれたお客は、確かにほとんどがマンションから来てくれている若い人達だった。

 しかしそうやってマンションから商店街まで来てくれる人はそれほど多くはなかった。マンションの住民の多くは近所にあるスーパーで用を済ませてしまうのだ。それならそれで、駅向こうまで行って潜在的な顧客を掘り起こせばよかったのではないか?

 ヒントはあったのに、私はそれを生かせなかった。


「もう手遅れなんだよ。この花は今日で終わりだから」

「そぉなんや……。ほなうち買おか?」

「え、縁が?」

「うん、うちが全部買うわ」


 にこやかに笑顔を見せてくる。

 でも……。


「いいよ。変な同情なんてしなくていいから」

「そやけど……」

「いいって言ってんだろっ!」


 思わず怒鳴ってしまった。惨めな気持ちに耐えられなかった。


「ごめん、なのちゃん……」


 しゅんとしてしまった縁を見ると、途端に罪悪感が沸いてきた。縁に悪気はない。私のことを心配してくれているだけだ。そんなの分かっていた……。


「おい、縁ちゃんに当たるな」


 母に言われてしまう。


「ごめん、縁」

「うちこそ、気ぃ悪せんとってな……」


 気まずいまま縁はとぼとぼと帰っていった。




 そして閉店時間が来て、私が勝手に仕入れてしまった花は大半が売れ残ったまま廃棄が決定した。


「ごめん、母さん。勝手なことして店に損させた」


 花の前で私はうなだれる。


「まったくだ。親の言うこと聞いときゃよかったんだよ」


 私の隣で母が言ってくる。


「もう勝手なことはしないよ」

「はあ?」


 いきなり強い声で言われてしまったので顔を上げる。母は不機嫌を隠そうとしなかった。


「あんたさ、こんなことくらいでヘコたれんの?」

「こんなことって、私のせいで花屋に損を出したじゃない」

「この花だけじゃなくて、本来この場所に置いてたら売れる花の分も損だよ。ホント言ったら、この花は個性が強すぎて店のバランスも崩してた」

「やっぱり私はとんでもないことをやってしまったんだ」

「そうだよ。確かにあんたはえらいことをやらかしたよ。勝手やってお店に損を与えたんだ。偉そうなこと言ってたくせにさ!」

「ごめんて、悪かったよ。なんでもするし、許してよ」


 涙がこぼれ始めていた。私は調子に乗って大変な失敗をしでかしてしまった。母の言うことを聞かず好き勝手やって店に損を出した。それだけではなかった。売れないと分かっても私は手をこまねいて何もしなかったのだ。お客を自分から探しに行くという発想ができなかった。損を減らせたかもしれないのに……。


「だからこの程度でヘコたれんなっての! あんたのせいでお店は大損害だよ。だからどうした! この程度でヘコんでんじゃないよ!」

「そんなこと言われても、私どうしたらいいか……」


 拭っても拭っても涙が止まらなかった。私は店に大損害を与えた。自分が思っていた以上の損を与えていた。しでかした失敗の大きさに圧し潰されそうだ。


「泣くな! この程度で泣くな! お店やってたらこの程度の失敗はいくらでもあるんだよ! もっときついこともいくらでもあるんだよ!」

「じゃあ、無理だ……、私には無理だよ……」

「何が無理なんだよ?」

「私に店なんて無理だ……。店を継ぐなんて無理だ……」


 あまりにも簡単に考えすぎていた。

 店を継がないだなんて言っておきながら、元々私には継ぐだけの資格なんてなかったのだ。恥ずかしくて消えてしまいたくなる。


「はあ? この程度で何言ってんの、あんた」

「この程度この程度って、私こんなの耐えられないよ」

「はあ? あんた、私の娘だろ、この程度でヘコたれんなよ!」

「でも私は母さんとは違うんだ。私には無理なんだよ」

「ふざけんな! 無理なんてふざけたこと言うな!」

「無理なものは無理なんだよ! 私は母さんとは違うんだ!」


 叫び終わった瞬間、意識が飛んだ。殴られたと気付いたのは尻餅をついてからだった。


「ば、馬鹿。あんたが情けないこと言うからじゃない」


 私には今まで母に本気で殴られた記憶がない。

 いつもタチの悪いことを仕掛けてきたが、暴力を振るうことはなかった。それは高校に入ってから激しく対立した時でも変わらない。どんなに怒ったとしても、母は暴力に訴えることはしなかったのだ。

 しかし今、母は私を殴り、自分の右拳をさすっていた。


「でも、私には無理なんだよ……」

「まだそんなこと言うのかよ! もういい! あんたにお店は継がせない! せっかく一緒にやっていけると思ったのに! なんで? なんで、この程度でっ!」


 近くにあった花の入ったバケツを蹴ろうとして思い止まり、代わりに床を踏み付ける。

 この程度。母にとって、この程度の失敗で落ち込む私は殴り付けずにはいられないほど情けない存在なのだ。

 でも、母のように今すぐ失敗をはね除けるだけの強い心を、私は持ち合わせていない。


「私は母さんとは違うんだよ……」

「黙れっ! お前みたいに情けない奴は顔も見たくないっ!」


 母は私に背を向けると店の外へ出ていった。

 呆然と座り込んでいると父が助け起こしてくれた。


「母さんはああいう態度しか取れない人なんだ」


 父はそう言ってくれたが、私はただ母が怖かった。殴られたからではなく、失敗に打ちひしがれる私の弱さを許そうとしない母の強さに恐れを感じた。

 そしてこの日から、私と母は口を利かなくなった。


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