八章 先輩は着ぐるみダンスのために大学の部活をサボったらしい。
好評を博した着ぐるみダンスは毎日行なわれた。投げ銭をされるのがかえって腹立たしい。
ヘトヘトになって花屋に帰るとまだ営業時間内だった。さて、もうひと踏ん張りするか。
「あれ? もう帰ってきたの?」
母が声をかけてくる。
「ビラは縁が全部配ったよ。着ぐるみでダンスするとみんなもらってくれるの」
初日以降も、無駄に気を使った千明さんによってビラ配りは縁の仕事になっていた。そして千明さんは自分だけ花屋の仕事に戻った。実にずるい。
一方で着ぐるみダンスのために咲乃先輩が出張ってきた。犬猿の仲の縁と咲乃先輩が毎日顔を合せる事態は私の胃を痛くするのだった。
「じゃ、こっちの仕事するし」
疲れた身体にむち打って残り時間もしっかりと働こうか。
「あ、別にどっちでもいいよ」
「え? 何その言い方」
なんか投げ捨てるみたいな言い方をされた。
実のところ、着ぐるみをして花屋の仕事から遠ざかることに私は不安を感じていた。私は花屋の仕事にやり甲斐を感じ始めているのに、その花屋は私なしでも普通に営業できるのだ。
私が手伝いを始める前と同じ体制なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、私がいなくても大丈夫という現実はあまり見たくなかった。
母の何気ない言葉は私の不安をかき立てる。
「いや、疲れてるんでしょ? あんたなんか別にいてもいなくてもたいして変わんないし」
「その言い方は酷くない?」
「何怒ってるの? あんたをねぎらってやってるのに」
母はそういうつもりなのだろう。この人はそういう言い方しかできない人なのだから。
でも、いてもいなくてもいい私という存在って何なんだろうと思わずにはいられない。
私は私なりにこの花屋に貢献してきたつもりだ。銀子さんが花屋にクレームを付けてきた時だって、花屋の一員だという自負があったからこそあの場をなんとかしなくてはと思ったのだし。
私は前から居場所が欲しいと思っていて、この花屋こそそうであって欲しいとひそかに願っていた。ここが居場所だと実感するためには、私自身の思いだけでなく店長たる母から認めてもらうことも重要なはずだ。なのに、その母は私をいてもいなくてもいい扱いする。
「いや、疲れてなんてないし。私も働かせてよ」
「いいってば。へばって邪魔されるのは勘弁なんだよ」
「だからなんでそういう言い方なのさ」
屈んで苗を並べていた母が手を止めて立ち上がった。そして首を傾げる。
「どうしたの? 休んでていいって言ってるんだから、素直に休んでればいいじゃない」
「私はまだまだ頑張れます!」
「わがままな奴だね」
働くと言ってわがまま扱いというのもよく分からない。でも、これは母なりの言い方で、本当は私のことを思ってくれているのかもしれない。
「母さんが私の心配してくれてるのはうれしいけどさ……」
「違うよ。純粋に邪魔されたくないんだよ」
私の言葉を遮って母が嫌な言い方をしてきた。
「私のことは心配してない?」
「心配はしてるよ。それより何より今のあんたは役に立たないんだって」
「そうか~、今の私は花屋の役に立たないか~」
なんか急激に疲れてきた。
「じゃあ、休ませていただきますよ」
「最初からそうすりゃいいんだよ。まったく忙しいのに余計な邪魔してくれて」
そう言って、作業に戻っていった。
ぐううう……。
分かってる。分かってるんだけど、この言い方はどうにかならないものか。
はぁ、つらい。
そしてようやく花屋の担当期間が終わって私も着ぐるみから解放されることに。後は次の店に任せた……。
どうにか最後のビラ配りを終えたところで咲乃Pがお茶に誘ってくれた。鬼プロデューサーではあるが敬愛する先輩でもある。喜んで応じ、シャワーを浴びた後に二人で駅前のカフェに入った。
このカフェは商店街の外にあり、咲乃先輩が好んで使っている。ケーキがとても美味しいのだ。
奢ってくれるというのでブルーベリーのタルトとミルクティを選んだ。咲乃先輩はショコラケーキとレモンティ。
「後、半月で試練も終わりだね」
ケーキを一口食べた後、咲乃先輩が私の店の手伝いを話題にした。
「ですねぇ。もう一息です」
三ヶ月店を手伝ってやり遂げたなら、母は私相手に店を継がせようと働きかけるのを禁じられる。そして私は自分のやりたいようにやらせてもらえるのだ。
「で、実際のところ、どうするか決めたの?」
「どうするって……どうしましょうかねぇ」
最初私は縁と同じ大学に行くことしか考えていなかった。しかしこの二ヶ月半の間にいくらかの心境の変化がある。
「『ポピー』継ぐのも考えてるんだ?」
「継ぐのはねぇ……。花屋の仕事は面白いですけど継ぐとなるとなぁ。あの母の下でずっと働くのは躊躇してしまいますよ」
最近少しずつ母のことも理解できてきた気がするが、それでも苦手な人であるのには変わりなかった。店を継ぐとなればこれからずっとあの人の下でしごかれることになる。それはなぁ……、なかなか気が進まない。
「ああ、文香の姐御は菜ノ花に店を継がせたいのに、一番のネックは本人なんだ。気付いてるかどうか分かんないけど」
「参りますよ。あの人さえいなけりゃ……」
「継いでる?」
「うーん、継ぐかもしれませんねぇ。やっぱり花屋の仕事は好きなんですよ。それって大事ですよね?」
そう、私は花屋の仕事が好き。
小泉さんのデザイン事務所に毎週持っていくアレンジメントを考えるのはやり甲斐のある楽しい仕事だ。他のお客のブーケやアレンジメントを作る時は相変わらず母が手を入れてくるが、それでもお客に喜んでもらえるとうれしいものだ。
花屋にはいろんな目的でいろんな人がやってくる。お客に合わせた商品をうまく提案できて満足してもらえるとうれしかった。時にはトラブルに見舞われるが、銀子さんの時のようにうまく解決できた時には大きな充実感が得られた。
花屋の仕事は基本肉体労働である。仕入れた切花を長持ちさせる為の水揚げ作業も数をこなすのは大変だ。虫はもちろんのこと、花の見た目を悪くする花粉も除けないといけない。そういう作業を乗り越えていける面白さが花屋の仕事にはあった。
「おお、言うことが成長してる。そうだよね、まずは好きになんなきゃ始まらないよね。姐御もそう言ってたよ」
「あ、今日のこれも母の仕込みなんですか」
またやられたか。二人とも油断も隙もないからな。
「ううん、もう小細工しなくても菜ノ花は店を継ぐ方を選ぶって、姐御は確信してるみたいだよ」
「うーん、あの母の思惑に乗るのはしゃくですねぇ」
高笑いしている姿が思い浮んで腹が立つ。
ていうか、ネコ耳メイドとか和牛ステーキとか、私のやる気を削ぐことばかりしてくるのだ。こっちは理解しようと努めているのに、ああいう態度なんだからやってられない。
それに、花屋のために頑張って働いているのに私のことをいてもいなくてもいい扱いするし、どんなにうまくブーケをつくっても必ず手を入れてきて私の実力を認めようとしないし、花屋に愛着を持とうとしても余計なことを言って台無しにしてくる。目の前に私の欲しいものが全部揃ってるのに、ただ母が邪魔で手に入らないのだ。
「やっぱり姐御がネックか。自分がネックっての計算に入れないで確信してるっぽいね。でも、あの人を気にしすぎて好きな道を選ばないってのもおかしくない?」
「そうか……、そうですよね」
言われてみると、確かに間違っている。それでは母がネックどころか呪縛になってしまっている。私にとっても母にとっても不幸な話だ。
「自分のことは分かってないみたいだけど、姐御の花屋さんとしての目は確かでしょ? 姐御、菜ノ花のことをかなり自慢してたよ。菜ノ花は今ではちゃんとした戦力になっている、やっぱり花屋に向いてるから短期間で成長したんだ、店も愛し始めたし立派な店長になるに違いない、そんな感じのこと」
「へー、そんなことを」
あの母がそんなことを言っていたとはにわかに信じがたいのだが。
でも母の言う通りなら、私は花屋で働くことで充実した人生を送れそうだ。
本屋が居場所の響さん、服屋が向いてる義文叔父さん、酒屋に愛着のある二郎さん。みんな幸せそうなのだ。
「今の菜ノ花見てると『ポピー』を継いだ方がよさそうだけど。姐御がネックなだけで」
「最大のネックですよね。はぁ……」
でもそんな母に、この目の前の人は心酔しているのだ。なんでなんだ?
「咲乃先輩からは、あの母はどう見えているんですか?」
「尊敬する先達だよ。馬力があってアイデアがあって、なんでも自分のやりたいようにできるんだからすごいよね」
「まぁ、周りの人間はそれで大迷惑なんですけどね」
「そうでもないよ?」
と、小首を傾げる先輩。写メしていいかな?。
「例えば親衛隊って、本人に手出しさせないというのが主目的だけど、連中は連中で充実感を得てるじゃない? 集団で誰かを奉ると変な団結心と高揚感が生まれるからなんだけど、姐御はそれを知ってるから親衛隊って形にしたんだよ」
「人間の心理を突いた、タチの悪い仕組みですよね」
「そうじゃないって。連中は連中でハッピーになれる仕組みなんだよ。姐御は基本的にみんなハッピーになれることを考えてるんだから」
「うっそだ~」
「『清須屋』の二郎さんの件でも、ハッピーエンドだったでしょ?」
「あれは結果オーライなだけですよ」
夫婦喧嘩の仲裁のはずが、不倫してる現場を奥さんに見付かるなんて状況に二郎さんを追い込んだのだ。全部でっち上げだし、その不倫相手を演じたのは私なんだけどね。ホント、やること滅茶苦茶だ。
「ネコ耳メイドな菜ノ花にまとわりついてたカメラ小僧にしてもそうだよ。連中は写真を撮れる上にネットにアップできるんだからハッピー。しかも公認だからやましい気持ちもなくなるし」
「私は大迷惑だったんですけどね」
「自分の娘のかわいい姿を見てみたかったんじゃないかな?」
「タチが悪すぎますし、娘のネコ耳メイドが見たいとか絶対おかしいですよ」
それにあいつは私を見てげらげら笑っていやがったのだ。ただおもちゃにしているだけに違いなかった。
「まぁ、菜ノ花だけは変な目にばっか遭うよね。かわいいさ余ってタチの悪さ百倍?」
「マジで勘弁して欲しいですけどね」
「私にしてみれば、素敵な人にしか見えないんだけどね。菜ノ花にも最終的には悪いようにしないはずだよ」
「最終的に私のためになれば、何やってもいいと思ってるんですかね?」
「そうだろうねぇ」
腕組みしてうんうんとうなずく咲乃先輩。かわいいけどむかつく。
「まぁ、文香の姐御が菜ノ花を愛してるのは確かだよ。それって幸せなことなんだし、あんまり悪く思わない方がいいよ」
「愛してるんですかね? 支配したいだけじゃないですか? 部活するのも潰されたんですし」
「菜ノ花、ずっとそれ根に持ってるよね。うーん、じゃあそろそろ言っちゃおうかな?」
「何をです?」
咲乃先輩が身を乗り出してきた。
「菜ノ花が部活始めた日、即行で私んとこに話を聞きにきたんだよ。菜ノ花の入った部活はどんなとこだ、って。先輩のいじめはないかとか、体罰はないかとか。次の日に学校で調査するよう命令されたからね」
「へぇ、それで実は酷い部活だって分かったんですか?」
娘を守ろうとしたのか。意外な真実。
「ううん、普通の部活だったよ」
「なんだそりゃ。やっぱり支配じゃないですか」
「支配じゃないよ。あの時の姐御って、ものすごくうろたえてたんだ。たかが部活なのに、嫁にでも出すみたいに考えてるの。なんて言うんだろ? 過保護?」
「支配じゃなくてですか?」
「うん、過保護だね。あの後、お店のお手伝い拒否した菜ノ花をお店に戻そうとしたのも、その過保護。菜ノ花、外で遊び歩いてたからね」
「いや、やましいことは何もしてませんよ? 縁と二人でグダグダしてただけですから」
縁の買い物に付き合ったりだとか、健全そのものだった。男子の影とかこれっぽっちもなかったしね。
「それでも心配なんだよ。過保護だから」
「はあ? だったら心配なんだとかちゃんと言えばいいじゃないですか。私の中には憎しみしかなかったですよ?」
「まぁねぇ、不器用な人なんだよ。不幸なすれ違いだよねぇ」
と物憂げに首を振る。
「いやいやいや、そんな感傷的にまとめられるのは釈然としないものがあるんですが。はぁ? なんなんだよ、あの人」
「菜ノ花を愛してるからこその極端な行動なんだよ。文香の姐御のこと理解できた?」
「そんな簡単に納得できたら世話はないですよね」
「そりゃそうか。まぁ、じっくり考え直していきなよ」
咲乃先輩が頬杖を突いて苦笑いした。




