四章 親友とはそのうちお酒飲みながら愚痴り合ったりしそう。
土曜日。相変わらずネコ耳メイドな私が父と一緒に店番をしていると、若い女性客が入ってきた。
父がそのお客の相手をする。
「これはいつぐらいに咲くんですか?」
「来週には咲くと思います。カンナはこんなふうに咲きますよ」
と、棚の隙間からファイルを一冊取り出した。それを開いてお客に見せている。
しばらく話をして、お客は結局何も買わずに出ていった。まぁ、よくあることである。
今のファイルにはこの店で撮った花の写真が貼ってある。毎年撮影しておけば、これからどんな花が咲くか前に撮った写真でお客に説明できるのだ。
私が中学の時からこのファイルはあった。まぁ、最初のうちは存在を忘れていたのだが。
「菜ノ花、最近咲いた花でまだ撮ってない奴がいくつかあるから撮っておいてくれ」
と、父に言いつけられたので、家にあるデジカメを持ってきた。
さてと、これか。パシャリ、と。うぉ、フラッシュが光った。これって勝手に光るからビビるんだよな。
「なのちゃん、あかんて、そんなん」
振り返ると縁の奴が両手を腰に当てて立っていた。今日はレースでできたチュールスカートにオシャレっぽいレインブーツだ。
「何が駄目なの?」
「カメラに付いてるフラッシュやと、きれぇに撮れへんやん。そんなんお花がかわいそやわ」
「そんなもんかねぇ」
「お花、もっと光のあるとこ置いたらええわ」
とはいえ今日は土砂降りの雨で外は暗い。縁の指示に従って、店内のライトの下へ撮影する鉢物を移動させる。
「こんなもん?」
「そんなもんかなぁ。ついでやし、うちが撮ったるわ」
「はいよ、よろしく巨匠」
というわけで、巨匠・橘縁先生による撮影が開始された。
実際、こいつは私の写真をやたら撮影しているのでカメラの扱いには慣れていた。テスト勉強なんかで借りを作ってしまうと私をモデルにした撮影会が開催されてしまうのだが、そういう時、こいつは他の友達にライトやら反射板やらを持たせて私を撮影するのだ。曰く「せっかく撮んねんし、きれぇに撮りたいやん」だそうだ。実にはた迷惑なこだわりだった。
鉢物の前に座り込んで、パシャパシャと撮影していく。やはりこだわりがあるようで、鉢の向きなんかを私に指示してしきりに直させる。
「ほら、こんなもんや」
「サンキューです、巨匠。あ、縁大丈夫? スカート汚れてない?」
「ん? 大丈夫大丈夫レインブーツは先に拭いてたし」
「抜かりなしか。さすが服にはうるさいね」
「そやで。どお? 今日の?」
くるりとひと回転。スカートもブーツもよく似合ってた。
「かわいい、かわいい。てかさ、こんな土砂降りの日に来なくてもいいじゃん。せっかくの服が濡れるよ?」
「でも、なのちゃんに会いたかってんもん! なのちゃんお手伝いばっかしやし、こおやって出てこな会えへんやん!」
と、口をへの字にしてしまう。
「でもさ、あんたと一緒の大学に行くためにこうして頑張ってるんじゃん」
「そやで。それ忘れたらあかんで!」
びしっと指さしてきた。あれ? 私が言われる立場?
「いや、忘れて文句言ってるのは縁じゃん」
「違うで! 最近のなのちゃんは当初の目的を見失ってるっぽい」
「え? いや~そんなことないと思うけど」
「忘れてるっ! 最近、お花屋さんの悪口言わんよおになったもん」
「え? そうかな~」
やばい、気付かれたか。
確かに今の私は花屋の仕事が楽しくなり始めている。そのことを母に悟られたくなかったが、同時に縁にも悟られたくなかった。
私はこれからの進路について悩み始めている。縁と一緒の大学に行く以外にも、道があるような気がしてきた。でも、もう少しゆっくり考えたかった。自分の考えがまとまらないうちに、周りで騒がれたくなかった。
「あかんで、なのちゃん。しっかりしててや。一緒の大学行くんやで?」
縁が私の手を握って、顔を覗き込んできた。
不安げな顔をしてる。自分を捨てる相談をしているのを聞いてしまった飼い犬は、もしかしたらこんな目をするのかもしれない。こんな顔をした縁は見たくなかった。
縁にはちゃんと話さないといけない気がした。こいつは親友なんだし。あるいは相談に乗ってくれるかもしれない。
「ねぇ、父さん。ちょっとお店抜けていい? 縁と話したいの」
「ん? いいぞ」
父は詳しいことは聞かないで仕事から抜けるのを許してくれた。もしかすると大方を察してくれたのかもしれない。店は父に任せ、縁を自分の部屋に誘った。縁は相変わらず不安げな顔をしながら、私についてきた。
三階にある私の部屋に縁と入る。私の部屋はあまり物がなく、片付いていると言えば片付いていた。
「なんか飲む?」
縁は部屋にあったクッションを胸に抱くと、無言でうなずいた。
台所に気の利いたものは何もなく、リンゴジュースとスナック菓子を持って部屋に戻る。縁は出ていった時から動いていなかった。
さてと。いや、真面目な話をするのにネコ耳メイドはまずいか。ひと声かけてから着替えていく。
「なのちゃんな……」
「え? 何?」
着替えてる最中に話を切り出されてしまった。
「下着はちゃんと上下で合わしといた方がえぇ思うねん。同じ奴にせぇとまでは言わんけど……」
「悪かったな。ていうか、見てんなよ」
「ちゃうて! たまたま目に入ったんやて!」
「いや、分かってるけどね」
そうやって変に焦られると逆に身の危険を感じてしまう。こいつとは一緒に風呂に入ったりもしているのだ。
とりあえず部屋着に着替えた。そしてテーブルを脇にやって縁と向かい合う。
「あのさ、縁……」
「うち、捨てられるん?」
例の捨てられそうな犬の目でこっちを見る。
「そんなんじゃないよ」
「でも、最近のなのちゃん、おかしいもん。うちのこと見てへんもん」
確かに最近、私は花屋のことばかり考えている。縁といる時はちゃんと縁の方を向いているつもりだったが、本人は微妙な変化を捉えていたのか……。
このまま店を継ぐ方を選んでしまえば、すぐに店で働くか、その為の勉強ができる学校へ行くか、どちらにせよ縁と同じ大学へは行かれない。当然、縁が望むように同じところで働くなんて無理になる。
縁と離れてしまう? そして私はそれでも構わないと思っている?
「私、迷ってるんだよ」
「迷うって何?」
「縁とずっと一緒にいたい。私はこれまでそう思ってきた。だけど、店にももっと関わっていきたい。そんなふうに思い始めてるんだ」
「なんなんそれ?」
縁の声には怒気が混じっていた。
「私の中で何かが変わり始めてる。自分でもこれからどうなるのか分からないんだよ」
「嘘つき! なのちゃんは嘘つきやっ!」
手にしたクッションで私を叩いてくる。何度か受け止めた後、どうにかそれを奪い取れた。
「分かってよ、縁……。私、花屋の仕事が面白くなりかけてるんだ。向いてるかどうかはまだ分からない。居場所になるかもまだ分からない。でもね、何かが掴めそうなんだよ」
「なのちゃん騙されてるて。文香姐さんとか森田とかに騙されてるて。今だけや。面白い思うんも今だけやて。すぐに騙されたて気付くんや。そん時はもう後戻り出来へんよおになってんねんで?」
縁にすがり付かれて私は言葉に詰まってしまう。
確かに私は引き返せない道に進もうとしているのかもしれない。ちょっと覗いてみるだけだなんて、あの母が許すとも思えなかった。自分の道じゃないと気付いた時にはもう手遅れなのか?
「じゃあ、どうしたらいいんだよ。どうしたらいいんだろ、縁……」
うなだれた私を縁が抱き締めてきた。
「余計なこと考えんとこ。後一ヶ月やり過ごせたらなのちゃんの勝ちや。その先のこと考えよ? 一緒の大学行って、一緒に暮らして、きっと楽しいで?」
「でもね、今、目の前に大切な何かがあるような気がするんだよ」
縁が私を抱く力を強めた。
「それて、なのちゃんにとってそんな大切なもんなん?」
「……分からない」
「うちより大切なもんなん?」
「……分からない」
「分からんままなんは、つらいやんな?」
「うん……」
私も縁を抱き締める。
「ほな、やりたいよおにやってみいや。そんで思てたんとちゃうかったら、やめてもおたらええんや」
「でもあの母さんがそんなの許すかな?」
「そん時は駆け落ちしよ?」
「駆け落ち?」
こっちが力を緩めると、縁も身体を離してきた。そして顔を覗き込んでくる。
「そ、二人で文香姐さんから逃げんねん」
「でもあの人、絶対に見付け出して引っ張り戻すよ?」
「そやったら、世界中逃げ回わろ。二人で逃避行や」
などとニコニコしながら言う。
「実際問題、できると思う?」
「夢がないなぁ~。そやけど、ええ交渉材料て思わへん? 無理矢理お店継がすんやったら二人で心中すんで! って脅すねん」
「心中? いつの間にかグレードアップしてるけど」
「いざ言う時はうちも一緒に頼んだるさかい、まずは自分のやりたいようにやりぃや」
と、デコピンをしてくる。痛てっ。
「ありがとう、縁。わがまま言うけど、私は前へ進んでみるよ」
「うん、その方がなのちゃんらしいわ」
そう言って微笑んでくれた。
このまま進んでいくと私は縁との約束を破ってしまうだろう。そうなると分かっていて笑顔を向けてくれる縁の気持ちをありがたいと思う。
ふと、視線を下に落とす。あっ!
「縁、ジュース!」
「え? キャ―――ッ!」
縁のスカートにリンゴジュースが思いっきりかかってしまっている。
「すぐ洗わな染みになるーっ!」
即座にスカートを脱いでスパッツだけになった縁が洗面所へ走る。縁の手早い手洗いによって、どうにか高そうなスカートに染みを作らずに済む。
代わりに穿くズボンを貸したが、そのまま帰るのを縁は拒否した。仕方なしに今日は泊めることに。
私が作った夕飯を四人で食べる。何回もうちに泊まったことがある縁は、ずっとここに住んでいるかのように団らんに馴染んでしまう。
食べ終わった後、縁が真剣な表情で母に声をかけた。
そしていきなりの土下座。
「文香姐さん! 娘さんと同棲させてください!」
私が自分の進路をどうするかは置いといて、同居の話は前へ進める気のようだ。それにしてもひねりも何もないよな。
「そうは言ってもなぁ。年頃の娘だけで住むなんて、親としては防犯上の心配があるんだよ」
「それは建前だよね。単に私を支配下から出すのが嫌なだけでしょ?」
「ぶっちゃけそうだよね。しかも一回私を出し抜こうとしてるんだし」
縁がぎくりと身体を震わせる。やることが裏目に出てしまったようだ。
「そこを、そこをなんとかぁ!」
なおも土下座で迫る縁。ホント、ひねりがないよな。まぁ、ここでいきなり心中を持ち出されても困るけど。
「せめて交換条件を提示してよ」
と、母が私達の足下を見る。
「そやったら、うちのお小遣い全部……」
「縁、現金で解決しようとするな」
縁の貯金は数百万円規模であったはずだ。それ以外に親が貯めている学資貯金や嫁入り貯金があるらしい。
「ていうか、私が三ヶ月やり遂げたら、私のやりたいようにやらせてくれるんでしょ? 二人暮らしもさせてよ」
「いいや、それはそれとして親としての責任があるんだって。娘をむざむざ危険に晒すようなことはさせられないんだよ」
「だからそれって建前だよね。親としての責任を持ち出すのは卑怯だよ」
「文香さん、二人で暮らすのもいいんじゃないか? そういう経験も必要だ」
「久秀君も一度裏切っといてよくそんなことが言えるよね。ていうか、私だけ悪者みたいな状況は勘弁なんだけど」
実際あんたは悪者だけどな。
「うーん、箱入り娘の縁ちゃんをお店でこき使うのも気が引けるなぁ。じゃあ、こういうのはどうだ? あんた達二人、卒業まで今後一切口利かないの。学校でもシカトし合うわけ」
「ええっ!」
と縁が情けない声を上げる。そして母の足にすがりつく。
「それは、それだけは堪忍や。なのちゃんとお話し出来へんよおになったら、うち死んでまう……。それ以外で、それ以外でなんか条件を……」
「注文多いよね。じゃあ、縁ちゃん、うちにお嫁に来る?」
「何それ?」
意味不明なことを言いだしたので私が聞いてみる。
「まぁ、単なる下宿だけど。菜ノ花がお店継ぐのを条件に、縁ちゃんがうちに下宿するの認めたげるよ。そうしたら縁ちゃんは菜ノ花と暮らせてハッピー。菜ノ花はお店継いでハッピー。私もハッピー。みんなハッピー」
「花屋継ぐのが私のハッピーとは限んないじゃん」
「それに、うちはなのちゃんと同じ大学行きたいんですわ。二人常に一緒なんがハッピーなんですわ」
「縁ちゃん、ここは妥協のしどころだよ? 一緒の大学行けなくても、家に帰ったら菜ノ花と一緒に過ごせるんだ。大学は一緒でも住むところが違うってのより、濃密な時を二人で過ごせるんだよ? 大丈夫、三階は菜ノ花と縁ちゃんだけだし、私達は二人の時間を邪魔しないから」
「う、うーん」
「菜ノ花が大学行くってんなら、二人が同居するのはどんな形であれ絶対に認めないからね。縁ちゃん、二択だよ。仲睦まじく一緒に住んで愛を育むか、ただ単に一緒の大学行くだけか。どっちがいい?」
「う、うーん」
こいつ、縁を抱き込んで私に店を継がせようとしている。
私はまだ店を継ぐ決断をしたわけではないのだ。こうやって母の思惑に引っ張られるのは勘弁だ。
「縁、駄目だよ。この人の言うこと聞いたら、二人で一緒の大学行くって選択肢が消えちゃうんだから。そんなの私は勘弁だから」
「そ、そやんなぁ……」
「母さんが認めてくれなくても、この家を出る時には絶対に出ていくから」
「そんなことしても絶対に連れ戻す!」
「連れ戻されてもまた出ていく!」
母娘で睨み合う。
「文香さん、ここまで言ってるんだし、菜ノ花の言うことを認めてあげよう。菜ノ花が大学に行くことになったら家を出ていくのを認めるんだ」
「父さん!」
「またそうやって久秀君は自分だけいい親ぶる! 分かった。分かりました。菜ノ花が大学行くことになったらこの家出ていってもいいよ!」
「やった! やったよ、縁!」
「ありがとぉ、文香姐さん! そんでなのちゃんがお店継いでも、うちはここへお嫁に入ってなのちゃんと暮らせる。どない転んでもなのちゃんと同居や!」
縁が満開の笑顔で母を見上げる。
「それはなし」
「ええ? なんで?」
「時間切れだよ、縁ちゃん。チャンスって女神には後ろ髪がないんだから」
「くぅぅぅ……」
うなだれる縁。この母相手に両得なんてありえないのか……。
「まっ! 菜ノ花が大学行くって決めたらの話ですしね~」
と、含みのある笑みを私に向けてくる。クソッ、私が揺らいでいるのは先刻承知と言いたいのか。
でも、私は母の思惑どおりにはならない。自分の進路は自分で決めるのだ!
この後、私と縁は寝る準備を済ませ、私の部屋でグダグダ喋って過ごす。
「思い付いた!」
縁が突然叫んだ。
「何?」
「なのちゃんがお店継ぐって決めても、なのちゃんはお家出てうちと同棲すんねん。そんで通いでお花屋さんするんや。ええアイデアやわ。明日言うてみよ」
「無理っぽいなぁ」
「そやろか?」
「基本、あの母は私を家から出したくないからね。大学行くことになったら~って条件付けたのは、私が花屋継ぐ方を選ぶって高をくくってるからだよ。そうやって油断してる隙を突くしか、私が家を出るチャンスはないね、残念ながら」
「そおか~。じゃあ、なのちゃんには是が非でも大学の方選んでもらわな……」
「うーん、それはもうちょい考えさせてよ」
「なんにせよ、早よはっきりさせな。引き延ばしたら引き延ばす程、身動き出来へんよおになるで。うちと同じ大学行ってから、やっぱお店の方がよかったとか思われんの、うち嫌やし」
「うん、まぁそうだよね。できるだけ早く結論出すよ」
そうしないと、誰も得しない結末だってあり得るのだ。そんなの勘弁だった。
「じゃ、そろそろ寝るか。布団持ってくるよ」
「え? そんなん、いらんやん。なのちゃんと一緒のベッドで寝るんやし」
当たり前のように言い、さっきから寝そべっているベッドの上で寝たふりを決めこむ。
「またかよ。まぁ、いいけどさ」
こう言ってくるのはいつものことなので早々に諦め、狭いところに並んで寝ることにする。こいつ寝相悪いんだよな。
電気を消すと、縁が抱き付いてきた。
「なのちゃん、どないなっても、ずっと側にいてや?」
「うん、縁とはずっと一緒だよ」
その頭を撫でてやると、安心したのか目を閉じて眠ってしまった。
縁がどこまで納得してくれたのかは分からない。でも、いい加減な結論を出してしまったら、彼女は今度こそ許してくれないだろう。
このまま花屋の方へ心が動いていって、今までと同じようには一緒に過ごせなくなったとしても、それでも私はこいつとずっと手をつなぎ合っていたい。そう願う気持ちだけは見失わないようにしていこう。
愛おしい親友の寝顔を眺めているうち、私の意識も遠ざかっていった。