三章 花屋のイロモノ担当をやらせて頂いております。
花屋に帰ると縁が待ちかまえていた。まぁ、これは予想通りである。好きなだけ私のネコカッパ姿を撮影すると満足して帰っていった。
そして疲れ果てた私に母が声をかけてくる。
「じゃあ、次から『みさきデザイン事務所』さんはあんたが担当しろ」
「でもホントにいいの? 今の私じゃ、商品レベルのアレンジメントは作れないじゃん」
「今は、な。来週の納品までに商品レベルのものを作れるようになれ」
「うーん」
ここで以前の私ならごねて逃げようとしただろう。しかし、今は違った。この機会に自分の腕前を上げるのはいいことのように思えた。
「分かったよ、やってみる」
私がそう言った時、向こうにいた千明さんが軽く片眉を上げた。
「ほう! やっと本気で仕事する気になった?」
「そういうわけじゃないよ。お客さんに迷惑かけるわけにはいかないじゃん。だから嫌々やるんだよ」
「まだそんなこと言うの? いい加減素直になりなっての」
そう言っておかないとこの母はどこまで図に乗るのか想像が付かないのだ。かなりウザい事態になるのは目に見えていたし、下手をすると三ヶ月を待たず店を継がされるかもしれない。そんなのは勘弁だ。
と、千明さんがメガネのブリッジを中指で押し上げた。
「店長、これがツンデレという奴ですよ」
くそっ、余計なことを……。
「やっぱりだ。分かってる、菜ノ花の本心は分かってるぞ!」
「いやいやいや、母さんは分かってない。ていうか叩くな、痛い痛い!」
散々背中を叩かれた後、母から特訓の方針が告げられた。
時間に余裕のある品を作る時に、後ろから逐一母が指導するというものだ。今までは母に見せるまでは私一人でやっていたので、常に見られるというのはかなり面倒な事態と言えた。
「指導なら父さんがいいよ。母さんじゃ、余計なことばっか言って娘のやる気を削ぎかねないじゃん」
「減らず口を。あんたの担当はこの母って決まってるんだよ」
文字通り頭を抑え付けられて私の特訓が始まった。
「一回ミスる毎にネコ耳一時間な」
「ほら、そういう罰ゲームが娘のやる気を削ぐんだよ」
「結果的にあんたの技術が上がるんなら、どんな手だって使ってやるさ」
くそっ、減らず口ばっかりだ。まぁいいや頑張ればいいのさ。
「駄目、刺し方が悪くて花が垂れすぎてる。はい、ネコ耳一時間追加!」
フラワー・アレンジメントではスポンジに花を刺していくのだが、確かにこれは刺すのに失敗している。仕方ない、ネコ耳一時間だ。
「駄目、色が濃すぎる。そこだけ浮いちゃうのが分からないのか? はい、ネコ耳にプラスして語尾に『~にゃん』付け!」
「ちょっと、罰を増やさないで!」
「駄目、茎を切りすぎた。それじゃあ、長さが足りなくて他の花の中に埋もれちゃう。はい、『~にゃん』付けにプラスして、右手で『にゃん』のポーズな」
母が右手を顔の横にやり招き猫のポーズを取った。さらに小首を傾げてウインクだ。マジで勘弁して下さい。
「駄目、その花は後二日くらいしか保たない」
「いや、そんなの売り物の中に入れとかないでよ」
「お前がちゃんと見抜くか試したんだよ。こんくらい分かれ」
「ぐう……」
「次はどんな罰にしようかな?」
「店長、あまりやりすぎるのは店の品位に関わると思います」
千明さんがメガネを押し上げながら意見した。
さすが花屋を愛する女! 助けて、千明さんっ!
「ちゃんと『罰ゲーム中』というはちまきを締めるようにしてください」
「それもそうか」
「悪化してるって、それ!」
結局罰は累積十八時間にも及び、学校でも罰を遂行するよう命じられた。
「それだけは……、それだけは勘弁して下さいっ! イジメが発生してしまいますっ!」
私は濡れた床の上で土下座した。
「しゃーないなぁ、じゃあ、学校はなしで」
「あ、ありがとう、母さん!」
「時間は倍の三十六時間な」
「鬼っ!」
次の日、例によって縁の奴が出張ってきた。
「言われた通り、去年の学祭のメイド服持ってきましたわぁ~」
親友を裏切るのにためらいがなかった。
しかもこのゴシック調のメイド服、半そでに直されたのはともかくとして、ついでといった感じでスカート丈がより短く、胸の露出がより厳しく改造されていた。
「ゆーかーりー!」
「いや~、暑いかなぁて、思て~」
などとにやにや笑い。
こうして花屋『シャーレー・ポピー』では、真剣な表情でアレンジメントの特訓をするネコ耳メイドの姿が見られるようになった。
「八四〇円のお返しですにゃん!」
接客もしっかりとする。
罰の効果かは分からないが、私の腕前は確実に上がっていった。
「私の指導がよかったんだね。感謝しろよ、菜ノ花」
「もっと精神的ダメージが少ないやり方にして欲しかったけどね」
「そんなんじゃ、いつまで経ってもやる気見せないでしょ?」
罰はともかくとして、この一週間真剣にアレンジメント作りに取り組む中で、私はより一層花屋の仕事の面白さが分かったように思う。それをこの母に悟られるわけにはいかなかったが。
そうして『みさきデザイン事務所』に納めるフラワー・アレンジメントを製作した。
応接ソファ近くに置かれる大きめのアレンジメントにはユリを使い、小泉さんのデスクに置くものは可憐なカワラナデシコでコンパクトにまとめた。
「まぁ、そんなもんか」
母の許しも出たのでデザイン事務所まで納品に行った。今日は曇りだ。
「まぁ、きれいね。こっちはかわいらしいわ」
小泉さんはそう言ってくれた。
「私なりに全力を尽くしましたから。あ、母からもちゃんとオッケーを取り付けてますんで」
一応、商品レベルということを伝えておく。
「そうね。私も満足だし、なんの問題もないわ。そのまま飾ってもらえるかしら」
お許しも出たし、アレンジメントを設置していく。花器は回収して次回また使うことになる。今回小泉さんのデスクに納めた花器もネコが付いたものだ。底の方で一匹寝そべっている。
「今回のネコもかわいいわね。それに佐伯さんも」
「うう……」
そう、今日も私はネコ耳メイドなのだ。この格好での配達はかなりキツかった。今日に限って全員いる社員たちの好奇の視線が痛い。自分としては記念すべき仕事なので、ちゃんとした格好でいたかった……。
あれ? なんだこれ。
納品書と一緒にデザイン事務所宛に『納品特典』なる封筒が入っていた。とりあえずこれも小泉さんに渡す。
「『納品特典』? 何かしら。」
中にはポストカードらしきものが。
「まぁ、これはいいわ。かわいらしい」
そうして小泉さんが見せてくれたカードには、『にゃん』のポーズをしたネコ耳メイドの私が写っていやがった! 母め、やりやがったな……。
小泉さんは当たり前のようにカードをモニタの前に置く。
「私なんかの写真、飾ってても仕方ないと思いますけど」
「そうかしら? よく似合ってるわ。佐伯さんかわいいから、こういう格好をすると映えるのね」
ネコ耳メイドが映える女と言われてもうれしくない。ていうか、かわいくなんてないし……。
「それで、どう? お花屋さんの仕事にクリエイティビティを感じてもらえたかしら?」
「そうですね……」
と、考えてみる。
今回納品するアレンジメントについては方向性も含めて一任されていたので、いつも以上に頭を使った。数日前からイメージを膨らませてはやり直す、という作業を繰り返した。父にアドバイスされ、色鉛筆を使ってラフな絵を描いたりもしてみた。
クリエイティブというのがどういうものなのか、正直よく分かっていないが、頭を使って何かを生み出したという実感は確かにある。
「頭を使う仕事だっていうのはよく分かりましたよ。今回も苦労して考えていきましたし」
「そうね、時には行き詰まって苦しむこともあるでしょうけど、うまく行った時の達成感は格別なものがあるはずよ。今回もとてもよくできていたわ。ありがとう、また来週もよろしくね」
「ありがとうございます!」
達成感。確かに今感じているのは達成感だった。
道すがら痛い視線を浴びながら花屋に戻った私に母が話しかけてきた。
「うまくいったようだね」
「なんとかね。ありがとう、母さん」
「お? 珍しく素直だね。そんなにネコ耳メイドが気に入った?」
んなわけねぇだろ。素直に感謝を述べたらこれだよ。
「でもね、他のアレンジメントは相変わらず最後私達が手を入れるから」
「あれ? そうなの?」
これにはがっかりだ。成長して一人前に近付いたと思ったのに。
「あんた、『みさき』さんだけにどんだけ時間かけたと思ってんの。当分はあちら一件だけに集中しろ。そして他はいつもの通りだ」
「ぐう」
でもそれもそうか。小泉さんの事務所に納めた分は構想にかなりの時間を費やしたし、実際に生ける時も何度もやり直した。そんなやり方では店を回せない。他は手を抜けというのではないだろうが、かけられる手間というのはどうしても違ってくる。
まぁ、少しずつ前へ進んでいくしかないか。
などと真面目なことを考えていたら咲乃先輩が飛び込んできた。
「菜ノ花がイジリ放題と聞いて!」
実に活き活きとしていた。
「それ、もう終わりましたよ」
「なんだ、せっかくいろいろアイデア考えてきたのに」
危ねぇ。基本優しい先輩だが、一匹の悪魔でもあるのだ。
「ちなみにどんなアイデア持ってきたの?」
母が問いかけた。
「プロマイドを売るんですよ、あくまでお花のおまけとして。それを駅前なんかで菜ノ花がお手ずから売っていくんです」
危ねぇ、ホント危ねぇ。何考えてんだ、この人。
「いや、私のプロマイドなんて、誰が欲しがるんですか」
「何言ってんの、菜ノ花のプロマイドなら欲しがる人は多いよ。こういうのは親しみやすい菜ノ花の方が、私なんかより売れるって」
「咲乃先輩には到底叶いませんけどね。ていうか、プロマイド売るとか絶対勘弁ですけど」
「やってみるか、菜ノ花!」
「勘弁してよ、母さん。今ですらカメラ小僧が沸いてて心が傷付いてるんだから」
そういう奴らが花屋にやってきては私を撮っていくのだ。連中にとってはネコ耳メイドでありさえすれば、中身は私なんかでもいいらしい。
「でも連中から徴集するモデル料じゃ、収益に限りがあるしねぇ」
「モデル料! そんなの取ってたの?」
「かわいい娘を無料で撮らせるわけないじゃん。モデル料取って、ネットに公開する時は目を隠すように厳命してんの。連中、ちゃんと許可証ぶら下げてたでしょ?」
あの『撮影許可証』、何なんだろうって思ってたんだよな……。
「そうやってカメラ小僧同士で牽制させて、モデル料払ってない奴とか言うこと聞いてない奴がいたら密告させるんですね」
「分かってるね、サキちゃん。ネット公開も許可制だから。無許可なら絶対に警察に言うぞって脅しつけといたよ」
「さすが姐御、娘思いですね」
「いやいやいや、ネット公開とかさせないでよ。娘を変態どもの餌食にしてもいいの?」
「全面禁止にしたらそれこそ好き放題するんだから。それだったらちゃんと管理した方がいいんだって」
「じゃあ、そもそもネコ耳メイドしなきゃいいんだよ」
「それじゃあ、面白くないしなぁ」
「娘をおもちゃにすんな!」
「菜ノ花」
咲乃先輩が真面目な顔をして私の両肩に手を置く。
「似合ってるうちが華だから」
うるせぇよ。