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二章 どうも私は年上の女性に弱いらしい。最近気付いた。

 私は以前より前向きな気持ちで仕事に取り組もうという気になった。

 しかしこのことは母に気取られてはならない。あの母のことだ、私に心境の変化があったことを知ると、そこにつけ込んで強引に店を継がせようとしてくるに違いないのだ。

 店を継ぐかどうかはもっとじっくり考えたかった。

 手伝いを始めた当初は、店を継ぎたくないという思いしかなかった。そしてその意志を、三ヶ月の手伝いをやり通すことで母に突き付けたいと考えていた。

 そういう意志は菊池さんの件を経た今となってはどこかへ行ってしまった。あんなに固く決意したはずなのに、いつ消えたのか分からないくらいあっさりと消えてしまったのだ。

 我ながら現金だという気がしなくもないが、今さら後ろを向く気にはなれない。

 かといってすぐに継ぐ方へと意志が切り替わったわけではない。もっと考える時間が必要だ。

 今はただ、目の前の仕事を楽しみたかった。

 というわけで、仕事を楽しみながらもそれを表に出さないという、よく分からない態度で私は今日も花屋で働くのである。

 季節は梅雨に入りつつあった。今日も雨だ。

 しとしと振っている雨を店先の雨除けの下で眺めていると、後ろからチョップを食らった。


「なにさ、母さん」

「なにさじゃねぇ、サボってんな。今から配達行け」

「いや、外は雨なんですが?」

「大丈夫、カッパがあるから」


 そう言って持ってきたのは黄色い雨ガッパ。背中の部分に茶色い横線が入っていて、頭の部分には動物の耳がついていた。


「またネコ! なんでそう、娘をネコに仕立て上げようとするのさ」

「似合うからに決まってんだろ。ほら、これ着て行け」


 ネコが似合うって何? しかし私の抗議を聞き入れる母ではない。それしかカッパないとか言って、私を店から追い出した。

 はぁ……もういいや……。今回は近場だから被害は少ないはずだ。


「おっ! 菜ノ花ちゃん、かわいいよ!」


 うるせぇ、ラーメン屋。わざわざ店から顔出してくんな。

 側まで行って気付いたが、今回の目的地であるデザイン事務所が入っているビルの周囲には、小物屋、雑貨屋、CDショップと若者向けの店が多くあった。

 学校帰りの高校生達の視線を感じる。中には同じ中学だった元同級生もいる。実にツラい。


「佐伯さん、かわいいカッパだね。どこで買ったの?」

「橘縁デザイン・製作のオーダーメードであります」


 そう、あいつまた裏切りやがったのだ。


「似合ってる似合ってる」

「写メしていい?」

「やめてっ! それだけは勘弁して!」


 しかし撮られてしまう。肖像権の侵害である。

 どうにかCDショップ脇にあるビルのエレベーターに乗り込めた。ここの四階にデザイン事務所がある。エレベーターの中で忌々しいカッパを脱ぎ捨てるうちに四階へ。

 呼び鈴を鳴らすと出てきたのは所長だった。


「こんにちは、小泉さん。『シャーレー・ポピー』です」

「わざわざ雨の中ご苦労様、佐伯さん」


 所長は女の人で、落ち着きある物腰がいかにも大人といったふうである。しかしいつも思うが年齢不詳なんだよな、この人。何才だと言われても驚くことはないだろう。

 とにかく事務所の中に入り、フラワー・アレンジメントを三つほど置いていく。ここは所長の他に社員が三人いるが、今日は留守のようだ。

 所長のデスクに小さめのアレンジメントを設置する。パソコンのモニタが二台も置かれたデスクは小綺麗に片付けられていた。ネコの小物がやたら多いのが前から気になっていたが、ネコには嫌な思い出しかないのであえて話題にはしなかった。しかし今日はそうもいかない。


「このアレンジメント、小泉さんのご注文通りネコの鉢にしましたので」


 陶器の鉢で、中を覗き込むようにして小さなネコがくっついている。


「ありがとう、かわいいわ」

「ネコがお好きなんですね」


 愛想の良い私が今まで避けていたネコの話を振る。


「そうよ、見ての通り」


 大人な彼女には似合わない、かわいらしいネコのボールペンを軽く振った。

 と、私の横にあった大型のプリンタが音を立てて紙を吐き出す。小泉さんはそのA3の紙を手に取って、近付けたり遠ざけたりしながら真剣な顔で見ていった。


「うん、これでいいかな? そうだ、佐伯さんの意見も聞かせてくれるかしら?」


 小泉さんがそう言って見せてきたのは、商店街で今度やる七夕フェアのポスターだった。奇をてらったところはないが、織り姫と彦星のキャラクターがかわいらしい好感の持てるもののように見えた。


「やっぱプロが作ると違いますね。前にやった母の日フェアのポスターは酷かったですから」


 明らかにワープロソフトで作ったであろうそのポスターは私の目から見てもダメダメで、縁に至っては鼻で笑ったのであった。


「デザインにもお金がかかるって、なかなか普通の人には分かってもらえないんだけどね」

「じゃあ、この商店街にしては頑張ったんですね」

「見積りを見た実行委員長は目を丸くしたわ。それでもうちに依頼すべきだって、『野乃屋』のみこさんが主張したのよ」


 またあいつか。


「これなら客足が伸びそうですよ。なんか、気分が盛り上がりますもん」

「ありがとう。最近やっていない路線だから、少し自信がなかったのよ」

「普段はどんなのやってるんですか?」

「そうね、最近だとこれかしら」


 と、後ろの棚から取り出したのは、地元企業が最近売り始めた、天然成分配合をセールスポイントにした石鹸だった。


「これのロゴとパッケージ、パンフレットのデザインをうちでしたのよ」

「へぇ! これって私んちでも使ってますよ」


 地元愛の強い母がわざわざ直営店まで行って買ってきた。そこらの小さな会社が作ったものと舐めていたが、意外にちゃんとしたデザインの箱に入っていて商品に対する気合いを感じたものだ。

 そんなことを言うと、彼女はうれしそうな笑みを浮かべた。


「ありがとう。そう言ってもらえると頑張った甲斐があるわ」

「はぁ、いいなぁ、デザインのお仕事って」

「そう? お花屋さんだって素敵なお仕事じゃない」

「でも基本、肉体労働ですからねぇ。やっぱ、パソコンの前で格好良く仕事する方がいいですよ」


 最近楽しくなってきたとはいえ、花屋よりデザイナーの方が格好良いと思うのだ。モニタ二台でプロ御用達のよく分からないソフトを操るとかすごいでしょ?


「そうでもないわ。締め切り間近なのにアイデアが出ないと、深夜に頭を掻きをむしりながら仕事してるのよ」


 落ち着きのある大人たる小泉さんがそうしている姿はちょっと想像付かないな。母なら帳簿をつけながら頭を掻きむしっているところをよく見かけるが。


「そんなもんなんですかねぇ。クリエイティブな仕事って憧れますけど」

「お花屋さんもクリエイティブじゃない。こういうアレンジメントなんて特にそうだわ」

「あれ? これもクリエイティブに含まれるんですか?」

「そうよ。頭を使って何かを生み出す仕事はなんでもクリエイティブよ」

「はぁ、もっと縁遠いものと思ってましたよ」

「クリエイターでござい! って大上段に構えるのはどうかと思うけど、自分の仕事がクリエイティブだと意識するのは大事なことだと思うわ。これは佐伯さんが作ってくれたの?」

「いいえ、仕上げたのは店長です。私はまだまだ未熟者ですから」


 この前の菊池さんは特例なのだ。相変わらず私が作るものは最後、誰かの手が入る。まぁ、自分の実力を考えればそれも仕方ないと思っているが。


「途中までは佐伯さんが?」

「ええ。あ! 最後に店長がしっかり直してますから、商品としてはちゃんとしてますよ?」


 私が作ったいい加減な品だと思われるのはマズかった。


「まぁ、修正が入ろうが、ちゃんと意識して作っていれば十分クリエイティブなんだけど。でもそうね、佐伯さんが作ったそのままを見てみたいかも」

「いや~、それは商品になりませんからねぇ~」

「ちょっと頼んでみるわ。待っててね」


 と、いきなり電話をし始めた。何をする気だ?

 あれ? 電話の相手って母じゃないのか? 何やらやりとりをしているが……。「娘さんの……」とか「お代はちゃんと……」とか聞こえてくる。

 電話を終えた小泉さんがにっこり微笑んだ。


「次回から、佐伯さんが作ったそのままのを持ってきてもらうことに決まったから。店長さんの了承も取り付けたわ」

「えっ!」


 仕事早え……。

 こうして次に小泉さんの事務所に納品するアレンジメントは、私が最後まで作ることになってしまった。


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