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六章 これが世に言う、「花屋の娘、酒屋と不倫する」事件である。

 翌日、私は制服のセーラー服姿で上葛城駅の改札前に突っ立っていた。

 もうすぐしたら二郎さんが来る。

 そして私の十メートル後ろには私服に着替えている縁が、ご自慢の一眼レフカメラを首からぶら下げて隠れている。今回の作戦には縁まで動員されているのだ。

 実にタチの悪い作戦だった。

 私と二郎さんでデートして、その姿を縁が盗撮する。

 そうして自分の夫が制服を着た女子高生なんぞとデートしている写真を小夜さんに突き付ける。二郎さんが彼女に愛想を尽かせて女子高生に走ったと揺さぶりをかけるのだ。

 小夜さんは泣き崩れて自分の心の狭さを反省するだろうというのが母の読みだった。

 実にタチが悪い。

 ようやく二郎さんが現われた。酒屋から抜け出してきたはずなのに、しっかりと余所行きの服を着ていた。


「や、やぁ、お待たせ」

「う、ううん、そんなに待ってない」


 さて、ここで腕を組まないといけない。母の書いたシナリオにそうあった。

 ていうか、男の人と腕組んだこととかないんですが。

 ぎこちなく二郎さんが腕を出してきたので、覚悟を決めてしがみついてみた。

 思いの外、太くて固い腕だった。縁の細腕とはわけが違う。

 こ、これは……滅茶苦茶恥ずかしいんですが。

 一度組んでしまえば恥ずかしさは消えるだろうと思っていたのに、二郎さんの腕を自分の腕や身体で感じてしまい、常に恥ずかしい事態となってしまった。

 ど、どうしよう……。

 いや、毒を食らわば皿まで。作戦続行である。ていうか、母の作戦を潰すと後でどんな仕打ちを受けるか分からないのだ。

 さて、商店街に入るまではフリートークだ。話すことなぁ……。


「菜ノ花ちゃん、もうお店の手伝いは慣れた?」


 二郎さんの方から話を振ってくれた。


「いやぁ、全然ですね。母に怒られてばっかりですよ」

「あの人はきついからねぇ」

「ですよ。清須の先代もきつい人ですよね?」


 この商店街には私の祖母や母も含めてきつい人が多くいて、清須の先代もそういう人の中に含まれるのだ。

 私も小さい時、叔父にジュースをねだっただけでげんこつを頭に食らったことがある。今思えばしつこくねだって喚いたりしたからなんだが。


「まぁ、そうかもね。俺達兄弟は散々しごかれたよ」

「でも結局今もお店で働いてるんですよね?」

「そうだなぁ、結局離れられなかったね。怖かったのかな?」

「先代が?」

「いや、酒屋から離れるのが。それくらい、どっぷり酒屋だったから」

「でも、二郎さんは店長にはなれないんですよね? それでも酒屋さんがいいんですか?」

「まぁ正直、店長になれないからって兄貴を恨んだこともあるよ。それでも結局、自分が生まれ育った酒屋に関わっていたいと思ったんだよね」

「やっぱり、自分が生まれ育ったお店がいいんですか?」

「そうだね、やっぱり自分を育ててくれた店に一番愛着があるからね」


 なるほど愛着か。

 ずっとその店で働いていたとなると、そういうものが沸いてくるものなのかもしれない。

 私の場合はどうだろう。確かに私はあの花屋で生まれ育っている。店の手伝いも、小学校半ばくらいから始めて高校に入る前までずっと続けていた。

 じゃあ、愛着がある?

 んなわけなかった。私は散々こき使われてまともに遊ぶこともできなかったのだ。今ではあの店を憎悪している。

 それは店の手伝いを再開させた今も変わらない。


「愛着かぁ、私には縁遠いですね」

「そうなの? 菜ノ花ちゃんも昔は手伝いしてたよね? そうやって店で働いていたら、自然に沸いてくるものだと思うんだけど」

「沸いてこないですね。全然ですね」

「まぁ、今みたいに店を手伝っているうちに、気持ちも変わってくるかもね」

「ありえないですねぇ。期限までやり過ごして、それでおしまいですよ」


 そうやって話し込んでいるといつの間にか商店街の中だった。ここにある小物屋へ行けというのが母のシナリオだ。


「さて、わざわざ付き合ってもらったお礼に好きなの買ってあげるよ」

「では、お言葉に甘えて」


 このお店の小物は女子向けのものがほとんどで、ちょっとしたアクセサリーから置物、食器などが並べられてある。値段もそれ程ではないので遠慮はいらないだろう。


「このコップ、かわいいかも」

「こっちはネコの絵が描いてあるよ」

「ネコにはちょっと嫌な思い出があるんですよねぇ」


 ネコ耳の悪夢が頭を過ぎる。

 そうやって二郎さんと二人で棚に並べられた小物を見ていった。

 どれにしようかなぁ。


「なのちゃん、アカーンッ!」


 声の方を向くと、縁の奴が体当たりしてきやがった。奴の馬鹿でかいカメラが腹を直撃する。


「ぐあっ!」

「なのちゃんは、うちのんやぁっ!」

「お、落ち着け縁、役目を忘れるな……」

「もぉ、嫌やぁ! なのちゃんが他の男とイチャイチャしてるとこなんか、撮りたぁないっ!」


 ぎゅっと抱き付いてきて離れようとしない。

 さらに押してくるので、このままでは商品の並ぶ棚に突っ込んでしまう。なんとか踏み止まりたいが、縁の奴は全力で押していやがる。


「縁! 押すな押すな!」

「もぉー、嫌やぁーっ!」

「菜ノ花ちゃん、こっち掴んで!」


 二郎さんの支えでどうにか体勢を立て直す。危なかった……。


「縁、これは演技だから」

「アカーンッ!」

「あーもー、分かった分かった、落ち着けって」


 縁の頭を撫でてやると、どうにか力を緩めてきた。

 はぁ……作戦失敗だ。


「じ、二郎さん!」

「げっ、小夜!」


 あれ?

 店先に立つ小夜と呼ばれた女の人は、両手で口を覆って震えていた。

 今の状況を整理しよう。

 縁は私にしがみついている。

 私は二郎さんにしがみついてる。

 二郎さんは私達を支えている。

 つまり、三人で抱き合っている図に、見えなくもなかった。


「なにこれ、二郎さん……」


 涙声だ。

 小夜さんの後ろでニヤニヤしている母の姿を、私は見付けてしまう。

 すべては奴の計画通りか……。

 そりゃ、写真なんかより現場を押さえた方がインパクトはでかいよ。

 それが修羅場の真っ最中ならなおさらだ。

 うまい具合に縁は嫉妬深いので、こういう状況はいくらでも作り出せる。縁の奴に、このままでは私が取られるとかなんとか吹き込めばいいのだ。あの母ならやるに違いなかった。

 でもさぁ、あまりに状況が悪いよ。小夜さんに与えるショックが大きすぎる。

 これは話がこじれるぞ~。てか、私も当事者だ。


「小夜、これは誤解なんだ!」

「よりよって、女子高生? 未成年? 三角関係?」

「ち、違うんだ」

「違うも何も、現に今、制服女子高生と抱き合ってるじゃない」

「いや、これはその、いろいろと事情が……」


 二郎さんがこっちに助けを求める視線を寄こしてきたが、私は首を横に振るしかできない。

 いや~、小夜さんを騙くらかすためにひと芝居打ってるとこなんですよ~。とは言いづらい。


「離婚? 離婚なの?」

「話せば分かる、話せば分かるって」


 ああ、ヤバイヤバイ、てか、騙そうとしたのを白状してもやったことのタチが悪すぎるし、やっぱり……離婚?

 小夜さんが悲痛な表情を見せながら一歩後退した。


「二郎さん……、短い間だったけど、お世話になりました……」

「う、嘘だろ、小夜!」

「うっそで~すっ!」


 急に小夜さんが笑顔になった。舌なんて出してる。

 二郎さんがその場に崩れ落ちた。




 花屋にみんな集まる。


「小夜ちゃんの怒りを理解しなかった二郎君が悪いに決まってんじゃない。しかもあろうことか、小夜ちゃんを騙そうとしたんだし」


 母はいけしゃあしゃあと言ってのけやがった。


「いや、騙しは母さんの仕込みだったじゃない」

「二郎君、小夜ちゃんの人形部屋覗いたのが原因だって、薄々気付いてたんでしょ? その日から口利かなくなったんだから」

「う、ま、まぁ……」


 え? そうなんだ?


「でもしらばっくれてたよね? 私が追求するまで認めなかったじゃない」

「で、でもそれくらいで……」

「そんなけ人形が大事なんだよ。あの部屋は小夜ちゃんの聖域なのに勝手に侵したんだ。そしてそれを認めようとしない。そら怒るわ」

「ぐう……」

「しかも二郎さん、私のお人形を見た後、異常者を見る目で私を見たんですよ? 到底許せるものじゃないです」

「で、でもあの人形は……」

「一応擁護してみると、部屋いっぱいのフィギュアなんて、ドン引きじゃない?」


 心優しい私が弁護する。


「いや、なかなか立派なコレクションだよ? あんたも見せてもらいな。いいよね、小夜ちゃん」

「そうですね、ご迷惑をおかけしたんですし、特別にお見せしますよ」




 と言うわけで、駅向こうにあるマンションへみんなして行く。二郎さんの家にどやどやと上がり込むと、くだんの部屋の前に集合した。

 千明さんが上を見たので私も見てみると、彼女が言ってたみたいに紙テープが貼ってあった。へぇ、本当にやってたんだ。

 小夜さんが扉の鍵を外した。

 この向こうにはアニメやらゲームやらのキャラがずらりと並んでいるわけだ。単なる怖い物見たさで私はここにいた。

 あ、でもエグすぎるのはやっぱり……、というところで扉が開かれてしまう。

 否応なく視界に入ってきた部屋の中には、大量の人形が棚の上に並べられてあった。


「これは相当なものですね」


 千明さんが感心したように言う。

 私も思わずため息をついた。

 全部、きれいなドレスを着た女の子の人形、いわゆるアンティークドールだった。いろいろな大きさがあり、着ている服や髪の色、顔かたちにそれぞれ違いがある。

 オーラというのだろうか、気品というのだろうか、どこか心が落ち着くような特有の雰囲気を彼女達から感じ取れた。


「菜ノ花、絶対に触んなよ。あんたが一年奴隷みたいにして働いても買えないようなのだってあるんだから」

「マジで!」

「そやで、えぇ奴はなんぼお金出しても欲しい人は欲しいもん」

「縁、分かるんだ?」

「お祖母ちゃんの妹が、アンティークメチャ好きやねん。独身で、全財産注ぎ込んで集めてるわ」

「一つの理想だよね」


 ため息交じりに小夜さんが言う。

 アニメのフィギュアほど業が深いわけではないが、際限なくお金のかかる大概な趣味ではあるようだ。

 壊したら怖いので私は遠目に眺める程度にしておいたが、縁や千明さんは大分近寄って熱心に観賞していった。そしてみんな満足した頃合いでリビングに移動する。


「でも、小夜ちゃんは結婚してマンションまで買ったんだよね。人形集めはやめたんだ?」

「ええ、もう買ってません。今まで集めたのは処分できませんけど」

「なんでやめはったん? あぁうのって、底なし沼らしいですやん?」

「それはだって……」


 と、恥じらいながら二郎さんを見た。


「もっと大事な人ができたから……」


 うわぁ、ノロケだ。趣味をやめるほど惚れちゃいましたか。


「なのに二郎君は小夜ちゃんを理解しなかったんだよ。異常者を見る目ってなんだよ」


 と、見下げ果てたというような視線を向ける母。


「い、いやだって、ああいう人形って不気味じゃないですか」

「あ、まだそういうこと言うんですか?」


 千明さんがメガネに指を当てながら言う。


「うう……」


 うなだれる二郎さん。


「まぁ、この辺で許してやりなよ、小夜ちゃんも」

「そうですね、私を騙す片棒を担いだのも許しがたいですが、本人も十分懲りたみたいですし」

「そうそう、自分の趣味をオープンにしなかった小夜ちゃんも悪いんだし」

「そうですよねぇ……」


 小夜さんもうなだれた。


「ていうかさ、なんでこんな面倒なやり方したのさ、母さん」

「二郎君に自分の罪の重さを思い知らせないと。今回の場合、部屋を勝手に見たのより、その後しらばっくれた罪の方が重いんだよ。だから口を利かないよりキツいやり方で二郎君を罰したんだ。そして大成功」

「いや、他にやりようあったんじゃないの? 私、滅茶苦茶恥ずかしかったんだけど」

「まぁ、相変わらずお店の仕事覚えようとしないあんたへの罰ってのもあったからね、あの作戦は」

「なんじゃ、そりゃ!」


 なんちゅうタチの悪さだ。


「え~、そんでうちまで心に傷負うたんですよ~」

「縁ちゃんはもっと許しがたいよね。私に黙って、菜ノ花と二人で住もうと企てたんだから」

「えっ! バレてたっ!」

「私に隠しごとできると思う方がおかしい。縁ちゃんとうちの旦那が二人っきりで話し込んでるんだもん、怪しすぎるから旦那を詰問したんだよ」

「でもあん時、文香姐さんおらへんかったですやん」

「今の時代、お店には監視カメラってのがあるんだよ」

「しもたっ!」


 縁が整った顔をしかめた。

 はぁ……、ホント恐ろしい母上だよ。しかも父は余裕で裏切るし……。




 数日経って、二郎さんと小夜さんが花屋に現われた。ぴっとりとくっつき合って、実に仲睦まじい。


「もうすっかり仲直りですね」


 愛想の良い私が声をかける。


「小夜も許してくれたしね」

「お人形もいつでも好きなだけ見せたげてるの」

「不気味に見えるのもどうにか克服できそうだよ」


 あ、今でも不気味は不気味なんだ。


「お互いわだかまりがすっかりなくなって、前以上に仲良くなったよ。なぁ、小夜」

「ええ、二郎さん」


 甘ったるい空気をウザく感じるのは、独り者のひがみだろうか。


「文香さんには感謝してもしきれないよ」

「本当に温かい人よね」


 うーん、盛大な誤解をなさっている。しかしここで悪口を言うと、またあいつに察知されて罰ゲームを受けさせられかねない。黙っていよう。

 そうして二人は鉢物を買っていった。


「バラのブーケより店長の策略とはね……」


 いつの間にか私の隣にいた千明さんが不満げに呟いた。


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