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008 赤頭巾とお腹の中のヘンゼル

 いつだっただろう。ユーリに連れてこられた港の近くの大きな屋敷で、最初外で待っていたが暇になったので探検をした。綺麗な塔に階段がついていたので、上から登ったら景色がよく見えると思って登った。

 登りきると黒い大きな扉があった。ここを通らないと景色は見れない。ジェイクがノックすると、扉が開いた。黒い長い髪をした、綺麗な女性が出てきた。彼女は金色の腕輪や髪飾りをつけていて、お姫様みたいだとジェイクは思った。

「こんにちは。景色、ここから見える? 」

 ジェイクが言うと、女性は中に招き入れてくれた。

 大きな洋服ダンスに天蓋付の広いベッド、白いドレッサー。本当にお姫様の部屋だった。窓も大きい。けれど格子が嵌っていた。

 見てみると水平線がどこまでも見渡せた。とてもきれいで、ジェイクは満足した。

「どこから来たの? 」

 優しく女性が尋ねた。

「バスに乗って、ずっと西のほう。」

 ジェイクが指差すと、彼女もその方向を見た。

「引っ越してきたばかり。一階のダイナーのブルーベリーベーグルがとっても美味しい。」

 ふふっと女性が笑った。きれいな笑顔だった。

「素敵だね。食べてみたい。」

「おいでよ。安いんだよ。」

 すると彼女は悲しそうに首を横に振った。

「ここから外に出れないんだ。」

 きょとんと、ジェイクは扉に近づいた。開いた。

「出られるよ? どうして? 」

 女性が一緒に並んで、じっとそこを見る。

「なにも見えない。あなたには、何か見える? 」

 ジェイクは階段を見た。一歩踏み出そうとすると慌てたように抱きとめられた。

「危ない、落ちてしまう。」

しっかりとした石の階段があるのに彼女には見えていないのだろうか。

「あの人が来るまで、ここにいて。怒られないように私からもお願いするから。」

 嘘を言っている様に見えない。彼女には、ジェイクが登ってきた階段が見えないらしい。魔法がかかっているのだろう。

「平気だよ。見えなくても、階段があるんだもん。」

 ジェイクが言うと彼女は不思議そうに見る。

「これは幻覚の魔法だよ。本当はあるんだよ。」

 彼女はそっと指を伸ばす。階段に触れているはずなのに、彼女には触れていないように感じるらしい。

「行きたくないの? ここがいいの? 」

 ジェイクが言うと、彼女の眼から大粒の涙がこぼれた。真珠みたいに綺麗な涙で、ジェイクは見とれていた。

 チヨに初めて会った時のことだった。

 まどろんでジェイクが眼を覚ますと、その部屋の中にいた。白い不思議な服を着ている。自分の体を見ていると、何かが抱きついてきた。

「良かった。眼が覚めた。」

 チヨのふわふわの胸だった。

「ここ、ミスター・バロウズの? 」

「痛いところは? ひりひりするところはない? 」

 そうだ。グラスホッパーにケンカを売って、バロウズに助けられたのだ。彼が魔法の炎で焼いたので、傍目にはジェイクは火達磨になっているようにしかみえないだろう。首を絞められたので意識がなくなったが痛いところはない。

「大丈夫。ちょっと喉が渇いただけ。」

 ぎゅっとジェイクを抱きしめてチヨは安心したように溜息をついた。

「チヨと初めて会った時のこと思い出した。」

ジェイクに言われて、チヨは微笑んだ。

「私も覚えている。ノックが聞こえたからびっくりして開けたら、モーゼスじゃなくて小さな女の子がいたんだから。モーゼス以外の誰かが一人で来るなんて初めてだったから、驚いたな。でも、ブラッディー・フットマークの子供だと聞いて納得した。」

 ジェイクは、チヨはあの時よりも胸が大きくなった気がした。

「皆、噂している。ミスター・バロウズが今もチヨを閉じ込めているんだって。」

 チヨが噴出した。ふっふと可笑しくてたまらないというように、お腹を押さえて笑っている。

「そうか。そうだな。私がここでゴロゴロしていて外にあんまり行かないから。」

「親しい人は皆知ってるの? 」

「親しい人はあんまりいないんだ。みんな行方不明になったり、死んでしまったから。」

 ジェイクに微笑んだチヨの顔は少し悲しそうだった。

「私のこと、ジェイクは大体噂で知ってるだろうけど、ほとんど一緒だよ。私は魔法使いの家に生まれて、故郷では暮していけなくて親戚を頼って国を出たんだ。そこで魔法使いのファミリーを持つようになったけれど、失敗してしまった。」

  ジェイクはチヨの眼を見た。

「昔ミスター・バロウズを殺そうとしたって、聞いた。」

 チヨは苦笑いをした。

「私の部下がね。でも、部下の責任は私の責任だ。モーゼスは私にちゃんとけじめをつけさせてくれたよ。優秀なこたちはちゃんと他の組織でうまくやってるし、仇のある者も片付けた。でも、当時の私はそれだけじゃ自分が許せなかった。モーゼスを殺そうとしたなんて、どうしても許せなかったんだ。」

「好きだったから? 」

 ふふっとチヨが笑った。

「ジェイクは、恋をしたことある? 」

「……少し。」

「私がモーゼスに恋をしたのも、ジェイクくらいかな。その時は本当にまだまだ子供で、生意気なだけの小娘だった。だから、同じ魔法使いとして見てもらいたくて、隣に立ちたくて仕方なかったんだ。あの後片付け終わって死のうとした私をここに引っ張り込んでくれた時は、同情だと思ったんだ。昔から面倒を見てきた弟分みたいな私を、哀れんでくれてたんだろうって。」

 組んだ手に目線を落として、チヨは溜息をついた。

「私はそれでも、ここに来てから死ねなかった。モーゼスに哀れまれるのも、離れるのも同じくらい嫌で、ずーっとここでぐちぐち悩んでいたんだ。ジェイクに見透かされて、自分でも気付いていなかったことが恥ずかしくて、泣いてしまった。」

 ジェイクはチヨの胸に顔を押し付けてみた。柔らかくて癒される。

 こんこんっと部屋をノックする音がした。チヨが立ち上がると扉の前に仁王立ちになった。開いた瞬間入ってきた人物に平手打ちをした。いい音が部屋中に響いた。

「女の子の服を焼くなんて。」

 チヨが叱りつけたのは、この港一帯を仕切る魔法使い、バロウズだった。明るい金髪に左眼の眼帯がよく目立つ。顔は怖いが、怒らせなければ気のいい男なので部下にも慕われている。軍隊にでもいたのかと思うほどたくましい。

「上着は残っていたから見えてねぇぞ。」

 そんな彼が背中の見えるドレスを着た、自分よりも背の低い、東洋人の美女に頬に平手打ちを食らう姿は、多分部下でも見たことがないだろう。

「そういう問題じゃない。もっと他に方法があっただろう。」

 さっきまで惚気ていたが、締めるところは締める。チヨは流石だと思った。

 ジェイクはベッドから降りてきた。少し焦げたが自分のカバンと無傷の上着を見つけた。ナイフはベルトの部分が焼け焦げていた。

「赤頭巾、お前らしくないヘマをやったな。」

 のしのし歩いてきて差し出したのはサイダーの瓶だった。バロウズが指ではじくとフタが飛んだ。どんな指をしているのだろう。受け取るとまだ冷たかった。

「私を連れて帰って大丈夫なの? 」

「店の天井まで焦がしながら燃えた小娘が生きてるとは思ってねぇだろ。」

「そんな火力で焼いたら熱いだろ。」

 再びチヨの平手がバロウズの頬に炸裂した。今度は少し火花が見えた。避けられるだろうに何故避けないのだろう。

「思いっきり焼いてくれたけど、平気。」

 サイダーを飲むと喉の渇きが消えた。

 バロウズはチヨの部屋のソファーに座ると足を組んだ。木製の女の子の好みそうなデザインのソファーがこの上なく似合わなかった。

「グラスホッパーを毛嫌いしてるのはユーリだけじゃなかったか。」

 ジェイクはベッドに腰掛けた。

「兄さんのことを考えると、グラスホッパーが私の周りにいるのが許せなくなった。」

 正直に言うと、チヨが隣に座って抱きしめてくれた。

「すぐ、いなくなるんだよね? 」

 尋ねると、バロウズはうなじを撫でて言った。

「どうだかな。先にアインがお前を逃がすかもしれん。」

「いやだ。」

 思ったことが口を付いて出た。ユーリ以外に、こんなにはっきり気持ちを言ってしまうのは久しぶりで自分でも驚いた。

「だってここが私の家なのに。やだよ。」

「騒ぎが収まるまでの間だろ。一生戻れねぇわけじゃなし。」

 ジェイクは首を横に振った。

「だったら離れる必要ないじゃない。一度出てしまったら、また戻ってこれることばかりじゃないって、私でも知ってるよ。」

 母さんも戻ってくると言ったのに、結局入院したままだった。ユーリもだ。行ってきますと出て行って、帰ってこなくて、代わりにCWUが来た。

「ここでなにが起きるの? 」

 渋い顔をバロウズはした。

 言えないほどの大事なのだ。

 ふと、扉の向こうでノックがした。殴りつけるのに近かった。

「お前ら親子には本当通用しねぇな。」

 溜息をついて開けるとねじ込まれたのはトカレフだった。バロウズの胸倉を掴んで銃口を付きつけ入ってきたユーリは、今にも引き金を引きそうな顔をしていた。

「お前の娘を助けてやったのにこれか。」

「俺がレイマリアの服を道端で焼いたらどう思う。」

「殺すぞ。」

 殴り合いになりそうだったのでチヨが止めに入る。ユーリはバロウズを突き飛ばし、ジェイクの頭を両手で掴んだ。

「痛むところは? 吐き気はするか? 」

 首を横に振ると、ほっとした。

 それを見てジェイクは思わずユーリの服を掴んで、泣いた。後から涙がこぼれて、声が抑えられなかった。

 怒られたほうがマシだった。ユーリの手が背中に回って、肩を優しく叩いた。

「バロウズ、屋敷中を血の足跡まみれにしたくなかったら先に死ね。」

「その小娘が鼻水垂らして泣いているのは俺のせいだと言いたいのか。」

 ジェイクは首を横に振った。横に振っても泣き声ばかりで声が出なかった。

「ユーリ、グラスホッパーとの間になにがあったんだ? 」

 チヨが言うとユーリは不機嫌そうに応えた。

「俺の息子をグラスホッパーが家畜扱いして、CWUが撃ち殺した。何度も言わせんな。」

「違う。」

 チヨはきっぱり言った。

「息子の話は聞いた。ジェイクに、何をしたんだ? 」

 ジェイクは眼をぱちくりさせた。ゆっくりユーリを見ると、チヨを睨みつけていた。

「この前、ニコライが来て私も聞いた。その時からずっとひっかかっていた、もしかしたらその前からも。」

「何が言いたいレイマリア。」

 低い声でユーリが言った。自分に向けられたわけではないのに、ジェイクもわずかに鳥肌が立った。

「ジェイクの傷だ。一番ひどいのは左側頭部のだ。」

 ジェイクはますますわけがわからないという顔をした。ユーリがジェイクを抱えるようにして連れ出そうとしたが、バロウズが掴んだ。

「離せ。」

「喋ってから帰れ。俺も気になる。」

 ジェイクは自分の頭を撫でた。痕もなければ、髪の毛の途切れた場所もない。けれど、ラクシュミーが撫でていたのを思い出した。

 ジェイコブが撃ちぬかれたはずの場所を、ラクシュミーは何度も何度も撫でていた。

「この子の身体は古い傷が幾重にも残っている。歳に見合わない怪我だらけだ。それらが全部きれいに跡形もなく消えているけれど、わずかに痕跡が、私には見える。一番大きな怪我は頭の怪我だ。軍用のライフルで撃ち抜かれて頭蓋骨まで損壊している。」

「黙れレイマリア。」

 ユーリの声が部屋に響いた。

 ジェイクは自分の手を見る。なにもないのに、真っ赤に汚れているように見える。

「終わった話をごちゃごちゃ言うな。」

「終わっていないから、ジェイクは苦しんでいる。この子の傷を覆い隠して塞いで、ちゃんと治っていないから、ジェイクは混乱しているんじゃないのか。」

 チヨがユーリの肩を掴んだ。

「しっかりしてくれ。この子の親はあなただろ。この子に闘う術を教えないと、ジェイクは生きていけない。」

 ユーリがチヨの手を振り払った。

 溜息を一つつき、ジェイクを見る。ジェイクは瞬きもせずユーリを見つめた。眼の奥に、ユーリが言えなかったことが見えた。

 そうだ。あんなにも生々しくはっきり覚えている。双子だから、魂がつながっていたなんて嘘だ。

 自分だったからだ。

 あの虐殺も、拷問も、全部何もかも自分のものだからだ。

「私は……兄さん? 」

 チヨが納得した顔をした。

「私がジャイコブ・マゴットだった? 」

 ユーリが渋い顔をした。見られたくないものを見られたときの顔だ。

「おい、冗談だろ。」

 バロウズが鼻で笑うが、彼もそう言いながら、ジェイクを信じられないような眼で見る。

「成長期のガキの性別を変える? どんな魔法使いだ。ありえねぇ。」

 ジェイクはアインの手を思い出した。アインも気遣うようにジェイクの頭を何度も撫でた。

「アインも知ってた。」

 ずっと黙っていた。

 ユーリが面倒くさそうにため息をついた。

「どっちを信じるレイマリア。魔法使いの常識か、お前の目に見えているものか。」

「どちらと言われても、中々返答に困る。」

 レイマリアがそっと手を伸ばしてジェイクの頬に触れた。

「だが、もし私に見えているものがグラスホッパーがしでかしたことなら、私も止まってはいられない。」

 痛々しげにジェイクの頬を撫でて深く瞼を閉じたチヨの、再び開いた目に宿ったのは怒りだった。

「真実をありがとう、ユーリ。」

 舌打ちをしてユーリはジェイクをひっぱった。扉を乱暴に開けて、バロウズと自分たちにしか見えない階段を下っていく。

 底が暗い階段を下っていくのは、御伽噺に出てくる恋人を追って黄泉の国へおりていく男の話を思い出させた。

 暗い深い穴のような部屋からジェイクは空を見上げた。

 助けに行くと言った言葉を信じて、ずっと待っていた。

「俺はお前に忘れてほしかった。」

 ユーリがぽつりと言った。

「お前を手放したほうがいいんじゃないかと思ったことを。なかったことにしたかった。魔法使いに関わらない生き方ができるんじゃないかと、迷った。」

 こつこつとユーリとジェイクの靴音に混じり、低い声でユーリは喋った。

「やり直したかった。アインは無駄だと思ってた。あいつは、俺がなにをやっても別の名前で呼んでも、ちっとも変わってないし、違う生き方をさせるのは無理だと言った。」

 ジェイクはユーリの手を掴んだ。

「そうだよ。私は変わらない。今も昔も、父さんのことが大好きだ。私は、ウルフヘッドよりもグラスホッパーよりも、父さんがいなくなることのほうがずっと怖かったよ。」

 ユーリの手が繋ぎ返す。

「私は本当にジェイコブだったの? ジェイコブのときは完璧に男だったけど、今は女だし。」

 姿を目くらましたり、何かを身体に被せて見せかけることはできても、完全に形を変形させるのは、長い間修行を積んだ魔法使いにしかできない。魔法をかけられるものも、修行と力が必要だ。だから、姿を変えた魔法使いは、二度と人間に戻られないことの方が多い。

「俺の血はな、最初は全員男になる。生き延びるためにそういう呪いが血に混じっている。」

「じゃあ、どうして私は、女になったの? 」

「恋をしたからだろ。」

 ジェイクが、眉間にしわをよせた。

「恋? そんなものでこんなすごい呪いがとけるの? 」

 御伽噺じゃあるまいしと、ジェイクはユーリが嘘を付いていると思った。

「本能が強い血を残せる相手を選ぶ。その相手に沿った条件で子供を産めるようにする。それは俗に恋と言わないか? 」

「……じゃあ、私たちって強い人にしか恋をしないの? 変だよ。そんなの。」

「さぁな。少なくとも、俺は年長者にそう教えられた。俺がそうだった。」

 ジェイクは少し考えた。

「それって、自分で相手は分かるの? この人に恋してるって。」

 ふっとユーリが笑った。

「ジャックリーン、お前はその相手が誰だかわからないのか? 」

「分からないわけじゃないけど……。」

 ジェイクは壁に手をついて言った。

「私、その人を殺してしまった。」

 ユーリの足が止まった。

「殺している。何度も、胸を刺したから。」

 ジェイクは眼に込み上げた涙を拭いた。

 胸の底にあったものが出てきたとき、ジェイクの眼には一番思い出したくないけれど、離したくないことがあった。

 無意識にずっと気付いていたのに、ずっと知らないふりをしていた。


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