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002 赤頭巾とアパートの住人たち

 アパートに戻ったときに、雨が降ってきた。さっきとは違い、雲が厚く張って大粒の雨が降り注ぐ。

一階のダイナーは準備中の看板が下がり、誰もいなかった。ダイナーの窓に映った自分を見て、少し立ち止まった。三つ編みを持ってみたり、スカートのすそを少し握って、くるっと回ってみたりした。こんなふわふわの服は持っていないので、いつもの自分と違う気がした。

 ジェイクはダイナーのガラス越しに、背後に誰かが立っているのを見た。

 見られた。恥ずかしさで、頭突きでダイナーのガラスを割りたい衝動に駆られた。それとも、背後に立っている人物の頭を強打して記憶を消そうか。悩みながらジェイクは、立っている人物を確認した。

 このアパートの住人ではない。白いアイロンがけされたシャツに薄い色の上着。クセのある黒檀のような色の髪をしてサングラスをかけている。顔のほとんどが隠れているのに、すっと伸びた鼻筋や細い顎から、綺麗な顔立ちだ。

彼のそばにはスーツを着た男が二人いた。一人はスキンヘッドで天井に頭が付きそうなほど大きく、もう一人は二人よりも小柄な、赤毛にそばかすのある男だ。二人ともやはりサングラスをかけていた。

「いらっしゃい、ミスター・ウォーカー。ごきげんいかが? 」

 もういっそやけになって、スカートの端をつまんで肩をすくめた。

 サングラスを外してポケットにかけると、やはり出てきたのは美しい顔だった。二重で睫毛が長い、眼と雪のように白い肌は男なのに違和感なく美しいと思った。ふっと眼を細めて笑った。

「ごきげんよう、ミス・ジャックリーン。」

ジェイクのカバンと本を下げていない手を取り、キスをした。

「あー、ジェイク、そういう趣味だったか? 似合っているが。」

 肩をすくめていわれた。

「ミセス・ブランカからもらった。ワインも渡した。」

 この街の魔法使いの一人、アインはここで一番大きなホテルを持っている。まだ若いが彼の名を知らない魔法使いはいない。ユーリが殺し屋として魔法使いの組織にいた頃の弟子で、ジェイクのことも妹のように可愛がっている。今では祖父の名前のウォーカーを名乗っているが、ジェイクとユーリはアインと昔から変わらない呼び方をする。

 ジェイクはニシンのパイを見せた。

「ちゃんと食べてる? また痩せてない? アインは朝ごはん食べたほうがいいよ。パイ、切り分けるから持って帰って。」

「ちゃんと食べている。痩せてもいない。朝は……努力はする。」

 律儀に応えたアインに、後ろで赤毛のサングラスの男がふっと吹き出して顔を背けた。スキンヘッドの口角は少しぴくっと上がった。

「悪いが、俺にはミセス・ブランカの手作りパイを食べる勇気はないんだ。ジェイクとあの人の胃袋におさめてくれ。」

 アパートの前に車が停まった。大きなハマーで二十人は乗れそうだ。

「もしかして、仕事の依頼? 」

 中から傘をさした黒いスーツの老人が出てきて、アインに差し出した。

「断られた。また来る。」

 アインがわざわざ来たのにそれを顎で返せるのは、この街ではユーリくらいなものだ。

「今度はこっちから行くよ。メールか電話ちょうだい。」

 アインがぽんっとジェイクの頭をなでた。

「あの人にもいい秘書が出来た。」

笑ってアパートから出て行った。雨の中車に乗り込むアインを見てそんな立派なものじゃないと思った。

 あの狼のマスクの男のことを、アインはもう知っているのだろうか。他の魔法使い達はどうなのだろうか、考えながら階段を登って自分の部屋についた。

「ただいま。」

 扉をあけてジェイクが言うと気の抜けた返事がシャワーにかき消されながら聞こえた。

「パイもらった。ミセス・ブランカから。」

ジェイクは台所を覗き、机の上に置かれた花束を見た。綺麗な白い、高そうな百合だ。

「これどうしたの? 」

 ユーリが髪の毛を拭きながら出てきて、シャツを着た。それからジェイクを見て固まった。

「ミセス・ブランカがくれたの。」

 ユーリはジェイクの三つ編みをつまんでしげしげ見た。ジェイクはユーリに花束を突き出す。

「拾った。」

 こんな綺麗な花束が落ちているものなんだろうか。ユーリが質問に対して適当なことをいう時は、これ以上聞くなという合図だった。

「母さんの好きな花だ。本当に拾ったの? 母さんの誕生日明日だよ。」

 ユーリは冷蔵庫から水を取り出して飲んだ。あくびを一回する。

「アイン、追い返しちゃったの? せっかく来てくれたのに。」

 まだいたのかと言いたげな顔でユーリは言った。

「あのな、ボス自らこんなボロアパートにわざわざ来るとかやってるから舐められんだよ。」

 舐めているのはユーリだけだ。他の魔法使いは皆アインに敬意を払っている。シャワーを浴びるから帰れという、他の誰かがやったら確実にそのまま浴槽に沈められるようなことも、ユーリは大目に見られる。

「寝る。それはお前の好きにしろ。」

 ジェイクはなるべく音を立てないように、棚の中を探した。

 母さんがいなくなってからしまいっぱなしだった、紫の花瓶を出した。花を綺麗に飾り、引き出しから絵葉書を取り出した。

 母さんが集めるのが趣味だった。今はジェイクが絵葉を集めている。最近増えた異国の教会の写真を見ながら、ジェイクは明日のケーキはどこで買ってこようかと考えた。

 結局ユーリに相談して決めることにし、ベランダから洗濯ものを取り込んでいると、大きなものが落ちる音がした。二階の部屋だった。ジェイクが上を見ると、わずかにカーテンがひらひら動く窓が見えた。

 部屋を出て二階に駆け上がり、音がしたと思われる部屋の扉をノックした。

「ウー、いる? 」

 部屋の中で物音がする。扉が開き、やせ細った女の顔が出てきた。髪の毛は短く、頬もこけている。薄いバスローブのようなものを着ているが、すそから見える手足はやはり細い。

「大丈夫? 怪我、していない? 」

 女は無言で部屋にジェイクを招きいれた。崩れた本をジェイクは見る。女は疲れたようにベッドに座った。

 ウーがここに来たのは一年前だった。初めて会ったとき、ウーはもう少し肉のついた、少なくとも女性に見える身体つきだった。顔も一年で十才はふけてしまった。ユーリもジェイクも、魔法使いは全員、やっかいな呪いをもらっていると気づいた。誰にも解くことができなかったので、死に場所をここに決めたんだろうと、誰かが言った。

「少し立ちくらみをしてしまっただけだよ。」

 ウーは枯れた声で言った。ジェイクは本を適当に積み上げながら、壁に貼られた写真を見た。黒いスーツを着た男たちの写真で、場所はさまざまだ。よく写っているのはヘーゼルグリーンの目をした男だ。笑い方が狡猾そうで、ジェイクは好きではないがなかなかの男前だ。その写真の中には、ウーの顔は一つもない。ジェイクは不自然に思いながら本を重ねた。

 甘酸っぱい匂いがしたので振り返ると、ウーがレモネードを出してくれた。

「今日はずいぶん可愛らしい。」

 ジェイクは着替えずに来たことを一瞬後悔したが、もう半分やけになった気分で、レモネードをもらうことにした。

 ウーが椅子に腰掛け、ジェイクはベッドに座って写真を見ながら言った。

「この人たちはウーの家族? 」

ウーは首を横に振った。ジェイクは、またウーはやつれたと思った。

「最近、ご飯食べてる? 」

 ウーがふっと笑った。ジェイクは何がおもしろいのかと、首を傾げる。

「昔、私がよくそう言った男がいた。今は私が言われる番になってしまったのかと、思って。」

「恋人? 」

 ジェイクが尋ねると、ウーは噴出した。背中を丸めるほど笑っている。ジェイクは笑っているウーを眺めながら、彼女が震える手でレモネードのコップを机の上に置くのを見た。

「それは、どういう笑い? 」

 笑い疲れてウーはむくりと起き上がった。

「ありえないと思ってね。」

「どうして? 心配していたのなら、少しは好きな人だったんでしょう? 」

 ウーはくすくす笑いながら、半分しか飲んでいないレモネードのコップを流し台に持って行く。

「その男に金時計を贈ったことがある。昇進祝いにシリアルナンバーの入った、懐中時計を。どうなったと思う? 」

 ウーは楽しいことが起きたように言った。

「翌日には別の人間に譲っていた。」

 それは笑うことではなく、悲しむことではないのかと、ジェイクは思うのだが、ウーは笑っていた。

「ウーはその時も笑ってた? 」

 ジェイクの問いかけにウーはベッドに腰掛けて、疲れたように笑った。

「そうだな、私はどんな顔をしていたのだろう。」

 ウーの細い首筋に血管が浮いて見える。足をぶらぶらさせて、ウーが笑った。

「あの日私は家族も仕事も失くして、自分の寿命が後十年くらいだろうということを知って、ひどく疲れていた。なけなしの期待を裏切られた直後で、死ぬ元気もなかった。」

 ジェイクは空になったレモネードのコップを流し台に持っていった。

「ご馳走様。ありがとう。」

「どういたしまして。」

 ウーの冷たい手がコップを受け取った。それは病床の母とよく似た指先だった。

「何かあったら、今日みたいに本を落としてね。」

 ジェイクが言うと、ウーは微笑んだ。

「携帯電話くらい持ってるよ。」

 そう言ってウーはジェイクの手を取ると、メモ用紙をちぎった。指でなぞるだけで文字が書き込まれた。

「覚えたら吹き消して。」

 別のメモ紙に書かれた蝶の絵、蝋燭の火を消すようにふっと息を書けると、蝶はひらりと飛んだかと思うと消えてなくなった。

 部屋に戻りながら、ジェイクは窓の外を見た。雨が弱くなり、青空が遠くで見えた。早くこの厚い雲も流れて行ってしまうといいのにと思った。



 翌朝、ジェイクはユーリのためにサンドイッチを作った。中身は夕食の残りのサラダと、ゆで卵だ。付けっぱなしのラジオから芸能人の話題から陰惨なニュースまで様々な情報が流れる。ジェイクはつまんで調節した。軽快なDJの声が陰惨なニュースの詳細を伝える。

「CWUがまた情報規制をしたか。」

ユーリはトーストをかじったまま作業着に着替えていた。いつもの工場の服とは違う。

 政府機関の一つ、対魔法使い組織CWUは今まで存在した公の組織の中では、魔法使い対策に関して一番成果をあげている組織だ。過激過ぎて、報道すれば一般市民の顰蹙を買うような仕事の仕方をしている。そのため最小限に情報を抑える。魔法使い組織が摘発されました、で終わるニュースが、実は一般市民も巻き込まれ死傷者多数を出していることがもみ消されている。

今まで存在した中で一番タチの悪い殺し屋集団だとユーリは評した。

「いつもと服が違う。」

 カバンにサンドイッチを入れてジェイクは言った。

「今日は炭鉱なんだよ。」

「ずいぶん前に人件費削減で辞めさせられたのに? 」

 ユーリはジェイクが持っていたコーヒーで、トーストを飲み込んだ。

「一人怪我して出れなくなったんだ。」

「そんなとこ行かないでよ。」

 危ない仕事はファミラもそうだが、ユーリは人が相手なら負けない。安全管理のなっていない場所で重労働させられるほうが不安だ。

「少しだけだ。夕方までには終わる。」

 ユーリはコーヒーを飲み終わると、ジェイクが持っているカバンを掴んだ。

「母さんの誕生日なのに。嫌な感じ。」

「心配するな。怪我したのだって、こけた場所にたまたまツルハシがあったんだ。炭鉱事故なんてめったにおきないんだよ。」

 ユーリはジェイクの頭を何度もなでた。ジェイクは不機嫌そうに頬を膨らませたが、ユーリはその頬を軽くこぶしで押して出て行ってしまった。

 日雇いのトム・ノートンという名前で呼ばれるユーリのほうが、殺し屋時代の名前で呼ばれるよりも笑っている。ファミラの仕事をしている時はいつも不機嫌そうだし、仕事を頼まれても嫌そうに眉間に皺を寄せる。

 はりきって出かけるのはいつも工場や作業現場に行く時だけだ。ジェイクもそれには賛成なのだが、炭鉱事故で十人死んでいることを知っている場所で働くのはやめて欲しかった。

 ジェイクも赤い上着を羽織るとカバンを肩にかけた。ナイフを隠すにはこの上着が一番だ。家から出て階段を下り、一階のダイナーをのぞくと奇妙なものが見えた。大家のメッシャーのことではない。彼は羊だが毎日シャンプーをするのでふわふわだし、つぶらな瞳に思わずふらりと喫茶店に入ってしまう観光客もいるし、羊喫茶と店主の望まないあだ名までつけられているほど、このダイナーの顔だ。

 ジェイクの目の先には、昨日の狼マスクがいた。カウンターに座ったなじみの客たちと談笑しながらコーヒーを入れている。メッシャーがジェイクに気づいて扉を開けた。

「いらっしゃいジェイク。」

 カウンターの向こうにいた料理長兼店主のゲルニカがこっちを睨んだ。別に睨んだわけではないのだろうが、黒髪に切れ長の目をした彼は目つきが悪いのだ。狼もこっちを向いた。

「ゲルニカがついにバリスタを雇ったよ。昨日から来てくれているアル。」

 ジェイクが見ていると狼が近づいてきた。

「今日もどこかいくのかい? 」

 ゲルニカとメッシャーがジェイクとアルを見る。

「お前ら知り合いか? 」

「昨日、本屋で本拾ってもらった。」

 ジェイクがいうと、メッシャーが笑った。

「アルは女の子と仲良くなるのが得意だね。」

「頼むから女と金を持ち逃げするなよ。」

 ゲルニカはどうでもよさそうに言い、メッシャーはにこにこ微笑んだ。

「どれにする? 」

 アルが残ったサンドイッチを指した。ジェイクはブルーベリーベーグルを取った。

「いつもそれだね。」

「美味しい、眼の疲れがとれるって。それに、この店でも一番人気でしょう。」

 会計を済ませて受け取った瞬間、アルの手を見た。硬い武器を持ちなれた、大きな手だ。アインも似たような手をしている。

「このベーグルはここで包装していないから毛は入らないよ。」

 アルに言われてジェイクは自分が失礼なことをしていたと気付いた。

「え、あ、違う。大きな手だなって。」

 メッサーがふむっと微笑んだ。ゲルニカも笑う。

「レッドフード、狼にそりゃ死亡フラグだろ。」

 からかわれてジェイクはフードを被った。赤面した顔を見られないように扉から出ようとすると、カウンターにいたはずのアルが前にいて、扉を開けた。

「行ってらっしゃい。」

 機械で捻じ曲げられた低い音声なのに、優しい声だと思った。

「……行ってきます。」

 扉をくぐってちらりと見ると、店から出て手を振っている。相変らず不気味なマスクなのに、その下で優しく微笑んでいる顔が想像できた。



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