おとこおんな
ゆきちゃんは、大学に入って一番初めにできた友達だ。直感で、「ああ、この子と仲良くなりたいな」って、そう思った。
私たちが出会った入学式の日、ゆきちゃんと私は学生番号が前後だったから、座っている席がなんと隣だった。私はそれを運命の引き合わせだと思ったけれど、よく考えたら右隣に座っていた小太りの男子には何も運命的なものを感じなかったから、本当はただの偶然かもしれない。
新一年生はみんな氏名を呼ばれ、「はい」と返事をして立ち上がらなくてはならなかった。私の順番が回ってくるのを待っていると、緊張で頭がくらくらしてきた。呼吸困難になってきた。
「ちょっと、あなた大丈夫? 気分悪いの? 」
あのとき、右隣の男子でなく、ゆきちゃんが声を掛けてくれたことを本当に良かったと思っている。だってこの時がきっかけで私達は仲良くなったんだもの。
私は薄笑いし、「大丈夫」と返事した。
でも実は今にも倒れそうで、ぼんやりした眼で見たから余計にそう思ったのかもしれないけれど、ゆきちゃんはとても綺麗だった。形の良い眉に、唇がつやつやして色っぽくて、眼が、そう、眼がとてもキラキラしていた。
入学式に参加している学生は大抵そうだったけれど、ゆきちゃんも黒のスーツを着ていて、膝丈のスカートに、ヒールの高い靴を履いていた。綺麗な脚は品よく並べられ、ネイルアートの技術力が窺える両手はきちんと膝上に重ねられていた。
やはり大学は高校とは違うな、こんなにきれいで大人っぽい子がいるなんて。私はそう思い、ゆきちゃんの名前が呼ばれるのを待った。
「――松本幸男」
「はい! 」
私は呆気にとられて、気分の悪さも一気に吹き飛んだ。けれど代わりにびっくりして腰が抜けてしまった。
そう、松本幸男と呼ばれて立ち上がったのは、外見は立派なキレイ女子であるゆきちゃんだったのだ。
「村上遥子。……村上遥子? 」
あの時、ゆきちゃんは、顔を真っ青にして腰を抜かしていた私の代わりに返事をしてくれた。そうして立ち上がるのに手を貸してくれたのだ。思えばゆきちゃんは最初から優しかったんだ。
***
「だから、男には興味がないんだって。他行ってくれない。今、あたしたちデート中なんだけど。見てわかんない?」
「こっちの彼女も一緒でいいからさ、カラオケ行こうよ。言っとくけど俺らメッチャ上手いよ」
「じゃあ路上ライブでもしてみなさい。そしたら見てやるわよ」
「え〜、密室できみのためだけに歌いたいんだけどなー」
「は!? 密室!? しかも私は眼中になし!?」
私が激しく動揺していると、ゆきちゃんが私の手をとった。私は頷き、走った。私を引っ張ってくれるこの人は、ヒールの高いパンプスを履いているくせに、スニーカーの私よりも早く走る。
今日のゆきちゃんの服装は夏らしく爽やかな青色だ。ペイズリー柄のワンピースが、すらりとした身体によく似合っている。
発車寸前のバスに飛び乗って、しつこいナンパ男たちを撒いた。彼らはバスにうらめしそうな目を向ける。余程ゆきちゃんが惜しかったのだろう。
「あら遥子、座らないの? あたしのお尻は二人掛けの椅子に一人で座るほど、でかくないわよ。失礼しちゃう 」
ゆきちゃんは既に椅子に腰掛けていて、鞄を膝の上に置いて隣を開けてくれていた。私は冗談を言う彼の隣に笑顔で座った。初めから、ゆきちゃんの隣は私の席と決まっている。
「折角のデートが、邪魔されちゃったわね」
ゆきちゃんは首を傾げ、下から私を覗き込んで悲しそうな顔をした。
「ううん、別にいいよ」
私は笑顔で応える。
すると彼は「遥子……」と目を潤ませる。彼は感激屋なのだ。
「別にいいよ、ゆきちゃんがナンパされるのは、いつものことだしね」
「遥子……」
ゆきちゃんは正真正銘、男だ。以前、彼の家に遊びに行ったときに、彼のお母さんから赤ちゃんの頃のアレがついた写真を見せてもらったから間違いない。しかし、今の彼にもまだついているのかどうかは定かでないのだが……。私はさり気なく彼の股の辺りを目で探ったが、膝上の鞄が邪魔してアレの有無が判明しない。
「ごめんね、男の私がナンパされるのに遥子がされないなんて、きっと悲しいよね。うう、こんな美貌に生まれた自分が憎いっ」
彼は目に涙を浮かべて唇を噛む。確かに、私なんか比べものにならないほど、ゆきちゃんは女性らしく綺麗だと思う。女としては、かなり複雑な心境だ。
「ゆきちゃん、調子にのらないの」
そう言って軽く小突くと、彼は実に表情豊かに笑い、「遥子の方がかわいいのにね」と耳打ちした。
私たちは次のバス停で降りて、近くのカフェに入った。そしてそれぞれ違うケーキセットを注文した。そうすれば二つも味見できるからだ。
すぐ横の大きな窓からは、車や人の往来がよく見えた。おそらく、外からも中の様子がよく見えていることだろう。もっと落ち着ける席にすればよかった。
ケーキセットが運ばれてきた。二人一緒に出すところは気が利いている。ゆきちゃんは、にっこり微笑み、長い手指を揃えて「いただきます」と言って食べた。
「おいしい! ほら、食べてごらん。遥子にもあげる」
私は口を開けた。
「えっ?」彼は頬を赤らめる。「もしかしてアーンするの? やだ、なにこの子、ウブそうな顔して意外に積極的なのね!」
「えっ?」
今度は私が赤面する番だ。びっくりして口は閉ざしてしまったが、ゆきちゃんは構わずフォークにケーキを乗せ、私の口元に寄せた。
「はい、アーン」
ゆきちゃんは私の口へと十分気をつけてフォークを運ぶ。そういうところが好き。
「うん、おいしーい」
私たちは周りからどのように見られているのだろう。例えば、そこの買い物袋をたくさん持たされているオジサン。奥さんの買い物が終わるのを待つ暇つぶしに、さっきからこっちをじろじろ眺めている。あのオジサンには、私たちが恋人同士に見えている?
私がオジサンにガンをつけていると、ゆきちゃんが、いかにも深刻そうに溜息を漏らした。
「ねえ、そろそろ私、遥子の両親に会いに行った方がいいんじゃないかな」
「え、なんで? 」
「だって、ちゃんと挨拶しときたいし」
笑ってしまった。
「ゆきちゃんて、ふざけた恰好してるくせにマジメだよね」
「なんですって? 」
「なんでもないです。でも、べつに気にしなくていいと思うけど」
「そうは問屋が卸さないのよ」
「まあ、どっちでもいいけど」
私はミルクティを啜った。ゆきちゃんは相変わらず深刻な面持ちだ。
「もうっ、なに着て行ったらいいのかしら。私、男物のスーツなんて持ってないわよ。男でもいけるっていったら……、あ、デニムでいいのかしら? でもカジュアルすぎよね、やっぱりスーツ買うべき? 」
スーツはマジメすぎると思う。最後の一口ほど残っていたケーキを味わって食べてから、「いつも通りでいいよ」と助言をしてあげた。いつも通りでいいのだ。いつも通りがいいのだよ、きっと。
その夜、実家に、「紹介したい人がいるから、今度の土曜は空けておいて」と電話をした。お父さんは喜んでいた。けれどお母さんは寂しがっていた。なにも嫁に行くわけじゃないのに。
実家に帰る日の朝、私は特におしゃれするわけでもなく、着馴れたTシャツにスカートをはいていた。お洒落なゆきちゃんは、きっと、いつも以上に気合を入れて着飾って来ることだろう。フリルのいっぱいついたドレスかも。切羽詰まった状況のあの男ならやりかねない。
バス停でゆきちゃんを待っていると、突然スラリとした長身の男性が肩を叩いた。私は驚いて後ずさり、その人を見上げた。
その人は紺のスーツを着て、かわいいチェック柄のネクタイをしている。おしゃれな眼鏡の向こうに見える瞳は澄んでいて、ゆきちゃんという彼氏がいながら不覚にも、少しときめいてしまった。
その人はいやにもじもじし、私から目をそらせた。長いまつげ。整った眉。肌のきめも細かい。男の人でこんなに綺麗な人には始めて会った。
「なんか、恥ずかしい」
その人の頬は赤くなっていた。
「あんまりじろじろ見ないでよね」
「……え」
「もう、遥子ったらあっ」
もじもじしながらその人は私の目をふさいだ。暗闇の中、私はゆきちゃんが男装をしてきたことを悟った。
高校を卒業して以来の男装だということだ。今日は化粧もしていないし、ベンチに腰掛けたときには、何故だか股を開いている。
「髪の毛バッサリ切ったんだね。もったいないな」
「あ、あれヅラよヅラ!」
新たな事実発覚。
「……スカートはいてよかったのに」
彼はいつもスカートをはいているとき、きちんと脚をそろえている。この脚は、わざと男らしくしようとしているのか、それとも無意識なのだろうか。
「そうはいかないの。遥子の親に会うんだから、ちゃんとしないと!」
「かっこいい。ゆきちゃんって実はかっこよかったんだね」
罪の意識がこんなことを言わせる。男装した彼に直ぐに気づけなかったなんて。しかも別人だと思ってときめいたなんて。
ゆきちゃんは、「当たり前よ」と鼻で笑った。
しかしその強気はどこへ行ったのか。実家に近づくにつれて彼は怖気づいていた。歩調は遅くなり、玄関前では何十回も深呼吸をして、あと一回と言うのを無理矢理、中に入らせた。お父さんが温かい笑顔で迎えてくれたので、それでゆきちゃんの緊張も少しほどけたみたいだった。
「ねえ、お母さんは? 」
「ああ、庭でゴルフの練習してる。遥子が彼氏連れてくるって言うから、いじけてるんだね」
お父さんは私たちにお茶を淹れてくれた。お父さんとゆきちゃんはきちんと正座をしていたけれど、私は畳の上に脚を伸ばし、壁にもたれ掛かって座った。
「だけど、あれだよね。よくテレビドラマで父親が、娘に彼氏ができてショック受けるけど、うちも同じだったんだね。やっぱり性はごまかせないねえ」
お父さんはさらっと言った。ゆきちゃんは最初聞き流し、数秒後に「はい? 」と疑問の声を上げた。
「ん? 遥子、幸男さんに言っていなかったの? 」
「うん。ねえ、ゆきちゃん、うちのお父さん、男に見える? 」
「え、この方? 女の方ではなくて、お父様なの?」
ゆきちゃんったら、珍しく混乱している。
お母さんが部屋に入ってきた。ゆきちゃんは顔を向け、凍りついた。
「いらっしゃい、遥子の母です。ふーっ、いい汗かいた。お父さん、水ちょうだい」
お母さんの化粧が汗で落ちていた。洗面所に行き、やっと気づいたようだ。
「いやだ、二時間もかけて化粧したのに! 」
中年男の女装はきつい。お母さんは綺麗な方だと思うけど、化粧が落ちたら見られたもんじゃない。
「いきなり思い立ってゴルフなんてするから」
お父さんは笑って答えた。
ゆきちゃんが私を見た。彼は戸惑っている様子だ。
「うちのお母さんは男で、お父さんは女なのよ」
実は、入学式のときにゆきちゃんが男だと知って腰を抜かした本当の理由は、まさか自分の隣に両親と同じ趣味を持った人がいるとは思わなかったからだった。だって、それまで、そういう人たちと出会ったことがなかったものだから。
「だから、ゆきちゃんも好きにしていいよ」
その日、すぐにゆきちゃんは私の親と打ち解けた。お母さんも彼を気に入ってくれた。たぶん趣味が合ったからだろう。
帰りのバスの中で、私たちはこっそりキスをした。ゆきちゃんは、とても男らしかった。
どうしよう、明日からまた女装されたら、こんなキスはもうできない。