忘れるべきもの
俺は『翡翠の林檎』という道具屋の扉を肩で押した。
「いらっしゃい」
俺に声をかけた老人はこの店の主、ポーダ。昔は商隊を率いていたこともあったらしい。
「何か珍しいものはあるかい?」
「自分で探しな」
ポーダの言うことはもっともだ。俺は老人に従うことにした。
暗い店の中を見回す。龍をあしらったリュート、一角獣の置物、宝石がちりばめられた羽冠、樫の葉をかたどった金の髪飾り。
俺の欲しい品物はこんなものじゃない。俺が求めるのは、俺を熱くしてくれる──未知の世界へ俺を導いてくれる品物だ。
一枚の丸められた羊皮紙に俺の目がとまった。俺はそれを手に取る。それを手に取る。それは何かの植物の蔓でとめられていた。
「それは売り物じゃない」
老人の重い声が響く。
「見るくらいはいいだろう?」
俺が言うと、老人は髭を動かした。笑ったのだろう。羊皮紙を広げた俺は目を丸くした。
「主、これは……」
老人の目がいたずらっぽい光を宿して笑う。
「あの碧水晶の秘宝の在処を示した地図だ」
情けないことに手が震えてしまう。
「碧水晶の秘宝だって?」
碧水晶の秘宝といえば、冒険者なら誰でも手にすることを夢見る宝石だ。
「この地図を俺に売ってくれ!」
「言っただろう、売る気はないと」
俺はがっくりと肩を落とす。
彼は売らないと言ったら絶対に売らないのだ。
「教えてくれ、なぜ秘宝を探しに行かないんだ? 年だからか?」
すると老人は声高く笑った。
「……いや」
「なら、何故だ?」
しばらく沈黙の時が続く。やがて老人は口を開いた。
「地図は、地図のままでいい。夢を見れる。宝があるかもしれないという夢がな。そこに行ってしまったら、秘宝があってもなくても夢は終わってしまう。夢は覚めてしまったらおしまいなんだ」
老人の瞳は子供のように輝いていた。
俺が今、『翡翠の林檎』の二代目をしているのも、夢を見たいからかもしれない。
FIN