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第3話 ボンクラ長男は期待されていない

 入学式の騒ぎから一夜明け、俺は自室で制服の袖を通していた。


 鏡に映る姿は、いかにも貴族の子息。

 金の縁取り、上質な布地、無駄に整った顔立ち。


 中身が社畜だった頃の俺が見たら、間違いなく現実逃避を疑うだろう。


「坊っちゃま、ネクタイが少し曲がっております」


 背後から声がして、細い指がすっと伸びる。

 メイド――リリアだ。


 銀髪を後ろでまとめ、所作に一切の無駄がない。

 見た目は年上のお姉さん系だが、雰囲気はどこか張り詰めている。


「ありがとうございます」


「当然です。

 坊っちゃまがだらしないのは、今に始まったことではありませんので」


 辛辣。


 だが、不思議と嫌味には聞こえなかった。


「……昨日の件、広まってますよね」


「ええ。

 学院中が話題にしています」


 やっぱりか。


 俺は小さくため息をついた。


「聖属性だの、観測史上最高だの……

 静かに過ごすのは無理そうです」


「いいえ」


 リリアは即答した。


「静かに過ごすこと自体は、可能です」


「え?」


「坊っちゃまは“ボンクラ長男”ですから」


 断言だった。


 ひどいが、否定できない。


「皆、期待していません。

 ですので、“たまに変なところがすごい”程度で済みます」


 なるほど。


 期待値が低いというのは、

 こういう場面では確かに楽だ。


「……それ、助かります」


「でしょう?」


 リリアは小さく口角を上げた。



 教室に入ると、視線が一斉に集まった。


 ひそひそ声。

 昨日の聖属性騒動の主が来たのだから、無理もない。


 だが――。


「ああ、公爵家の……」


「でも、あの人だろ?

 成績微妙って噂の」


「親の七光りだよな」


 噂は、ちゃんと“都合よく”歪んでいた。


(……いい)


 俺は静かに席に着いた。


 注目はされるが、

 期待はされていない。


 これなら、まだ何とかなる。


「ルキウス様」


 声をかけてきたのは、同じクラスの貴族子弟。

 昨日、火属性判定だった少年だ。


「ルキウス様にしては派手な演出でしたが、昨日のアレ、どうやったのですか?」


「……さあ?」


 本当に分からないので、そう答えた。


「ま、どうせ魔道具の異常か偶然でしょう。

 誰もがご存知のルキウス様も、学院デビューしたかったわけでもないのでしょうし」


 笑い声。


 俺も、軽く笑って流した。


 言い方はあれだが、この距離感。

 悪くない。



 放課後、学院の廊下を歩いていると、リリアが合流してきた。


「坊っちゃま、本日の授業評価です」


「評価?」


「無難。

 目立たず、失点もなし。

 理想的です」


 褒めているのか、そうでないのか分からない。


「ただし」


 来た。


「実技授業では、もう少し注意が必要かと」


「……やっぱり?」


「ええ。

 坊っちゃまは“やり切ってしまう”癖があります」


 胸が、少しだけ痛んだ。


 俺自身、分かっている。

 手を抜くのが、あまり得意じゃない。


「セバス様も、同じことを仰っていました」


「でしょうね……」


「ですが」


 リリアは、こちらを真っ直ぐ見た。


「それを“欠点”と切り捨てる方は、

 この家にはおりません」


 意外だった。


「放置されているのと、

 見放されているのは、違います」


 その言葉は、静かに、しかし確かに響いた。


「坊っちゃまは、坊っちゃまなりのやり方でよろしいのです」


 ――やり方。


 その言葉を反芻しながら、俺は廊下を進んだ。


 期待されていない。

 だが、完全に否定されているわけでもない。


 この立ち位置。


 思った以上に、

 動きやすいかもしれない。


 俺はまだ知らなかった。

 この“自由さ”が、

 後にどれほど危険な選択を許すことになるのかを。

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