男
飛ばされた男は海流に乗って、ものすごいスピードで流されていく。おそらく本気のファンプクよりも速い。あっという間に姿が見えなくなった。
「ファンプク!もう少しスピード上げろ!」
「これが限界だ!」
もう勝手にスイチョウに乗ったことがばれたらどうしようとか、そんな話をしている場合ではない。とにかく彼を助けなければ。そのことしか頭になかった。
もっと体をファンプクにおしつけなければ。水の抵抗を極力減らせ。そうしなければ、彼は死ぬ。また生贄をささげることになる。あんな思いをするのは、もう自分だけでいい。
「根性見せるぞ!ファンプク」
「おう、わかってるよ!」するとファンプクがぐんぐん加速していく。今まで以上にひげをつかむ手に水圧がかかっているし、目は開けているだけでやっとの状態だ。それでも、そんなこと関係ない。
「いた!!!」
前方およそ10メートルほど先に、彼はいた。まだ意識は戻っていないようだ。あと10メートルもいけば、本格的に海の谷の流れに乗ってしまう。
そうなればファンプクでも脱出が難しい流れに飲み込まれ、ひっそりと暗い、暗い、海の底に消えていく。
「ダメだ!!このままじゃ流れに乗る!」
「じゃあ先回りだ。海の谷の入り口に先回りして、彼を救出。そこから死に物狂いで脱出する!!」
「何言ってんだ!!海の谷の危険性をわかっているのか!」
ファンプクは、いつも正しいことを言う。言い返す隙もない。もし脱出できなければ、俺も、彼も、ファンプクも、全員誰も知らないような海の底で、死体になる。
それでも、今は、今だけは、俺たちの力を信じてみよう。ファンプク。
「このままじゃ助けられない。この議論している時間が無駄だ!ファンプク、入り口に行け!」
「あぁ、もう・・・死んだら恨むぞ!」
海の谷の入り口付近から出る海流、その流れに乗って、ぐんぐん進んでいく。あっという間に入口までついた。方向転換も難しいし、何ならその場にとどまっているだけでも精一杯。
この状況でファンプクが彼を口にくわえて脱出することは不可能だ。ならば、俺が受け止めるしかない。
「来たぞ!」
チャンスは一度きり。逃してしまえば、もう助けることはできない。集中しろ。
可能な限り上体を起こして、受け止められる体勢を作る。起こしすぎれば、水流に流されてしまうし、起こさなければ、受け止めきれない。
「くそっ」
ファンプクの体がじりじりと、引き込まれていく。俺が上体を起こしたから、水を受ける面積が増えたんだ。
「ファンプク、耐えてくれ。もう少しだ」
彼はもう眼前に迫ってきている。あと5メートル、4、3、2、1、
「ぐおっ」
ファンプクのひげをつかまなくてはいけないため、手は使えない。だから、全身で受け止めた。体が直撃した鼻と口から血の味がする。少しでも力を抜けば、彼ごと吹き飛ばされてしまう。
「ライサンダー!頼む!!」
後は、彼をファンプクに押し付けなければ。だが、水流と彼の体格、そして自分の非力さが邪魔をしている。いくら筋力がついたと言っても俺はまだ12歳、水流で流されかけている大人をファンプクに押し付けられるほどの力は俺にはない。
だめだ、もう握力がなくなってきている。ファンプク、せめてお前だけでも・・・・
「自分で言いだしたことの責任ぐらいとって見せろ!!男だろうが!!」
ファンプクの怒号が響いた。そうだ、自分が言い出したことじゃないか。
何勝手にあきらめようとしてんだ。シャガル族の男は、こんなことで諦めたりはしないんだ。限界を超えろ、今の自分が持っている力の、何百倍ものパワーを、ひねり出せ!!!
「うおらぁぁぁぁ!!!!」
「しっかり押さえてろ!!」
ファンプクの全身がうなる。その大きな体を最大限使い、少しづつ、少しづつ、谷から離れていく。力を緩めるな。腕ははちきれそうだし、指からは血が出ている。股関節も痛い。
それでも、もし俺がこの手を離したら、もっと激しい痛みを味わう人が出る。
あんな痛みを、他の誰かに味あわせたくない。一人で夕飯を食わせたくないし、風の強い日に一人で布団にくるまらせたくはない。
「うおぉぉぉぉぉ!!!!」
ファンプクの全身が今まで以上にうなった。そのしっぽが水をとらえ、流れに逆らう力を生む。そして、何とか生きようとする執念、それが、水流に、勝った。
ああ、やった。
そう思った直後、俺の意識は途切れた。




