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月の声を聴く夜  作者: 山川海雲
第五章:朝の祈り ― 再生と希望
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第四十七話:ありがとうのかわりに

 湖畔から戻り、二人は湊の部屋で夕食を共にした。

 日常に戻ったはずなのに、部屋の空気は、以前よりもずっと密で、温かい静けさに満たされていた。

 食事を終え、ソファに並んで座る。湊は、少し照れたように、膝を抱え、犬のように丸くなっている。その姿が、柚にはたまらなく愛おしかった。

 この数ヶ月間、柚が湊から受け取ったのは、無条件の、惜しみない優しさだった。それは、愛された記憶がない柚が、「受け取っていいもの」だと、初めて信じられた光の贈り物だった。

(私は、この人に、何を返せるのだろう)

 柚の心に、衝動的で、しかし静かな決意が湧き上がった。

 彼女は、静かに身体を動かし、湊の膝から手を離させ、両手で彼の頬を包み込んだ。

 湊は、突然の行動に目を丸くし、すぐに赤面した。その戸惑いが、彼の純粋さを証明していた。柚は、彼の柔らかい頬の感触を感じながら、ゆっくりと顔を近づけた。

 そして、湊の頬に、そっと、唇を押し当てた。

 それは、情熱的なキスではなかった。

 過去の全ての感謝を込めた、静かで、確かな接触だった。

 唇を離した柚は、湊の瞳を見つめた。彼の瞳は、湖面の波紋のように静かに揺れていた。

「ありがとう、湊」

 今、口にした「ありがとう」は、「あなたを愛しています」という、感謝の形をした、愛の告白だった。

 柚の手のひらから、愛された実感が、温かい電流のように湊の頬に流れ込んでいく。

 愛を「受け取る」ことを知った柚が、今、初めて愛を「与える」ことを知った。

 与える愛は、受け取る愛と同じくらい、魂を震わせる奇跡だった。

 湊は、しばらく戸惑いを隠せないまま柚を見ていたが、やがて、喜びで目を細め、そっと柚の頬に、自分の頬を摺り寄せた。

 それは、犬が主人に甘えるような、温かい仕草だった。

 二人の間には、言葉は必要なかった。愛は、感謝と信頼の体温で、静かに交換されていた。

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